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おばあちゃん

思い出そうとしなくても、ふっとその時の瞬間が映像を見ているようなリアルさで蘇る経験って誰しもあると思う。

思い出しては、ぽーっとしてしまう。そんなおばあちゃんの姿が今日一つ増えた。

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思い浮かぶのは、いつも仕事をしている姿だった。自転車屋とガソリンスタンド屋を夫婦で経営していて、遊びに行くといつもお店でお客さんと楽しそうに話している。小学生の頃は、私がお店に顔を出すといつも祖父にお客さんを任せて、台所から飲み物やおいしい和菓子を持ってきてくれた。何を話したかは全然覚えていないけど、多分学校の友達の話とか、クラスで流行っていたアクセサリー作りの話とか、たわいもない事をいつも「うんうん」と聞いてくれる。夕方になると近くのスーパーに買い物に行くのに歩いてついていくのが楽しみだった。

小学生の頃の私は優等生タイプの「いい子ちゃん」だった。親にわがままを言ったこともないし、特に言いたいわがままもなかった。そんな私が1度だけスーパーからの帰り道、本屋の前でおばあちゃんに大変なわがままを言って困らせたことがある。その時の困った悲しそうな顔は20年以上経った今でも鮮明に覚えている。いつも優しくて、皆に好かれて、無条件で味方でいてくれるおばあちゃん。どんな気持ちだったんだろうとたまに思い出しては申し訳ない気持ちになる。

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そして今日、もう1つ鮮明に焼き付いた姿がある。

83歳になったおばあちゃんは1年前から入退院を繰り返していた。
中々良くならずその姿を見るのは辛かったけれど、入居しているケア施設の人たちが明るくて温かくて、職員さんも入居者さんも私が行くと必ず声を掛けてくれるから時間があるときは顔を出すようにしていた。

先週、先生に余命1週間の宣告をされた。ずいぶんと細く痩せてしまい、もう話せないおばあちゃんに向かって色々話していると、他の入居者さんが部屋まで来てくれて私の知らないおばあちゃんの話を沢山してくれた。私がおばあちゃんの孫だとわかると「昔沢山お世話になったんだよ」「お店やってた頃、助けていただいてね」「本当に面白い人でいつも笑わせてもらったわ」などと話しかけてくれる人が多くて驚いた。

今日は偶然来客が重なったようで、部屋に入りきらないくらいの人たちで溢れ、もう話せないおばあちゃんを囲んで皆が賑やかに話をしていた。返事が返ってくることはなくなってしまったけど、帰りに「また来るね!」と言ったら目に涙を浮かべていた。部屋を出る前に話しかけると、私が話し終わるたびに瞬きをしてくれた。昔と変わらず「うんうん」と言ってくれているようだった。

多分、今日の姿は記憶に残り忘れないと思う。おばあちゃんの生きた証を見た気がした。
こんなに老若男女、沢山の人たちがお見舞いに来ることに驚いたし、あの空間は笑いと涙で溢れていた。お店もしながら家事も完璧にこなし、皆に好かれるスーパーウーマンだったと思っていたけど、その他にも私の知らない沢山のエピソードがあった。

少し前に「何か決断に迷ったら、最後にどう死にたいかを考えるといい」と読んだことがある。言いたいことはわかるけど、死を目前にしたことがない私には具体性に欠けていた。
でも今日見た景色が、まさにそれだと思った。
沢山の人に良い影響を与え、笑顔にする。」「生きた証や爪痕をしっかり残していくこと。」これを人生の最終目標としていこうと決意した日だった。


Miu

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