「良い文章」って、何なんですか?

 初めて文章を書いたのは、小学校の頃。国語の授業で、校舎の裏の森にみんなで出かけた。サンショウウオを見たり、その辺に生えてるタンポポなんかを見たりしたはずだ。その後教室に戻ると、先生が『じゃあ、今日の感想を作文用紙に書いてみよう』と言った。みんなでせっせと文章を書いた。僕はリザードンの絵を描いて叱られたんだっけな。

 近頃、文章を褒められることが増えてきた。『三浦くんの文章、良いね』と言っていただくことが、だんだん多くなってきた。『情景が浮かびやすくて読みやすい』とか、『エモさがとても良い』とか、単純に『良い』とか。僕は、こと文章に関しては絶対の自信を持っているから、「そんなこと無いですよ〜」とは言わない。必ず、「ありがとうございます」と言う。謙遜は決してしないつもりだ。

 自分は、良いと思っている。僕が書く文章は、自分にとっては最高の文章だ。でもなきゃ、noteの公開ボタンなんか押す訳が無いし、チラシの裏に書いてビリビリに破いて捨てるくらいで良い。書き連ねている間、パソコンのキーボードを叩いている間、僕はずっと陶酔している。しつこくならない程度に例を挙げよう、たまにぶっきらぼうな言葉を使うことで理解しやすい形にしてみよう、かえって難しい言葉を使い、本気で思ってる感じを出してみよう、とかをくどくど思いながら、ずっと酔っている。(俺はなんて素晴らしい文章を書くんだ)と思ってる。

 それが、最近、自分以外の人から褒められるのだ。『良い文章だ』と言われるのだ。もちろん嬉しい気持ちや感謝の念はたくさんあるが、いつも理解できず苦しむ。「良い文章」とは何なんだろう、と毎度思う。

 僕はきっと、「作文のテストで100点を取れる文章」が書けない。同じことを、言葉を変えて何度も書く。「嬉しい。すごく嬉しい。」と書いてしまう。また、「僕」「俺」をごちゃ混ぜにしたりもする。確信犯的であり、何も考えずそうしている訳ではないが。でもきっと、そんなのが含まれた文章には、満点はあげられないと思う。赤ペンで『主語の統一』とか、『トーンとマナーに気をつけましょう』みたいなことを書かれるのがオチだ。部分点止まりの文章である。

 その上で、人から褒めていただく際の『良い文章』とは何なんだろう、と考える。彼・彼女が言うところの『読みやすさ』は、一体どこから来るものなんだろう、と。多方面で言われているような、『話すように書く』とか、『ロジカルに書く』とかいうのが作用していそうだけど、特別意識はしていない。思ったことを思ったように書いていたら、知らず識らずのうちに褒めていただけるようになった。それが不思議でならない。

 「良い文章」とは何なのか。ずーっと考えている。未だ答えは一つも見つかっていない。

頂いたお金で、酒と本を買いに行きます。ありがとうございます。