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人を裁くって難しい。 To judge or not to judge.

判決が出たばかりのニュース。その判決への各個人の意見がツイッターで溢れてる。

子を持つ母として私も興味深く追っていた。今回の事件はDVの深刻さ、酷さ、根深さを浮き彫りにしたと思っていたがツイッターに溢れる憎悪の言葉を見るに、そうではなかったみたい。人の存在を根底から否定する言葉たちに違和感を覚える。

亡くなった子の苦しみや、愛してやまない母親に助けてもらえなかった彼女の絶望を想像すると本当に居た堪れない。小さな体と心でどんなに愛されようと頑張ったかを想像すると涙なしではニュースを追えない。子どもって無条件に愛されるべき存在なのに....。だけど私は愛しくてたまらないはずの我が子を救えなかった、尋常ではない精神状態にあった母を責める気持ちにはなれない。彼女に非がなかったとは全く思わないが、彼女が意図して好んでこの結果を生んだとも思えないから。

DVの根深さは経験しなければ分からない。逃げればいいと言うけれど、簡単に逃げられるのであればDVって言葉は存在しない。

8年という刑期が重いのか軽いのか私には判断すべき専門知識がないが、一母親としてだけの意見を言えば亡くなった子の命を償うにはあまりにも短い期間だと思う。この何倍、何十倍の刑期だったとしても十分な刑期だと言える自信もない。それほどに亡くなった命は重いと思うから。ただ刑期とは関係なく、この母親は一生、亡き愛娘への償いを胸に生きていくんだとも思う。

私たちに出来ることは亡くなった子のように苦しむ子がいないように、助け出せるように、DVで苦しむ人たちが声を上げられるような社会を作っていくことだと思う。

ツイッターの罵詈雑言を読んでいると、逆にさらにDVが深刻になるんじゃないかと心配になる。




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