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Stones alive complex (Himalayan Aquamarine)


今日もまた、あの荒野へ行く。

わちゃわちゃと賑やかな顕在意識地区の地蔵蔵タウン商店街をヤッフォーい!とかけ抜ければすぐ、深層心理境界面として働いてる断崖の峡谷があり。
そこには、こっちとあっちを繋ぐ狭い縄橋が渡されている。
それを渡った先には、人類が踏み込めきれてない潜在意識地区の荒野が広がっている。

今日の潜在意識地区は、いつもより比較的穏やかなようだ。
形が定まらない未定義の大地と、時おり閃くニューロンの雷鳴と、気まぐれに降りだす感情の小雨があるばかり。
小雨を生む雲は、たいてい北東から運ばれてくる。
ここでの北東とは、仕事場がある方角だ。

この世の重大な出来事はたいてい、北東から訪れる雲とともにやって来るような気がする。

昨日とおとといの残暑の日差しで、先週から湧き続けていた当てつける相手のいない湿っぽいイキがる気分も、寝返りをうつ地面の背中でカラカラに乾燥させられていた。

空に浮かぶ雲は憂いをたたえるマリアのMはマリアのMじゃない聖母の表情をしていて、あいかわらず涙腺と鼻腔とに程よい分量の雨を溜め込んでいる。
しだいに濃くなる夕闇のなか、それはもうすぐポツリポツリと、意味深い鼻声の小粒が落ちてきそうだ。

暗闇が迫る荒野を、フレディ・マーキュリーが「アイ・ワズ・ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」のサビんとこで出すハイトーンをあげて、ため息が吹いてゆく。
捕まえようと手を伸ばしたら、びっくりしたのか、小高い丘のまわりへ何度かマイクをぶつけて飛び越え、聖母の肩の下に盛り上がる雲の谷間にあわてて逃げ込んだ。

その谷から、塔のような構造物がひとつ、ギラギラ光るランプが点滅したクレーンの森に埋もれて浮かんでいる。

それはタワマンだった。
建設途中で、まだ屋上しかできてない。
ていうか、屋上しか造る気がなさそうなたたずまいだった。
屋上しかない段階で、なんでタワマンだと判断できたのかは定かでない。

その現場へ米粒のようにひっついてる作業員たちは、屋上に積まれた資材に座りこんだり、クレーンの操縦席でうたた寝してたり、クレーンのアームに寝そべったり、クレーンのフックに逆さにぶら下がったりして、思い思いのスタイルでのどかに気を失ってる。
彼らの背中は、部活をさぼってカレーパン食ってる高校生の猫背にそっくりだ。
毎度の事ながら、見回りに来てることすら気がついてない。

「お~い~♪
お前らっ、仕事しろぉーっ♪」

もちろんこの距離じゃ、フレディ・マーキュリーでもない限り、声は届かない。
ブライアン・メイのコーラス以下の音量では、到底無理だ。
「lemon」歌って、カラオケ42点の音痴ではなおさらに届かない。
百も承知だ!
しかしながら、早く建築工程を進めてもらいたい。

あのビルが地上まで到達してしっかりと地に足が着いたなら、幼年期の欠落が埋め合わされ、野望という名の野獣は正しく飼い慣らせる。
ここの建築物の土台は、最後に組み立てられるのだ。

数分ごとに、遠くの山々はそのカッティングエッジが背景へ薄く溶けてゆく。ゆっくり薄れて、ほとんど消えかける。

作業員たちに届くのは、
声よりもメロディ。
そのメロディを探しあぐねてた。

低くすすり泣くハミングでもあり、行進曲の足踏みでもあり、風に乗って聞こえてくる童謡でもあるはずだ。

顕在意識地区には、存在していないのか?

自分の中に米粒くらいは潜んでいるかもしれない、ありったけの米津玄師部分をかき集め。
明日は、あの消えゆく山々のふもとまで、行ってみる必要を感じた。

(おわり)

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