音楽を“上手く”なりたいと思う理由

最近、ピアノを練習している。一緒に合わせて演奏してくれたり歌ってくれる人がいる。“技術的に上手くできる”から、やっているのではない。本当に楽しい。「楽しい」と感じるなら、やってもいいのだという自信が持てたからだ。何より、一緒にやってくれる人が同じ気持ちで、それを受け入れてくれるという安心感があるからだと思う。

しかし同時に、猛烈に、上手くなりたいとも思う。

ピアノ然り、歌も、ドラムも、やればやるほど「上手くなくていいよ」と言われるほど、どうしても上達したいと思ってしまう。自分の情けなさ、というか、出来なさ、不甲斐なさを痛感して、上手くなりたいと思う。

ある人に出会った。
その人はギターを最近始めたところで練習中だと言った。
「音楽って、“上手い”が条件でなくて、いい。楽しいと思えるなら、やればいいよね」
というところで意見が一致した。私は、自分のピアノの演奏に対して、技術はないけれども、もっともっと楽しむために上手くなりたいと思う、と話した。
その人はこう語ってくれた。「ギターは絶対に上手にならなくてもいいと思っている。自分は歌を歌えば、音楽を楽しめる。歌なら思った通りに歌えるので、それでいいかなと思う。」完全に再現しきれていないかもしれないが、そのようなことを言っていた。

単純に価値観が違う、と思った。
色々な人がいるものだ。それを聞いて、なぜ自分は楽器や歌が上手くなりたいんだろう、と考えるきっかけになった。私は、プロであることとか、技術的に世間が認めるレベルだからとかで音楽をやるかやらないの基準を決めたくないと思っている。自分自身、そこまでうまいわけではない。ただ、頭の中に浮かんだメロディーとか、リズムとか、浮かんだイメージを100%に近い形でアウトプットしたいのに、できる技術がないときは、本当に悔しい。フラストレーションが溜まる。歯がゆい。もどかしい。
だから一生懸命練習するのだ。上手くなりたい。
純粋に、上達して、もっともっと、たくさんの表現をしたい。
浮かんでくるインスピレーションを、どんどん形にして外に出していくのは、本当に気持ちいい。練習して、できるようになることが増えた時に、今までアウトプットできなかったことが、スムーズにできるようになったら、達成感はいかほどのものだろう。

そう思うと、ワクワクして、また練習したくなってくる。

明日も頑張ろう。

読んでくれてありがとうございます。 ふと思った時に、心のままに書いています。 よかったらまた読んでください。