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坂爪圭吾さんと過ごした夜

結論から言うと、昨日の時間は想像してたよりちょっと残念な結果になったけど、
私にとっては気づきのきっかけになった。

私は、彼に自分の世界を見てもらいたかっただけなのか
私という人間に触れてどう感じたのかを聞きたかったのだと思う
しかし、そのヒントを実は昨日の時間の中でもらっていた。

なので、「坂爪圭吾と喋る」ことはある意味達成されて、もし次会うとしたら(会っていただけることができるのなら)何か違う目的なんだと思う。
そんなことをぼんやり考える。

坂爪さんのブログを読むたびに、その言葉にとても感動する。
彼の生み出す「言葉」という作品に、私は惚れている。
実際会ってみたい!と衝動的に思って、気づいたら連絡していた。そして、返事が来た。実際にあってくれることになったのだ。
娘と一緒に、家にご招待して晩御飯を食べることになった。
つい何日まえかに念願のコタツを買ったので、この新品のコタツに、坂爪圭吾さんをご招待できたら、めっちゃ面白いやん。という思いもあった。

そして昨日。お会いすることができた。
ブログの文章から受ける印象とは全く違った。とてもカラッと明るくて、不思議なオーラを醸し出す人だった。

坂爪さんは、私が出したご飯をとても美味しいと行って食べてくれた。
とくに、パンがヤバイと言っていた。パンは、ホームベーカリーが焼いてくれたので、1番手はかかっていない(笑)
「お腹はいっぱいなのに、目の前にあると食べちゃいますよね」と言って結局全部食べてくれた。それがすごく嬉しかった。食事しながら、坂爪さんに会ったら話してみたかったことを少しづつ、話した。


坂爪さんは、何も持たないことにこだわってると言っているけど、私は、彼には「言葉」があると思う。私から見た坂爪さんは、言葉のプロであり、言葉を生み出すという才能があるんだと思う、という話もした。
「“言葉”は自分にとってすごく大事で、人間は言葉でできていると思う」
と坂爪さんは言った。


「これからやってみたいことはあるんですか?」
と言う話になった。私は思ったことを素直に話したつもりだったが、坂爪さんはしっくり来てないみたいだった。
おそらく、彼が「面白いと思うこと」と、私が「やりたいこと」というのが全く違う世界の話なんだろう。その時はそれがわからず、質問の意図も汲めていないのに、私はただ必死になって喋っていた。伝えようとすればするほど絡まる。

「みうさんの言葉からは、本音が見えてこない。気持ちを乗せて喋ってください」「伝えようとしてください」
彼が最適に伝えてくれたこの言葉は、痛烈に私に刺さった。
人とコミュニケーションを取るのはむしろ得意な方と思っていたので、正直ショックだった。“本音で喋ってない”と意識がなかったので、なおさら。

坂爪さんは何か言葉を発する毎に、目を閉じてちょっと考えていた。
私なんかとの会話のために、一生懸命、最適な言葉を紡いでくれようとする。それがなんだか心苦しかった。なんかめちゃくちゃ絡まって、言いたいことも言えているんだか、訳わからなくなって必死にかき集めた語彙を並べて、なんとか想いを伝えることを試みた。
頑張った。そう、喋ることをこんなに“頑張った”のは初めてである。

最終的に、前回に書いた「違和感の正体」についての体験談をほぼnoteの記述そのままくらいに伝えたところで、
「やっとスタート地点に立ったって感じですね」という言葉をもらった。

坂爪さんは、ある瞬間急に立ち上がって
「今日は退きます!!」と行って、そのままどこかへ行ってしまった。
私は、「なんか・・・すみません」と謝っていた。
坂爪さんも「いや、僕も…うまく…すみません」と言った。
謝らせてしまった。
なんかもう、最高の時間のはずだったのに、最悪だ、と思った。


私にとって自分を表すものは、自分の作ったモノなんだと思う。
自分の仕立てた服であり、自分の作ったカフェであり、空間そのもの。
私が「言葉」を使うということは、説明をするだけの媒体になるのかもしれない。私には言葉で人を感動させたり、自分を表現するのは無理だな、と悟った。

言葉で自分をさらけ出すのは無理。

それがいいとか、悪いとか、正しいとか、間違いではない。
今日一日、色々考えて出た結論がこれ。

「やっとスタート地点にたった」と言う意味がなんとなく飲み込める。

せっかく会ったのに、会いに来てくれたのに、
自分を出す前に、知ってもらう前に退散させてしまったことにものすごく悔しい。せめて、自分というものを知ってもらった上で、気に入ってもらっても、嫌ってくれても全然いい。
それすらできていないのに・・・なんか虚しい。

でも、自分を最適に表現するものは何か、というのを自分で発見できたのはとても良かった。昨日の時間があってこそだ。

そして、まずスタート地点に立てたこと。良かったじゃないか、と思う。


幸い、彼のジーパンの修理を承ったので、また会えることを願う。洋裁はできるので、何かお手伝いことがあればと申し出たら、ナイスタイミングでお困りであった。
これも何かの運命で、また会うチャンスを神様がくれたんだと思う。

なので、今度はカフェに来てください、とメールした。
私の作る空間を、気に入ってくれたら、それは嬉しい。
違うかったら、違うで仕方ないと割り切れる。

そこまで考えたときに、ふと、日々カフェに来てくださる方も、
私というものを気に入ってくれているから
嬉しかったんだ、ということに気づく。

昨日の時間の終わり際は私にとっては最悪だったけど、
(最悪と思っているのは、私だけかもしれない)
坂爪さんとの出逢いと、昨日の時間はいろんなことを気づかせてくれた。
言葉の下手な私だけれど、精一杯の語彙をかき集めて、感謝の気持ちと共に
自分への戒めも込めて、ここに綴ってみる。



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