「うまく言えないこと」と連れ合う必要性。

うまく言えないこと。眼前に出されたチャーハンの旨さを、言葉でちゃんと表現できない。コンビニの店員、釣り銭を上からジャラッと落としてきたのは一体何の表現だったんだ。好きな子の舌にピアス穴が空いているのを知った時、どうしよう。ガトーショコラの、あの「モッサリ感」と言うか、「ギッチリ感」と言うか、あれを何と呼べば的確なのか、てんで分からん。

それぞれ、この世には「うまく言えないこと」というのがあります。等身大なアレで言えば、好きな人の “好きなところ” なんていうのがそれです。『目の位置が少し低い、鼻がシュッとしていて整っている、長い髪が綺麗だ、おしとやかである……』なんて続ければ、それはモナリザも同様である。“好き” を言語に落とし込むのは、「代替可能だ」という半自明の事実を認めてしまうようでなんだか気が引ける。好く対象、あるいは自分自身にもちょっと失礼しちゃう話である。もちろん、モナリザも綺麗なんだけど。

うまく言えない。言葉にならない。言葉にしてしまったが最後、それはそれとしてのみ存在しうるものになってしまう。自分でベタリ貼ったレッテルに支配されてしまう。グレーゾーンを認められなくなっちゃう。女はこう。男はこう。性差の話をしたいわけじゃないが。『なんとなくあぁなんだよな』と言えなくなってしまう。原色か白妙。1か0。アレはアレ、コレはコレ。そうして極彩色の世界になってしまっては、いつか目が眩んじゃうよなぁ。まぶしいまぶしい。

うまく言えないことは、うまく言えないままで良いんじゃないでしょうか。「良いんじゃないでしょうか」は間違い。良い。うまく言えないままで良いです。上手い言葉にまとめる必要は無い。すべてを言葉できっぱり表せるなら、すべての詩が死ぬ。短歌が死ぬ。言語が死ぬ。あらゆるコンテクストが死んで、遠く、文化が死ぬ。それは困る。

「うまく言えない」を許す。言語に落とせることこそ正義だ、とする感覚に火をつけて燃やし尽くす。うまく言えないなら、そのままにしてしまう。チャーハン。なんか美味い。焦げたネギは美味い。コンビニの店員、お釣りを手に落としたのは何だったんだ。怒りか知らん。好きな子の舌にピアス。昔付き合った男の子の影響ですかね〜〜。ガトーショコラはモッサリともギッチリともしている。ギュッともしている。美味いからなんでも良い。

ある種、諦めることが大切なんである。ハッキリとした言葉にすることで共通項が生まれ、互いの理解はのどやかに促せるけども。そんな、100点の解答だらけな世界は嫌だ。つまんねえ。ゆるやかな哲学をやろう。ドーナツをそれたらしめるのは、穴なのか。生地なのか。知らん。うまく言えないなら、うまく言えないんで良いのだ。ドーナツは、不変の事実として、明らかなる当然の事象物として、美味な訳なんである。それでいいのだ。すべてを整然と言語化しちゃうなんて、いわば野暮なのでございます。いっそのこと、うだうだ連れ合いましょう。パキッと言い切れることなんて、この世にはあんまりございませんので。

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