見出し画像

トップダウンのチームは受け身人間を量産する機械なんて暴論をば。

去年一年間は自分が呼びかけて作ったシェアハウス

で過ごした。あれは私が去年一年かけて作った卒業制作

だと思っている。


実際解散してからの大掃除では随分と悲しい気分になった。

文化祭後のように。


発信力がないなりに50人ほどが出入りする空間

が出来上がった。


抽象的な枠を埋めてから具体的な行動へ

私は気になったことがあると、まず抽象的な枠を

徹底的に考えるようにしている。


『シェアハウス』であれば、空間作りだとか居場所

だとか住人のあり方なんてお堅いところを調べ尽くした。


それを経て『イケる』と確信してから具体的な

話に入るようにした。


先日コミュニティスキルの本が出て、ふと

『コミュニティ』について再度考えることにした。


というのも『チーム』が欲しいなと思い始めた

からである。チームもコミュニティの形態の一つだろう。


本音を書くと電子書籍の原稿は結構溜まっていて、

二、三冊分あるんじゃないかと思うほどだ。


ただ表紙の画像だとか本の形式に変えるのが

面倒すぎて止めている。やり方は分かっていても

『できない』が先行してしまう。


事務作業のできなさにまた驚いている。


しかしチームといってもお分かりの通り、私は

どこまでも個人的な人間である。トップダウン型の

チームが苦手だ。


また別視点で言えば『あれをやれ』『これをやれ』と

一方向の指示では受け身の人間を量産するだけになる。


受け身の人間を集めても何も面白くない。


個々人が勝手に動いて、足りないところを補完

し合うようなイメージをずっと抱いている。


チームと言ってももはや『一箇所に集まる意味』

もないだろう。


無駄が多いと感じるのであれば削除していくのが

いい。先日ある会社が『経費でカフェ代を1日2000円

までなら落としてもいい』といったルールを作った。


これはすなわち『会社に来なくてもカフェで仕事

してもいいよ』のサインだと思う。


私は電話やメールが苦手で出来るだけやりとりは

テキストで済ませたいと思っている。


もう居心地のいい環境を探すのは諦めていて。

自分たちで作るしかない。


環境を作るにはやはり力がいる。

力こそ全てだ。


こういうチーム編成がいいよとか、

『私も個人的な人間だけど時々寂しいよ』

といった意見がありましたら下記まで。


福田光宏


LINE mitu05030


mail seifinovation05030@gmail.com

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?