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『明日がくるさ』は希望であり、絶望です。

ここ数日、長時間の移動や暑さによる体調不良でメルマガ

とか色んなものを放置してしまった。


長期的に見ると、継続的な私だが短期的にはよく消える。


メルマガとかブログとか続いている人は(本人が書いているなら)

素晴らしいと思う。


というか、続けることは才能であり、残った人が

勝者なのかもしれない。


何も書かない数日間に、


『明日がくるさ』は希望もあるけど、絶望も

含んでいる。


って思いながら生きていた。


私は基本的にネガティブシュミレーションで生きている。


なんにも上手くいかないだろうし(短期的には)、

動かないといいことも起きないだろうと。


そんな中、異常なほど明るい人もいる。


『明日もあるじゃん』的なことをいう。


個人的には『明日がくる』には希望と絶望

の意味があるように思う。


明日になったら解決するよ。と前向きに考えれられる

夜もあれば、


明日もまた1日が始まるのか。と絶望する夜もある。


最近、自分の異常な『頑固さ』を見つめている。


周りが素直に生きているのを見るたびに、

『頑固さ』を見つける。 


頑固を調べると、

自分の意見や態度を頑なに変えないこと


とあった。


これにも当然ながら、メリットとデメリットが両生

している。


これだけ、人がぶれぶれで生きている中で

自分の意見や態度を変えない人は信用はされやすい。


私が好きな人も頑固な人が多いのは、

『大きなものに媚を売りすぎない』からだ。


当然といえば、当然だが

権威に弱い人が多い。


大きなものに巻かれやすいのだ。


権威に弱い人は、上次第ではコロコロと意見や態度

を変えてくるということだ。

 

そんな人をどうやって信用したらいいのだろうか。


しかし、頑固さにもデメリットはある。


頑固ということは、ある種の正しさを抱えている

ことになる。


それが、世間的な正しさであるとタチが悪い。


自分の意見や態度だけに頑固ならいいとは思うが。


こうやって、自分の頑固さのいいところだけ表面化

するように意識している。


とりあえず素直すぎる人は騙されやすいので、

苦手です。



深い話はもうSNSじゃできない話で。



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