三浦小太郎

1960年東京生まれ。雑文家。著書に「嘘の人権 偽の平和」(高木書房)「秀吉はなぜバテ…

三浦小太郎

1960年東京生まれ。雑文家。著書に「嘘の人権 偽の平和」(高木書房)「秀吉はなぜバテレンを追放したのか」(ハート出版)「渡辺京二」(言視舎)共著に「西部邁 日本人への警告」(イーストプレス)現在、アジア自由民主連帯協議会事務局長。

最近の記事

つくる会教科書 検定不合格。しかし「中華人民共和国」はどう見ても「中国共産党政権」だと思う

「欠陥著しく多い」と指摘され、つくる会中学歴史教科書が検定不合格 撤回を要求 来年度に採択される中学校の教科書検定(令和3年度使用)をめぐり、「新しい歴史教科書をつくる会」(高池勝彦会長)は21日、同会が推進する「新しい歴史教科書」(自由社)が文部科学省の検定で不合格になり、採択できなくなったと発表した。平成28年に改定された審査基準により「欠陥が著しく多い」と指摘されたという。つくる会は「初めから落とす意図を持っていたと断じざるを得ない」と強く反発。文科省に対し検定結果の撤

    • 中村哲と火野葦平

      中村哲氏の書いたものを以前読んで、この方は、すべてを分かったうえで覚悟して行動している人なんだと思った。そして、とにかく現場に行かなければだめだ、現場の人々と共に歩まねば駄目だという強い意志を貫いた人なんだと。 これは間違いかもしれないが、遠くで本や情報だけでタリバン政権を批判している人たちよりもはるかに、中村氏はタリバンの問題点はわかっていたと思うし、その人権弾圧も現場で見ていたはずだ。しかし、中村氏はそれを批判するのではなく、そのタリバン政権によって保たれている秩序もあ

      • ラグビーに見た良きグローバリズム

        私はラグビーについては何も知らないし、これまでずっと応援してきたファンでもない。こういうルールもろくに知らない俄かが語ってはいけないのだ。でも、そんな人間にも伝わるものがあったので書いておきます。 ラグビーだけではなく、スポーツのいい試合を見るとつくづく思うのだが、「良きグローバリズム」というものがあるとしたらこういう世界だと思う。ルールを守り、ナショナリズムや伝統を否定せず、かつ排外主義に陥ることなく、チームという共同体の一員となりその共同体を愛し全力で尽くす意思があるの

        • 周庭氏の「霊言」を報じた罪

          当該記事の引用は控えさせていただきますが、幸福実現党が、香港民主化運動家の周庭氏の「霊言」を「幸福実現NEWS」に掲載した件について、少しだけ触れておきます。 私はあらゆる信仰は自由だと思っています。そして、霊言や霊界というものが存在するかどうかは、私には実感できていない以上わからないという立場しか取れません。ですから、少なくとも宗教体験としてそれを実感した方が、その存在を信じることについては、信仰の自由として尊重します。 その体験に共感できる方々がそれを共有し、自らの行

        つくる会教科書 検定不合格。しかし「中華人民共和国」はどう見ても「中国共産党政権」だと思う

          あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」について(3)知識人の民衆蔑視

          あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」について、これで最後となります。いきなりですが、ドストエフスキーの言葉を引用させていただきます。 「「困苦、貧困、苦悩のゆえに民衆を愛すること、言い換えれば憐れみをかけることは、どんな貴族の旦那にもできることで、それがヨーロッパ的教養を身に着けた人情みのある旦那ならばなおさらのことである。しかしながら民衆にとって必要なのは、苦しんでいるということだけで愛してもらうことではなくて、民衆それ自体をも愛してくれることである。」

          あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」について(3)知識人の民衆蔑視

          あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」について(2)政治プロパガンダから自立していない作品は作品とは言えない

          あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」について、あと二つ(あと一つ、の予定でしたが一応一つ増やしました)考えたことを書きます。 (2)政治プロパガンダから自立していない作品は作品とは言えない くどいようですが、私はこの展示会を見てはいません。ネットでいくつかの画像は観ましたが、作品の中には現場でその大きさや立体感に触れないと判断しにくいものもありますので、そこは割り引いて考えないといけないでしょう。ただその上で率直な感想を述べれば、「少女像」やほかの話題にな

          あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」について(2)政治プロパガンダから自立していない作品は作品とは言えない

          「あいちトリエンナーレ2019」内の企画展「表現の不自由展・その後」について(1)展示会の中止という重大問題

          「あいちトリエンナーレ2019」内の企画展「表現の不自由展・その後」については、『正論』編集部の安藤慶太さん(大変お世話になってます)のフェースブックに大体言いたいことは書かせていただきましたのでここでは繰り返しません。何せ私は観に行っていないしたぶん永久にこの展示会という形では見ることはできないだろうから、本格的な批評も批判もできない。ただ、ここでは、自戒の意を込めて、二つだけ書いておきます。 (1)例えばもし、私がかなり政治的にも過激なテーマの展示会を開催したとしますよ

          「あいちトリエンナーレ2019」内の企画展「表現の不自由展・その後」について(1)展示会の中止という重大問題

          竹村健一氏に、ちょっと的外れな(?)追悼文を

          とんでもない勘違いの可能性もあるんだけど、ちょっとここに書かせていただきます。 この前なくなった、評論家の竹村健一氏のこと。私の20代から30代のときは、もうしょっちゅうテレビにも出ていたし次々と新刊を出していた(ちなみに私は昭和35(1960)年生まれ)。私は氏の本は2冊くらいしか読んでいないし、特にこの方に興味があったわけではないんだけど、竹村氏が亡くなった今、ちょっとこれだけは書いておきたいことがあります。 竹村氏はいわゆる保守派としてのイメージが強いんでしょうが、もと

          竹村健一氏に、ちょっと的外れな(?)追悼文を

          ジミー・ディヴィス(カントリー歌手)の選挙演説

          アメリカのカントリー歌手にジミー・ディヴィスという人がいまして、彼は名曲『ユー・アー・マイ・サンシャイン』の作者(実際には他人の作った曲を買い取ったみたい。当時のカントリーではよくあったこと)でもありましたが、ルイジアナの州知事にも当選、職を全うしました。ある意味、「タレント政治家」のはしりの一人かもしれません。 彼が最初に知事選に立候補した時の演説です。 「今日アメリカが直面している問題はただ一つで、それは戦争に勝つことであり、戦争に勝つまでは、その他に重要な問題があるは

          ジミー・ディヴィス(カントリー歌手)の選挙演説

          れいわ新選組をどう見るか

          山本太郎氏とれいわ新選組について、複数の方から意見を止められましたので、簡単にだけ書いておきます。ただ、私のポリシーで選挙前に特定の党を激しく批判したりまた賛同したりするのは避けたいので、これ以上の評価は避けさせてください 1、理論はともかく、運動として、保守を名乗る人は、この動きは舐めないほうがいいと思います。これは例えばシールズとは全く違うもので、確かに新しい運動であることは認めたほうがいい。 今度の選挙ですぐに結果が出るものではないけれど、今後、野党がさらなる解体や

          れいわ新選組をどう見るか

          黒人奴隷は「苦難の行軍」をしていたのか

          (本稿は、『宗教問題』編集長の小川寛大氏他有志によって構成されている『全日本南北戦争フォーラム』2018年冬季号に寄稿した文章を若干修正、編集したものである。このフォーラムは南北戦争を通じてアメリカという国の本質についてきわめて興味深い研究が行われており、ぜひネット上で検索しその活動に触れてみることをお勧めしたい(三浦) 『苦難のとき アメリカ・ニグロ奴隷制の経済学』(R.W.フォーゲル、S.L.エンガマン共著 創文社)という本がある。アメリカでは1974年に出版され、日本

          黒人奴隷は「苦難の行軍」をしていたのか

          乃木伝説から小林秀雄へ(下)

          小林秀雄は満州事変から大東亜戦争に至る時期、あえて時事的なテーマに触れたいくつかの文章を残した。大東亜戦争開戦後は、『無情という事』など古典世界に評論の場を移すが、この時期の小林秀雄は、迫りくる状況に対し、彼の尊敬するフランスのモラリスト思想家、アランの姿を思いつつ対峙していた。 アランは46歳で第一次世界大戦に志願兵として従軍、『大戦の思い出』(この題名は当時の翻訳、戦後は『マルス、または裁かれた戦争』として発行されたが現在絶版)という回顧録を記した。小林は本書の日本語訳の

          乃木伝説から小林秀雄へ(下)

          『乃木伝説の思想』(橋川文三)から『歴史と文学』(小林秀雄)へ(中)

          アメリカ人ジャーナリストの乃木将軍賛歌乃木希典に深い敬意の念を抱き、その人格を称賛したのは、アメリカの新聞記者、スタンレー・ウォシュバンである。彼は従軍記者として、日露戦争時司令部で指揮を執りつつ苦悩する乃木将軍の姿を間近に見ていた。その思い出をまとめ上げたのが、1913年に出版された『乃木大将と日本人』(講談社学芸文庫)である。 まず、ウォシュバンは、この戦場で一人の偉大な人格に出会ったことを、次のように述べる。 「私は直接乃木大将を見、かつ乃木大将を知るに及んで、その人格

          『乃木伝説の思想』(橋川文三)から『歴史と文学』(小林秀雄)へ(中)

          『乃木伝説の思想』(橋川文三)から『歴史と文学』(小林秀雄)へ(上)

           明治から大正に御代が変わる時、乃木希典将軍は妻と共に自裁した。この事件をテーマに、日本のナショナリズムを、左右のイデオロギーから離れて、明治以後の近代化に対する庶民の精神史としてとらえた思想家、橋川文三が、1959年『乃木伝説の思想』という評論を発表している。本稿は、御代替わりの今年、この評論を再読しつつ、様々な思想家、文学者を通じた「乃木希典」の世界について再考してみたい。 白樺派の嫌悪と、芥川龍之介の「将軍」 乃木将軍の自裁に対し、当時の「若き世代の進歩派文化人」とい

          『乃木伝説の思想』(橋川文三)から『歴史と文学』(小林秀雄)へ(上)

          映画『コミック雑誌なんかいらない』は、俳優内田裕也の最高傑作

          内田裕也が亡くなった。彼のことを「樹木希林の夫」や、「都知事選挙での政見放送でロックを歌った人」下手をすると「少し危ないロック界の老人」としか思っていない人々に、ぜひ見てほしい映画がある・1986年に公開された『コミック雑誌なんかいらない』である。監督・滝田洋二郎。それまではピンク映画の監督をしてきた彼の初めての一般映画作品であり、後に『おくりびと』で花開く才能のはじまりでもある。 内田裕也が演じるのはテレビの芸能レポーター「キナメリ」。彼のマンションには同時に全曲を見るた

          映画『コミック雑誌なんかいらない』は、俳優内田裕也の最高傑作

          書評『人間の条件1942』劉震雲著(集広舎) 飢餓難民を救った日本軍

          一九四二年、河南を襲った飢餓 三百万の餓死と、ほぼ同数の飢餓難民の出現 本書は、一九九三年に出版された中国の作家劉雲のルポルタージュ文学『人間の条件1942』と、同作品を二〇一二年に映画化した際のシナリオで構成されている。本書は原作とシナリオを同時収録することで、期せずして、一九四二年から翌四三年に書けて河南地方を襲った飢餓の悲劇と、その中で人間がいかに生き抜こうとしたか、当時の国民党政府も飢餓と難民の出現に対し何の対策も当初施さなかったこと、その中で現実に立ち向かおうとした

          書評『人間の条件1942』劉震雲著(集広舎) 飢餓難民を救った日本軍