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【ガンダムNT考察】人がシンギュラリティ(技術特異点)に手を出せば神に近づけるのか。

ガンダムNTを観た。閃光のハサウェイよりも、シンギュラリティとニュータイプの能力にフォーカスした作品のため評価は分かれたらしい。

が、意外と良かった。

ガンダムの中身を話しと仕方がないので、シンギュラリティの話をしたい。

あらすじ

宇宙世紀0079年。ヨナ、ミシェル、リタの3人の少年少女は、ジオン公国軍のコロニー落としを事前に察知し、多くの人々を避難させて命を救ったことで「奇蹟の子供たち」と呼ばれるようになる。しかし身寄りをなくした彼らは、その能力に着目した地球連邦軍により、一年戦争終結後には特殊な施設で過酷な実験に晒されることとなった。数年が経過した後、ミシェルの一計によってヨナとミシェルは施設から逃れられるも、残されたリタはやがてユニコーンガンダム3号機フェネクスと共に行方が途絶えてしまう。

要するにNTは、『ニュータイプという能力に振り回された子供たち』の話である。

MSの性能はもちろんのことだが、戦争に勝つためにはニュータイプの所持が明暗を分けるという時代に来ている。

ラプラス事変の際に活躍したユニコーンガンダムたちは、技術特異点として封印された。

技術特異点(シンギュラリティ)とは、人工知能自身の自己フィードバックで改良・高度化された技術や知能が、「人類に代わって文明の進歩の主役」になる時点を指す。

要するに、技術が人の限界を超えてしまったということ。

ユニコーンガンダムはサイコフレームを用いたことで、それ一体が戦争を分けた。

NTで現れたフェニクスなんかは、パイロットの意識のみで宇宙を駆けている。

人類が宇宙で旅立ったことで、人は踏み入れてはいけない領域に入ってしまった。そこを中心に描いたように思う。

フェニクスが目的もなく宇宙を駆け回っていたかと思えば、急に現れたのはこのシンギュラリティを消し去るためだった。

リタの意思はフェニクスを正しく使い、サイコフレーム使いのMSを排除して、さらにはネオジオングまでも破壊した。

最後にミネバがバナージに対して言った、『人類の手に余る存在となったサイコフレームを一生をかけて封じていくことが私達の仕事である』という発言がガンダムNTを表している。

人の成長よりも早くシンギュラリティやニュータイプに到達すると、人は争いの道具しか使えないから排除すべきと。

人がもっと成熟できたときには、ニュータイプは相互理解に使われサイコフレームは防壁に使われるのだろう。


といった感じで、ガンダムNTはかなりテーマを絞った(1時間半しかないし)作品に思えた。

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