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ご飯もタバコも遊ぶ場所も、いつも同じだ。

 食べる物に大した興味がない。「完全食」の三文字には物凄く興奮した。そればっか食っていれば健康を害することもなく、きっと心身健やかでいられるんだろう。ただ、それをネットで注文するのは些か面倒なので、僕は毎日変わらず、野菜ジュースとチャーハンを食べて生きている。フリーランスになってからというもの、毎日こうだ。おばあちゃんが送ってくれたレトルトの白飯に卵をぐちゃぐちゃかき混ぜて、テキトーに塩コショウをかけて炒める。味が薄ければ、出来上がったチャーハンにまた塩とコショウ。もしもしょっぱくなったら、ちょっとの水をかければ良い。

 タバコの銘柄に興味がない。メンソールであれば良し、他は何でも良い。尊敬するデザイナー・山本耀司が吸っているというのを聞いて以来、僕は「ハイライト」というのを吸うようになった。これも別に、こだわりでは無い。映画「苦役列車」を観て以来、その日暮らしのだらしない主人公に憧れはした。彼もハイライトを吸っていた。が、別にスースーすれば何だって良い。280円のちっぽけな三等タバコで良い。火が点いて涼しい煙が出れば良い。

 遊ぶ場所にも興味がない。友達が『ここ行きたい』と言ってきたら、バカ正直な顔でそこへついて行く。僕にだって行ってみたい場所のひとつぐらいはあるが、何度も何度も通いたいわけでもなく。下高井戸の床屋か、代田橋の居酒屋か、渋谷の洋服屋、あとはなるべく家にいたい。スポットで目的の場所が現れて、いざそこに一度行ければ、すぐに帰りたい。きっと居酒屋に入りたい。居酒屋はどこのでも構わず。春はホタルイカ、夏はきゅうりの浅漬、秋はサンマ。冬は白子とあん肝があれば最高だ。ただ、これらも別に、こだわりではない。何でも良い。


 『こだわりが無いのがこだわりです』とは到底言う気にならないが、部分そういう感じである。酒なんか最悪酔えれば何だって良いし、ビールや日本酒の銘柄は覚える気にもなれない。飯も、腹が満たされさえすれば。「うまけりゃなお良い」くらいのもんである。タバコなんていっそ吸わなくても良いし、遊ぶ場所はなるべく固定で、いつも同じところへ行きたい。

 いっとき流行った「ミニマリスト」になるつもりはほとほと無い。だったら、僕の部屋はもっと綺麗だっただろう。ミニマリズムは連続性です。部屋を綺麗に毎日掃除できる人間こそ、そう呼ばれるべきだ。僕のはただの怠惰である。毎度丁寧にアイロンがけしてパリッとシャツを着ているのと、量販店で安い白いTシャツを7枚買って毎日着ているのとは訳が違う。ミニマリストには意思がある。僕には無い。つれない人生を送っております。

頂いたお金で、酒と本を買いに行きます。ありがとうございます。