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青の緞帳が下りるまで #27

←(前回)「青の緞帳が下りるまで #26」(第七章「キリル・シェレメーチェフの追想」)

第八章 戯曲 コーリャと村娘の恋 1

「キリル・シェレメーチェフの追想」を読んで、マエストロはどう思っただろう。
 マルーシャの家に下宿させてもらったイーラは、外を眺める。
 マエストロの帰還で、ユヴェリルブルグの街は夜もお祭り騒ぎだった。ヤローキンの聖歌がいたるところで演奏されている。

 マエストロが話していたサーシャが、このキリル・シェレメーチェフが世話をしていたサーシャなのだろうか。それとも単なる同姓同名なのだろうか。
 願わくは、父の手紙を読んで、マエストロがアナスタシア王女につながる何かを思い出してくれればいいのだけれど。

 同じ頃、マエストロもまた外を眺めていた。
 夜には花火が上がるという話を聞いた。
 ホテルの眼下には、カメラマンがいて、シャッターチャンスを狙っている。
 マエストロはカーテンをしめ、肘掛け椅子に戻る。

 もとはサルティコフ大公の屋敷だという場所に泊まれるなどと思っていなかった。時代を経て、ホテルとして蘇ったのだという。
 マエストロは紙束を手に取る。「キリル・シェレメーチェフの追想」は読んだ。サーシャ、鏡の館、ヤローキン、ユヴェリルブルグ、サルティコフ大公。

 耳慣れたワードがパズルのピースのように、組み合わさっていく。
 だが、まだ確信が持てなかった。サーシャの正体はまだわからない。
 マエストロはイーラから託された二つ目の資料にとりかかる。演劇の脚本だった。
 その表紙に、手紙が挟まれていた。ミーチャからのものだ。
 マエストロはその紙を開いた。

***

 親愛なるV殿
 私はもう長くない。国外に出たきみが国際的な音楽家として活躍していることを心から願っている。それときみに話しておかないといけないことがある。
 潜伏生活一週間目の日のことだ。
 あの日は慌ただしくて、きみと会って話す時間がなかった。ろくな会話を交わせないまま、別れのときが来てしまった。説明するにも、きみは国外で、アルトランディアは鎖国政策をとり、連絡がつかなくなってしまった。
 この手紙と資料を、私の妻に託す。妻は、ヴィーカの写真を持つことを許してくれた。妻がきみを待てなくなった場合は、孫に渡すだろう。
 この中の資料は、誰にも読ませないように念を押した。
 そこにきみが知りたいことが書かれている。だが、きみも知っての通り、情報を知ることは、危険なことだ。だからこそ、本当のことは言えず、本名は使えなかった。
 時代が経った今でも、すべての情報を開示することはこわい。私の係累に被害が及ぶことを避けるため、具体的なことは書くつもりはない。
 ただ私が大公から預かったものを、きみに残す。それだけだ。
 ユヴェリルブルグで私に極秘任務を命じた大公は、私にある事実を知らせようとした。きみならば、読み取れるだろう。
 それがわかったとき、最後の日にAがどんな思いできみに未来を託したのか、わかるはずだ。
 きみはアルトランディアの希望だった。
 落ち込んだときは、ヴィーカがよく歌っていたヤローキンの聖歌を思い出すといい。
 この世に、幸いあれ。

 マエストロは大きく息を吐くと、脚本のページを開いた。

 ***

戯曲 コーリャと村娘の恋
「第二幕一場 国王コーリャの私室」

 配役 K(コーリャ)、S(ソーニャ)、T(ターニャ)、公爵

 K、イライラした表情で部屋を歩き回る。家来、Kのあとを追う。

家来「陛下、お忍びでの外出などもってのほかです。今日は隣国のS王女が訪れる日なのですから。準備は整っております。あとは陛下が謁見の間に起こしになり……」
K「わかっている。わかっているから静かにしてくれ!」

(K、王冠を脱ぎ捨て、床に叩きつける。家来、それを拾いに行く)

K「王冠というのはどうしてこうも重い素材でできているんだ? 宝石をとっぱらって、もっと軽量化できないんだろうか。肩がこって仕方ない。じゃらじゃらした勲章も撤廃するべきだ。いや、余が言いたいのはそんなことではない」
家来「……陛下?」
K「余は叔父上に騙されたのだ! 余は確かに王位継承に同意した。だが、それと結婚は別だ。S王女とは誰だ。なぜ見知らぬ相手と結婚せねばならんのだ!」
家来「それが国王の義務ですから」
K「しれっと正しいことを言うな! 未婚の王位継承者は即位式の前に結婚式を行わねばならぬなど、そんな法は撤廃するべきだ」
家来「陛下が正式に即位なさった暁にはぜひ!」
K「それでは間に合わんではないか! ああ、余はなんて不幸なのだろう。これも兄上たちが簡単に死にすぎるからいけないのだ。国王になると毎日波乱万丈だ。刺客も増える」(テーブルの上の菓子をひとつまみ、水槽に入れる。死んだ魚が浮き上がる)

K「大好物もおちおち食べられやしない。ああ、今ならTが作ってくれたケーキでさえもおいしく食べられる気がする。あれほど破壊的で味覚を麻痺させる代物には出会ったことがない。なのに今はあの味さえなつかしい」

家来「陛下、テーブルの上に公爵さまからの手紙が届いております」

K(手紙を手にとり)「おお、やっと返事がきたか。あのくそじじい、筆不精にもほどがある。愛するTの近況はどうしただろう。(封を開け、手紙を取り出す)なになに……陛下、お喜びください。Tが無事音楽院声楽科の編入試験に合格しました。なんと喜ばしい! これで彼女は王都に来られるのか!」

(K、家来に抱きつく。家来、わけもわからず一緒に喜ぶ。K、ひとしきり舞台を跳ね回ったあと、うな垂れる)

K「喜ばしい……が、遅かった。余は隣国の王女を妻に迎えることになる。この結婚にはわが国の命運がかかっているから断ることはできぬ。結婚する前にTに会いたかった。あの歌声を聴きたかった。そして、あの破壊的なケーキをもう一度食べたかった……」

家来「お好きな女性がおいでなら、王宮に呼び寄せればいいではありませんか? 歴代の国王は皆公妾を持ったものです」

K(首を振る)「彼女を危険な目にあわせたくはない。毒の耐性もついていないだろうから、毒を盛られたら一回で死んでしまうかもしれない。それに彼女は貴族ではないから王宮に入れることはできぬ。せめて、彼女が王室劇場で、余の前で歌う機会があれば……。王立音楽院に入っても、舞台に立てるのは早くて卒業の四年後だろう。ああ、彼女が今すぐ王室劇場の舞台に立てれば、彼女に褒美としかるべき位を授け、王宮に出入りできるように取り計らえたのだが。いっそのこと今すぐTが王室劇場の舞台で歌えるよう、国王命令を出してしまおうか」

家来「陛下、職権乱用はなりませんよ」

K「ええい、わかっておる。余は独り言を言っているだけだ。勝手に漏れた妄想にいちいち茶々を入れるでない!」

家来「はっ、申し訳ございません」

K「それはそうと、王室劇場、あれはひどいな。リハーサルを見に行ったが、あまりの下手さに途中で退席してしまったぞ」

家来「陛下、お言葉ながら、わが国最高峰の音楽家たちでございます」

K「明後日からS王女、各国貴賓を招いての音楽祭だというのに、あれでは恥ずかしくて表に出せぬ。器楽はともかく、歌がひどい。あの技量なら、あのくそじじい公爵のお抱え劇場団員の方が遥かにましだ。王室劇場の団員たちは慢心しすぎではないのか? 若干十七歳のTの方がうまい。Tの才能が偉大なのか、王室劇場のレベルが低いのか」

(ファンファーレの音)

家来「陛下、S王女がお着きになられたようです」

K「ああ、国王とは不幸な身分よ。我が身の不幸を嘆く暇すらないとは……」
家来二(舞台に登場)「陛下、大変です。S王女がお倒れになりました!」

K「何っ!」

(暗転)

「二幕二場 王女の寝室」

 王女、ソファの上で横たわる。K、王女に付き添う。隣国の侍従一、二、三、家具を運び込む。部屋にあったベッドは窓から捨て、その場所に運び込んだベッドを置く。不審物がないか部屋中を調べる。

S「ご心配をおかけして申し訳ありません。はじめましてのご挨拶の前に、倒れるなどお恥ずかしい。もう大丈夫ですから」

K「大丈夫というお顔の色ではございませんが」

S「顔色の悪いのは生まれつきですから、どうかご安心くださいまし。生まれたときにそう長くは生きられないと医者に宣告されました。この年まで生きていられたのが奇跡なのでございます」(咳き込む)

K「はあ……」

S「ですので、こうやって婚礼衣裳を着る機会などは絶対に巡ってくることはないと思っておりました。陛下のおかげで夢に見た結婚式ができるとあって、このS、嬉しくてたまりません。陛下のため、この国のため、私は身命を賭して尽くす所存でございます」

K「それはようございました」

S「ただ……」

(S、声を潜める。侍従退場)

S「結婚を目前にこういうことを申し上げるのも何なのですが……いつなんどき私の体調が急変するかわかりませんので今申し上げておきます」

K「縁起でもないことを」

S「本当です。国を出るときに医者に半年持つかどうかと言われた体です。陛下、……私にはお世継ぎを産む力はございません」

K「……王女……」

S「お許しください。父国王はそれをわかって、私を陛下のもとに送ったのです。私が死んでしまったら、父国王は私を殺したと言いがかりをつけてこの国に攻め入るでしょう」

K「それでは……わが国の命数はあなたの余命に等しいということですか」

S「そうなのです。ですから、私にできるお役目は、できるだけ長くこの国で生き延びること……」(激しく咳き込み、倒れる)

K「S王女が倒れた! 誰か――」

(暗転)

「二幕三場」

S「陛下、昨日は四度も倒れてしまって申し訳ありません」

K「いえ、昨日は四度ですんでよかったではありませんか。結婚式当日は十度も倒れられたので、さすがに余の寿命が縮まりました」

S「なんてお優しい。そんな優しいお言葉をかけられて、このS……もうこの世に未練はございません」

K「いや、困りますよ。ここであなたに死なれては困りますから。どうか末永くご健勝であっていただかねば……」

S「なんてお優しい……へい……か……」

(S、倒れる。K、冷静にSの脈をとる。S、しばらくして起き上がる)

S「……申し訳ありません。嬉しさのあまり、意識が途切れてしまいました」

K「いや、いいですよ。意識が途切れるくらい何だっていうんです。意識が返ってくれば、それでいいんです」

S「ああ、なんてお優しい陛下……」

K「そのような体調で即位式典に無理に出席なさらなくても」

S「いいえ。私、もう長くない身ですから、できるだけ多くのものをこの目に焼き付けておきたいのです。この国の王室劇場のレベルの高さは噂に聞いておりますし」

K「いえ、お耳汚しです」

S「まあ、ご謙遜を。そうそう、私式典のプログラムを入手しましたのよ」(懐からプログラムを取り出し、Kに見せる)

K「一体どこでそれを! 余の元にも届いていないものを!」

S「わが国の侍従たちは優秀ですのよ」(笑いながらプログラムを読みあげる)

K「退屈なイベントですよ。くだらないスピーチを聞いて、立ったり座ったりの繰り返し。演奏らしきものは最後の四十分ほどですよ」

(S、プログラムに夢中になっている)

S「ねえ、陛下、プログラム最後の国王賛歌という曲を作曲された、音楽師範ヤロックというのはどういった方ですの?」

K「ああ、先代国王のときに献呈した曲が認められ、宮廷音楽家に任じられた作曲家です。この国最高の作曲家と言われることもありますが、実際のところ、謎の人物です」

S「まあ、素敵。ぜひ会って話をしてみたいですわ」

K「彼は……その、偏屈でしてね。なかなか人前に姿を現さないそうなんですよ。今回も招待状を送ったのですが、欠席の返信が返ってきましてね」

S「まあ、残念。ねえ、陛下、歌なら私も少しは練習したことがありますのよ。私も出てもよろしいかしら」

K「それはもちろん可能ですが……」

(S、調子外れの歌を歌い始める。K、耳をふさぐ)

K「大変、個性的な歌で……」

S「国ではいつも皆に褒められましたの。二番もありますのよ」

(S、調子はずれの歌を歌う。K、耳をふさぐ。S、上機嫌で歌う。ベッドから起き上がりざま、倒れる)

K「王妃っ。言わんこっちゃない。(Sを抱き起こす)誰か。誰か――。王妃が倒れたぞ――!」

→(次回)「青の緞帳が下りるまで #28」(第八章 戯曲 コーリャと村娘の恋 2 )


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