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僕は「人たらし」なんかじゃない。

 同居人が休日の昼過ぎ、ふと思い立ったように僕へこう言った。

『三浦ってさ、人たらしだよね』

 人たらし。「たらし」は、漢字で書くと「誑し」になるらしい。「たらし」の他に、「たぶらかし」という読み方もあるようだ。だまして惑わすこと。人をあざむくこと。要は、「迷惑な嘘をつくこと」であった。

 「どういうこと? 嘘つきってこと?」と聞くと、『いや、』と首を横に振る。『 "女たらし" ってあるじゃん。雰囲気の話だけど、なんとなくやけに女に囲まれてるような男のこと。なんというか、誰も傷つかなそうな嘘をついて女にモテてるような。嘘は言い過ぎかも。媚びまくってるまでは行かない、バランス感覚に長けてるような奴。何をしても女に好かれる奴。どうも器用で、周りからすればちょっとムカつく奴』 「あー、いるいる」 『それが "対女" だとすれば、三浦は "対人類" というか。難しいな。これはちょっと褒めてるよ』 「対人類って、ゴジラみたいだね」 『話聞けや。そういうとこだぞ』 「何だよそれ。どういうとこだよ」

 どうやら、彼から見た僕は、「人たらし」らしいのだった。何言ってんだかよく分からなかったが、そうなのだった。『人を傷つけなそうな嘘?をついて、人からモテてる』、『人に媚びまくることはないのに、何をしても人に好かれる奴』、『どうも器用で、周りからすればちょっとムカつく奴』なのだった。


 そんなことは無い。僕はきっと「人たらし」じゃない。その言葉はなんとなく聞いたことがあって、「ゴジラみたいだね」はもちろん冗談であった。どんな人間からもなんとなく好かれる、ピグモンみたいな奴のことだろう。これはテキトーな冗談です。

 ふわっと理解し、ネットの記事をじっくり読んだ上でも、僕は「人たらし」なんかじゃ決してない。なんとなく好かれようだなんて、全く思っていない。僕なんかを好きでいてくれる人は、そこそこ存在すると思う。浮かれきった自画自賛ではなく、事実である。本当にありがたいと思っている。

 僕は、自分に関わるすべての人間が好きだ。誰も彼も、全員好きだ。太っていようがブサイクだろうが、多少身体から変な匂いがしようが、全員良いと思う。そもそも、くだらない僕なんかと関わり続けてくれる時点で、相当良い人だと思う。好きだ。下は、コテコテに酔っ払ってつぶやいたツイート。非常に馬鹿っぽい。

  「酒を飲めば本心が出る」という言葉をよく聞くが、結構的を射た真理であると思う。僕には、素面でも上を言える自信がある。僕は馬鹿だ。

 僕が人から愛されるらしいのは、もっとも「愛しているから」である。これだけは言い切れる。純粋な気持ちで、まっすぐ愛しているからである。誰かに好かれ好かれて甘い汁を啜ろうだなんて、微塵も思っていない。僕が想う人に対して、僕が思うように愛している。お返しは要らない。返ってくるものなんか、無くて良い。いっそ無い方が良い。一方的に愛しているんである。


 人たらし:『人を傷つけなそうな嘘?をついて、人からモテてる』、『人に媚びまくることはないのに、何をしても人に好かれる奴』、『どうも器用で、周りからすればちょっとムカつく奴』

 嘘は無い。本心で、みんな好きだ。 / 何をしても人に好かれる。そんな訳が無い。好きだと思っているから好かれるだけの話である。天狗っぽいな。 / 『どうも器用』、そんなはずがない。好き好き言っているだけの奴が器用なら、周りはみんなノーベル物理学賞なりノーベル化学賞なりを貰えるよ。

 僕は「人たらし」なんかじゃない。『この文章がそもそもなんか媚びてるっぽいんだよ』と言う人がいるなら、それは謝る。多分、友達はそう言うと思う。でも、本心です。ウケを狙ってなんかいません。今日は、そんなに酒も飲んでいないです。すいませんが。いつもありがとうございます。愛してます。

頂いたお金で、酒と本を買いに行きます。ありがとうございます。