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生まれた言葉が色づきはじめる時間

どなたかが、毎日食事と器のことを考えている、と書いてらしたけどわたしの今の暮らしもそうだ。それは決してスローライフなんかではなく、疲労困憊で帰宅する恋人が一番楽しみにしているのが食事の時間だから。
彼の製図台の上に、手書きのメモが貼ってあり、全ての創造はたった一人の孤独な熱狂から始まる、とあった。
今日1日を大事に、と一緒に暮らしていてもラインや時折口にするこの人は口だけでなく日々の地味な暮らしの中でそれを実践している人だ
お弁当作りと朝食の支度を朝6時に終え、恋人を送り出し朝日の中で洗濯物を干し、昼前に夕食の下準備、ジャガイモやナスの灰汁抜きをしたり調味料を合わせて置いたり、同じ保存方法で保存している野菜の葉物の元気さ加減で、どこのスーパーの野菜は物がいいな、魚はどこどこだな、などと考えていると、あ、昨日あの人がああ言っていた時、わたしの伝えたかったことはこういうことだったのに、と言葉が後から後から降ってくる。
舞い戻った夏の光が中庭のゴーヤのグリーンカーテンを揺らしたり、野菜の葉が水を弾いて喜んでいるような様や光の中で言葉をかけるように調理器具や家財を拭いたりしていると当たり前の幸せは手放しの当たり前でなく、創り上げ、それを継続することは二人の思いやりから生まれる事なのなだと、しみじみ思う。
優しく涙もろくそして、嗅覚が非常に鋭い恋人は柔軟材でさえも微香タイプでないと気持ちが悪くなってしまう、建築士というと、その職業の本当の中身を知るまでは響きがカッコいいなあくらいに思っていたけれど、一度現場監督の日々が始まれば職人を抱え、作業員達に怪我がないよう翌日の段取りを考えていると胃が痛くなり、血圧が上がり眠れなくなるほどだという。そういう繊細さの中に生きるあの人との会話一つ一つがキラキラとほんとうに色づき始めるのはこういうじかんなのだ

以前、交際を始めて三ヶ月目に一度だけ大げんかした時に彼は彼の親友夫婦からあなたは、自分が思っている以上に面倒くさい男なのよ、心が狭いのよ。その狭さの中に彼女はスッと入ってきたのだから彼女の心の広さに救われていると思いなさいと言われたと聞いた

一方その喧嘩の期間丸2日、わたしは母屋に住むお義母さんに、今までなんでも一人でやってきたから一人でやってしまうのが当たり前だったかもしれないけれど、もっとのんびりやりなさい、と諭された。こんなにいろんな話ができるのにこれで貴方達がダメになったら悲しいわと声をかけてくれた

その期間中、彼は母屋(同じ敷地内の実家)に寝泊まりし向こうで食事をしていたのだけど、2日目の夕刻、彼が親友夫婦の家に寄ったのだった。帰途、今日はお家でご飯が食べたいです、体調が許せばご飯を作ってくださいと、メールがあった。

わたしは嬉しくて母屋のお義母さんのところに駆けて行って彼からうちでご飯を食べたいってメールがありました!生姜を切らしているから生姜を分けてくださいって、半べそをかきながらおすそ分けしてもらった。
生姜を手にして母屋から自分たちの住む住処の方に戻る途中、今度はお義母さんがわたしを追いかけてきて、実はね、昨日の夕飯と今朝、ともひろ(恋人の名前、仮名です)、こっちでご飯食べたでしょ、でもわたし、おかずをなぁんにも、作らなかったのよ、って、おどけて言ってくれた事を今でも鮮明に覚えている。
このお義母さんには敵わない、こんな優しさの表し方があるんだなって義母の優しさが身に染みて、まいったな、と、また泣いてしまったのはまだ遠い昔のことではない。

お義母さんと、お義父さん、つまり恋人の両親はとても仲が良く、息子やその嫁となる私に干渉しない。二人の関係が完全で完結している。毎日母屋で家族皆と会話はするけれど、会話を楽しみ、前日あったことなんかを報告し合ってそれぞれのプライベートには侵略しない。義母と義父は理想の夫婦の形だと、二人の会話を垣間見るたびに思う。

それから雨降って地固まる的に以前よりも増して穏やかな日々だけれど、毎日、交わす言葉一つ一つが大切で彼の言葉の中にはたくさんの鍵があり、扉があり、多く語る人ではないからそれを汲み取るのはわたしの力量次第な気がする。
同じ日は二度と来ない。少しずつ積み上げている、まだ道の途中、というより、まだまだ、序盤。