『金なんか、持ってる奴が払えばいいんだよ』

 年がら年中飽きもせずに酒ばかり飲んでいる僕は、お金の残し方・貯め方というのを知らない。さして困っている訳でもないが、久々に会った同年代の友達が『結婚資金貯めてるんだけどさ…』と語り出した時はさすがに焦った。僕もなんとかしなきゃいけない歳なのか、と思った。ただ、ここにもいつもの都合の良い考え方が芽を出してしまう訳で、(まあ、相手もいないしとりあえずは大丈夫だよな)と思ってしまう。帰り道、線路沿いの寂れた居酒屋で一人、3杯ほどの焼酎水割りを飲んだ。つまみはハムエッグと赤ウィンナー。一番好きな組み合わせである。会計は1600円。いつも助かる。

 下北沢の居酒屋にて、友達と二人で酒を飲むことになった。何やら燻製の良い店があるらしい。彼の言うままについて行き、ビールを注文。燻製をいくつかと、あとは忘れた。記憶はわずかな断片しか無い。その内のふた欠片として思い出せるのが、僕はその時、その場の会計に足るお金を持っていなかった点と、彼の優しい一言である。

金なんか、持ってる奴が払えばいいんだよ

 ちょっと格好つけたのかな?と思った。寂れた下町に住みたい、できれば汚ねえ居酒屋で酒を飲みたい、ビートニク文学が好きだ、パンクロックが大好きだ、そんなだらしない僕に対してちょうど良い、ちょっと汚らしく見えがちなことを言ったのかな?と思った。若干意地悪な気分ではあった。が、心から嬉しかった。

 その通りだな、と思う。これは別に、「金なんか、金持ちが出してくれれば良い!金の無い僕に、できればみなさん恵んでください!」という乞食精神では決してない。「乞食精神」は言葉が悪いが。ただ、本当にそういう事ではなくて、つまるところこれは、「俺もそれを言う側の人間でいたいな」というやつである。

 人を幸せにするためのお金の使い方は、すべてお父さんから学んだ。友達が家に来れば何かを必ず持たせ、自分のバイクを改造するために買った部品は、その日のうちに人にくれてしまう。多分、馬鹿なんだと思う。頭のどこかが、少しおかしくなってしまってるんだと思う。彼のそんな姿をずっと見ていた僕は、いつの間にかそれを自分の目標にした。僕もそんな馬鹿でありたいと思うようになった。あの人は北海道出身だけど、どこの誰よりも江戸っ子の気質を持っていると思う。蝦夷っ子である。これはつまらない冗談。

 そういうことを、一つのてらいもなくできる人間でありたい。僕も格好つけて、「俺が持ってる服なんか、全部持って行って良いよ」と常々言葉にはするものの、やっぱりそこには自分というのがあるわけで、買った直後の服や靴は人にあげられない。それを軽々やってのけてしまう僕のお父さんは、本当にすごいと思う。小学生並みの感想しか出てこないが、あの人は本当にすごいのだ。

 人に対して何かを施すこと。燻製の店で酒を仰ぎながら、『今日はちょうど金持ってるから、俺が出すよ』と言った僕の友達。ちっちゃいガレージの中で、『ある物なんでも持って行って良いぞ!』と豪語していた僕のお父さん。自分の周りにそういう類の人間が多くいてくれるのは、本当に幸せです。

 また、彼ら以外にも、たくさんのそういう人間が僕の周りに生きています。かまけ過ぎず、寄りかかり過ぎず、近くにいて下さる彼らを目標にして生きていこうと思います。給料日、毎月の25日を過ぎた辺りは、ぜひお声がけください。その日は俺が、全部払います。なるべく全部。金の話はちょっとやらしいけど。いつもいつもありがとうございます。やっぱり僕は、こういう文章しか書けません。似たようなもんですが、下の文章もどうぞ。

利己と利他を超越する、僕のお父さんの生き方。https://note.mu/miuranozomu/n/n4685d611c063

頂いたお金で、酒と本を買いに行きます。ありがとうございます。