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青の緞帳が下りるまで #23

←(前回)「青の緞帳が下りるまで #22」(第五章 ヴィーカの記憶 2)


  展示品六「タチアナ・Lに関する覚書」

「あれほどの才能と美声を持った歌手は二人とおりますまい。彼女に出会えたことが作曲家人生で最大の幸せだと思っております」
(ヤローキンが音楽院声楽科学科長ユーリ・セクリコフに宛てた推薦状より抜粋)


「なぜこんなものが展示されているんですか?」

 マエストロは劇場職員のマルーシャに訊いた。ヤローキンのコーナーに、見知らぬ人の文献が入っている。

「タチアナ・L」

 どこかで聞いた名前だと、マエストロは考える。ああ、Y劇場の記者会見で、女性記者が質問した。「タチアナ・Lに会ったことはあるか」と。彼女のことだったのか。
 マルーシャはマエストロの前で頭を下げる。

「申し訳ございません。その資料を置いたのは、こちらの勝手な判断です。O出版社のアンナ・Bという女性記者がヤローキンに関する書籍を発売するそうで」

「アンナ・Bというのは先日記者会見で、最後の質問をした人ですか」

「そうです。マエストロに不快な質問をしてしまった人です。申し訳ございません。この資料はすぐに撤去いたします」

「いや、読ませてもらってもいいかね」

「え……はい。ええ、もちろん」

 マエストロは手袋をはめ、資料を手にとった。タチアナ・Lのことは聞いたことがない。アンナ・Bに質問されるまで、名前も聞いたことがなかった。
 ヤローキンのことならなんでも覚えている自分が、知らないとなれば、本当に一度も耳にしなかったのだろう。

 タチアナ・Lは生没不明。実在したかどうかすらさだかではない、伝説の歌手だ。
 アンナ・Bの叔母は王立音楽院の講師であり、タチアナ・Lを教えたという。そのタチアナ・Lはヤローキンの難曲と言われる国王賛歌を歌った歌手。
 あのとき出会ったサーシャが歌手だっただろうか。

 ヤローキンのところにいた歌手タチアナ・L――の人が気になった。彼女はサーシャにつながっていないだろうか。


→(次回)「青の緞帳が下りるまで #24」(第六章「タチアナ・Lに関する覚書」 1

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