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僕に対しては、別に敬語じゃなくて良いです。

 僕を「年上の人」として慕ってくださる方がいる。「先輩」になることもある。僕はいつも、もどかしくなる。

 たしかに、目上の方に敬語を使うのは、ここ日本において絶対必要なことであると思う。僕もそうしてるし、そうするのが常識だとは思う。50歳のおじさんに「そうだよね〜!」なんて言ってる人は、きっといない。

 ただ、こと僕に対しては、そういう類のものは不要である。僕はそこまで出来た人間じゃない。「目上」なんてカテゴリーに入れて良い人間じゃない。自分のことは、酒を飲んで酔っ払ってるだけの、ただのくだらない奴だと思っている。僕より年下で、僕よりもずっと立派な人なんかごまんといる。これは、自分を卑下しまくりネガティブな感情に任せ切って言っている訳ではない。心からそう思ってる。僕よりもちゃんとしてる20歳。21歳、22歳。

 もちろん、僕以外の年上の人に対しては、きっちり敬語を使った方が良い。それは当たり前の話で、そんなこともできない人はダメだ。年上は尊ぶべきである。敬うべきである。

 僕には、3歳ほど年下の親友がいる。1つ下の盟友も。彼らは、フラットな立場にそれぞれいてくれて、いつからか僕に対して敬語なんていうものを一切使わなくなった。敬う気持ちはあるはずだけど、それを形式としての「敬語」に乗せることはしない。『三浦は本当にダメな奴だな』とか言う。『これ、どうしたらいいかなぁ?』と悩みをぶつけてくる。僕は、それが本当に心地良いのである。


 大学時代の僕は、剣道部の主将だった。前の主将からその座を渡され、気づいた時には部活のトップに立っていた。僕なんかが。ヘラヘラしてたら、いつの間にかキャプテンになっていた。

 予想通り、年下の人々は僕を舐め腐った。「舐め腐った」というのはわざと使った言葉であり、そんなにネガティブなことではない。すごく仲良くしてくれた。『三浦はなんでそんなにだらしねえのよ』といつも尻を叩いてくれた。2個下の副主将が。マネージャーに関しては、もはや呆れてしまっていた。「すいませんねえ」と何度言ったことか。

 そうして、だらしなくヘラヘラしてるだけの主将として2年間ほどを過ごし、引退。副主将の仲良しに僕の座を譲る。「頑張ってね」と言った。『三浦が主将で良かったよ 本当に楽しかった』と彼が言った。「へー、そうなんだ やったぁ」と言って、そのまま僕は大学を卒業した。

 腕を組んでエッヘンオッホンと威張ってるような奴には、決してなりたくなかった。絶対に嫌だった。それが原因で後輩がかしこまってしまい、思うことを言えなくなってしまうのが嫌だった。それは、僕の前の主将がそうだったとかではなく。なんとなく、想像できたのだ。体育会系の部活あるあるみたいなやつ。めんどくせえやつだ。

 僕はそういうのが本当に嫌だったのである。だから、ずっとヘラヘラしていた。やらなきゃいけないことだけはほどほどにやって、他はなーんにもしなかった。「後輩」はよくやってくれたと思う。こんなクソだらしねえ奴に、よくもついてきてくれたなと思う。


 理解していただけているとは思うが、これは「誰に対しても敬語なんて使うな!」という話ではない。「僕なんかに敬語を使うなんて、もったいないよ」という話だ。敬語の無駄遣いである。そんな余裕があるなら、もっと立派な師匠や先輩に対して、心からの敬語を使った方が良い。ただ、僕は、年下の誰に対しても「フラットな立場」を求めているだけである。同じ高さの目線で、物を言って欲しいのだ。

 これは、きっと、僕が尊敬する先輩の「鳥井さん」も同じようなことを思っているはずだ。彼は僕に対して、自分が年上であるにもかかわらず、とても綺麗な敬語を使う。『三浦さん』と呼んでくださる。こんな僕なんかを。

 僕がいつも口にする、「僕なんかに敬語を使わないでくれよ」というのと似ている。彼は、「敬語」という一線をきっちり引くことで、自身にそれを課すことで、互いの関係をフラットな立場に持って行く。僕の方は、年下の相手にその一線をぶち壊してもらうことで、同じ高さの位置に立ってもらう。これらはきっと、彼と僕とで方法は違えど、同等のことだと思う。僕の方が怠惰なのだが。

 とにもかくにも、僕なんかには敬語を使わない方が良いと思います。これは、「俺をバカにしてくれ!」というマゾヒズムじゃありません。言わば、「仲良くしてください」の言い換えです。僕に対する敬語なんてやめて、もっと楽に楽しく行きましょうや。敬語の方が楽だなと思ったなら、それを使えば良いとして。ゆる〜く仲良くしてください。

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