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俺の文章は面白いよ。

 俺は、自分が書いた文章を面白いと思っている。まぎれもない自画自賛である。「画」ではないけど。誰に見せても恥ずかしくない文章を書く自信がある。人から文章を誉められたとき、『三浦くんのファンです 文章面白いと思います』と言っていただいたとき、僕は毎度「ありがとうございます」と返す。「いやー、それほどでもないです」とは決して言わない。

 自信を持って書いているからだ。これは別に、「誰かにウケるための自信」じゃない。人から誉められようとして書いたものは、これまでひとつとして無い。俺が、俺のために、俺が喜ぶように、書いているのだ。その時点、他人は関係無い。伝えたいことも特に無い。僕の文章が誰かのためになれば、それはそれで素晴らしいことだと思うが、プライオリティはそこじゃない。自分だ。

 究極の利己が利他を生み出す、利他を突き詰めれば利己になってしまう、という文を書いた。父の話だ。あれは、「こう生きたら良いよ」と人様にアドバイスを投げ掛けたわけじゃない。俺はそこまで出来た人間じゃない。あれこそまさに、自分のための文章だ。「美しい人間になりたい」という、独りよがりな意気込みであり、引っ込み思案の独り言である。

 あの文章を挙げて、『三浦くんのお父さんにはいつかお会いしたい』と言ってくださった方がいる。これは、願ってもない出来事だった。俺が、俺のために、俺を喜ばせるために書いた文章で、人様が感動したり共感したりしてくれる。心を動かしてしまったという実感。これぞまさしく、究極の利己が利他にすげ替わってしまった一瞬だ。


 これからもずっと、俺が喜ぶための文章を、自分の手で書いていきたいと思う。自分の一番のファンは、自分であり続けたいと思う。それこそが「自信」であり、それなくして良い文章を書こうだなんて、夢のまた夢だ。

 人のためを思って「~のための3つのコツ」なんていう文章を書くつもりは、さらさら無い。俺は、俺のために、誰よりもまず自分が喜ぶための文章を書く。読んでくださる人に対していつも感謝の気持ちを持ちつつ、これまで、誰一人として『チラシの裏に書けや』と言った人が無かったのを幸せに思いながら、ずっと自己満足をエンジンに文章を書こうと思う。人様が読むための形を保ちながらも、ひたすら内向的に、常に矢印を自分の方を向かせて書きまくろうと思う。

 これまでも、これからも、いつもいつもありがとうございます。しばし、このナルシズムにお付き合いください。

頂いたお金で、酒と本を買いに行きます。ありがとうございます。