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なぜ私は生きづらさを感じないのだろうか?

「生きづらさ」という言葉を初めて知ったのは、姫野桂さんの『私たちは生きづらさを抱えている 発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』の元となったウェブ連載を読んだときだったと思う。

私は発達障害ではないらしいし(2度ほど発達傷害かどうかのテストを受けたいと精神科医に申し出たことがあるが「問題なく生活でしているのだから、テストする必要はない」と言われた)、当たり前かもしれないが、けっこう辛い目にあったり、思い通りにいかない人生を歩んできたものの、「行きづらい」とか「死にたい」とか思ったことはなかった。

実際に、小学校高学年から高校を卒業するまで、いじめにあい、友達は少い(いや、いないと言ってもいいかもしれない)し、大学時代はそれなりに楽しかったものの、思うような就職ができず、両親から早く嫁に行くことを望まれつつ(お見合いを30回もした)、30過ぎるまで良縁に恵まれず、今思えば、よくメンタル壊さなかったなと、自分でも思う。

彼との破局も、もっと落ち込んで仕事を休んだり、ネットに全部暴露したりしてもよさそうな状況だったのに、心のなかではかなり落ち込みながらも、いつも通りの生活を続けていた。

それは、長年のいじめに耐えたことでメンタルが鍛えられたせいかもしれないし、嫌なことを気にしすぎない鈍感力のなせるわざかもしれないと思っていた。

そんなときに姫野桂さんのツイートが引っ掛かった。

私は「嫌なことや苦手なことから逃げる・避けるのがすごくうまい人」なんだろうか?

確かに、風俗の仕事は接客も、営業用の写メ日記を書いたり、SNSで発信することも、下着姿などのエロい自撮り写真を撮ることも大好きで、「本当はこんな仕事したくないけど、この仕事しかできないし、集客のために、恥ずかしくて嫌だけどがんばって写真を撮って、文章書くのは苦手だけどがんばって毎日決められた回数以上書く」なんてことは全くない。

一方、「リピートを返すためのテクニック」を駆使したり「色恋営業(本当に好きになったふり)」をするのは、苦手だし、相手を騙しているようて嫌なので、しようとは思わない。

幸い、普通に「接客」しているだけで、何人かリピーターになってくれる人がいるから、それなりに仕事が入ってくるが、もし1日に1件あるかないかぐらいに暇になったら、別のお店に移ると思う。

その以前に、風俗の仕事が嫌なことや苦手なことなら、どんな時給がよくても、すぐに辞めるだろう。

同じお店で、仕事のない日や1本しかない日がほとんどで、たいして稼げてない女性もいて、まだ私よりも若いし、他にいくらでもお店はあるのに、どうして、もっと売れそうなお店に移ることを考えないのか不思議でならない。

おそらく、彼女たちは、風俗の仕事しか自体も、嫌だし苦手だとは思うけど、そこから逃げずに立ち向かっている本当は強い人なんだろうか?

生きづらさを抱える人は、本当に自分の好きなこと、得意なことに気がつかず、周りの意見や簡単なやり方に流されてしまっているように、私には思えるのだけど、それは、私が運がよいだけかもしれない。

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