経営企画寄りの人事のキャリア③

中々、表題の経営企画寄りの人事という文言までたどり着かないのですが、もう少々お付き合いください。
さて、前回は二社目に入社したところまでご紹介をいたしました。

二社目の部署状況に関する補足

ちなみに二社目には採用担当というポジションで入社していますが、そもそも間接部門の正社員を採用するのは初めての会社でした。
間接部門はほぼすべてパートタイマーで、一人だけパートタイマーから正社員へ昇格?した人がいるという状況です。
当然、業務のやり方は滅茶苦茶で、よく運営できているなあと感心するほど。採用については現場の社員が片手間でやっていたところなので、中々成果もあがっていない状況でした。

必死にあがいた結果

前回の通り、即辞めたい気持ちはかなりありましたが、ここで辞めたら負けだと自分を克己し、必死で業務に食いついていきました。
その結果、私の性格や仕事のやり方そのものは受け入れ難かったようですが、実績で周囲を黙らせることで、半年で間接部門の責任者に昇進するとともに、戦略コンサルタント出身の定年後嘱託雇用の方と経営企画室を立ち上げることになりました。
ここでようやく表題の経営企画寄りの人事というキャリアをスタートさせることになります。
尚、この半年のことは未だにあまり思い出したくもないのですが、22時ころから深夜1時過ぎまで、社長以下部長までの数名に取り囲まれて、「おまえの考え方はうちの会社に共感していない。考え方を変えろ!」とか、「おまえには愛がない。」とか、詰め寄られるなどの経験をしております。
※当時から考えていましたが、これって洗脳の手法ですよね。。。安保闘争時代の左翼団体の総括や、新興宗教の吊し上げを受けた人はこんな気持だったんだろうなあと心をシャットアウトして乗り切ったことを覚えています。

昇進しても仕事は楽になりません(作業的な意味でも)

ということで先程の通り、昇進したわけですが、労働環境はますますつらくなりました。それまで対応していたプレイヤー業務はそのままに、部下の指導管理、現場への指導、各種会議への参加推進、経営計画の策定や調査業務、コンサル上がりの方と社長の調整などなどやるべきことはどんどん積み重なっていきます。
毎日平均すると朝は7時くらいには出社をしており、夜退社できるのは深夜2時くらい。朝は電車ですが、帰りは当然終電を過ぎていますので、タクシー帰り。タクシー代は全額自腹だったので、働いても働いても全然お金が貯まりませんでした。無論、残業代なんてものはありませんし、土日も出勤していたので、特に遊ぶこともできなかったのですが。
というわけで、これだけ働いていれば、年収1,000万とは言わないものの、かなりもらっていてもよさそうなものですが、当時の私の年収は400万弱。とてもじゃありませんが、割りに合わない仕事でした。
一方で、これだけの仕事をしていたわけなので、様々なスキルを習得、かつハードソフトともに成長していくことができたことは間違いありませんでした。
※収支は生活費込みでトントンくらいでしたので、 MBAでも取得しにいったと考えれば、ずいぶんお得だったとも思います。

結婚を期に転職へ

それなりに上手く適応していたので、超長時間労働であることを除けば、まあまあ楽しく働いており、積極的に辞めようとは当時は考えておりませんでした。
しかしながら、結婚を考えるパートナーができ、さすがにこの労働環境かつこの給与では生活していけないだろうということで、二度目の転職活動を行うこととしました。
今回の転職活動のポイントは「年収」と「労働時間」ということで、仕事内容についてはキャリア上、二社目の延長線、つまり経営企画と人事企画(マネジメント有)で考えることとしました。この内容ですと、当然公募はほとんどありませんので、人材紹介会社へ依頼することに。
前回の転職活動同様に、書類通過率は驚異的に高く、さらに面接についても前回に比べるとあれよあれよと通過していきます。二社目の超長時間労働と無意味な詰め会を耐えてきた結果がでたと喜びを噛み締めていたところ、とある会社で経営企画と人事の兼務責任者というポジションオファーがあり、年収も200万アップということで、入社を決断いたしました。

続く

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