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2020年最後に想うこと。

コロナに翻弄された1年が終わろうとしている。年齢関係なく人が亡くなるのは悲しいことだけれど、やはり自分と同年代とか自分よりも若い人が亡くなったと聞くと、なんとも言えない、やりきれない気持ちになる。

病気も事故も、いつやってくるか分からない。なんの用意や覚悟もなしに「死」がやってくるときはある。それが今日かもしれないし、明日かもしれないし、X年後かもしれない、それは分からない。そう思ったときに夫に伝えておきたいことがあると思って先日、こんな話をした。

1976年11月生まれ、44年生きてきて、私はいつも「今日が人生でいちばんしあわせな日」だと思ってる。日々、最高に幸せな日の記録を更新している。

これまでにしてきた決断が全て正しい決断だったかと言うと、もちろん間違った判断をしたこともたくさんある。だけど、間違った判断から学んだはずなので結果オーライだと思ってる。

常々言っているけど、夫と出会って一緒になったことは私の人生最大のハイライト。2021年2月で結婚17周年になるけれど、その想いは変わらない。毎日毎日、夫と過ごせる時間が愛しくてたまらない。そんな夫との間に出来た息子と娘ももちろん愛しくてたまらない。彼らの日々の成長がとても嬉しくて、その喜びを夫と共有できている事実もとてもしあわせで、あぁ、ほんとうに私はしあわせだなぁ、って心から想う。

だからね、もし今日とか明日、突然、私に死がやってきたときしても「かわいそう」って思うのではなくて「良い人生だったね」と思ってほしい、ということを夫に伝えたの。

私は、過去の出来事に対して「もし〇〇していたら…」と振り返ることはない。もし生きていたら…と未来を仮定することは山のようにできるけれど、過去の「もし」を考えることはしない。後悔していることがないから。


比較的、身近なところで若い死があり、死生観について考えたので、夫にこんな話をした。突然こんな話をしてもちゃんと聞いてくれる夫と一緒にいられること。やっぱり私はしあわせだと思う。

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