意識の分解能

分解能という言葉があります。
測定の細かさの限界、感度などとも表現されます。
私は物事に接する時、分解能を考えるようにしています。
相手に対する視点をどう合わせるか、と言い換えられるでしょうか。

視点、分解能は一度設定しても固定せず、
調節ダイヤルに指をかけ、いつでも
大きく/小さく回すことができるように意識しています。
とはいっても癖で、分解能を小さくしがちですが😓

ネットを眺めていると、ある農家の言葉に出会いました。
「わし、まだコメを50回しか栽培したことないねん。毎年違う。新しい発見ばかりやわ」

80歳を超したお方らしいです。
50回=50年→600ヶ月→約30,000週→…
分解能を狭めれば、わずかな数になる。
分解能を広げれば、途方もない数になる。

捉え方が違うことで、向き合う意識が変わる。
わずかな数だと、一つ一つが重く感じることも。
途方もない数だと、一つ一つが軽く感じることも。

どの感じ方も誤りではなく、正しいわけではない。
正確なのは、見ている対象は同じであること。

日々のあれこれから視線をずらし、人の一生、国の成り立ち、進化の歴史を想うととてつもなく自分が小さいことを思い出します。

思いに耽っていると恐ろしい気持ちが沸いてくるので、分解能の調節ダイヤルを一気に回し直す。そんなことをしています。

あなたの分解能の設定値はいかがですか。

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