見出し画像

神社がなくなる!?

先日バスに乗っていた時のことです。
ふと、「そういえばこの辺りにお稲荷さんの神社があったな」と思い、窓の外を覗いていたのですが、あるべき場所に神社がない?
それどころかマンションになってる?
場所を勘違いしたのか?
いやそんなことはない。
確かにここに違いない。

急いで次のバス停で降りた。
そして戻った。
やはり神社はなかった。

神社があったとは思えない

場所は千本旧二条、神社の名は出世稲荷神社。
千本通に面して鳥居が建っていたし、目の前のバス停の名も「出世稲荷前」だったのに、今は立派なマンションが建っている。
しばらく通っていないとはいえ、神社が無くなるなんて……。

元々は豊臣秀吉が造営した聚楽第の邸内社として創建したそうで、聚楽第完成の翌年、後陽成天皇が行幸された際、秀吉の立身出世に因み「出世稲荷」の号を授けられたということのようだ。

秀吉没後、聚楽第取壊しの後も元の場所に出世稲荷としてあったが、1663年(寛文3年)に千本旧二条に移転。
この地は平安京の大内裏にある大極殿の応天門の跡地と比定されている。

因みに大極殿だいごくでんとは、大内裏だいだいり朝堂院ちょうどういんの北に建つ正殿しょうでんのことで、 中央に高御座たかみくらを設けて天皇の御座ぎょざとし、重要な行事が行われた場所である。

余談になるが、平安神宮の社殿は、平安京・大内裏・朝堂院を8分の5の規模で再現したもので、大極殿に相当するそうだ。

江戸後期には300本を超える鳥居が立ち並んでいたともいわれるが、地域に氏子がないこと、文化財指定がないことなどから、老朽化した社殿の維持・修復が困難となり、境内地を売却。
2012年(平成24年)6月に千本旧二条より左京区大原に移転した。

近代になって神社が移転など前代未聞と思いきや、理由は様々だが以外にも日本中にいくつかあるようだ。
それよりも私自身は移転してから10年も気が付かなかったことにショックを受けている。
だから、機会を見つけて大原まで行ってみようと思った。

創建当時や鳥居が多く立ち並んだ時期を知らない私が知っている出世稲荷は、境内地も狭く失礼な話だが神社名に対して貧弱な神社だと思っていた。
だが、HPを見る限り、元の神社からは想像できない程に立派な神社になっているようだ。
元々勝負運の神なのだから、これを勝ちと考えるべきか、これを出世とみるべきかは、また別の話にしよう。

名残りはこれだけ

考えれば、バスの車内アナウンス「次は○○です」で気付かなければならなかったのだ。
元のバス停の名は「出世稲荷前」だったのに、目の前の千本通を通る京都市交通局、京都バス、西日本JRバスの各社は停留所名を「千本旧二条」と改めてしまった。
一社くらい「旧出世稲荷前」でも良かったのではないかと思うのは私くらいだろうか。
これで、マンション敷地の一角に淋しく建つ「出世稲荷跡」の神蹟だけになった。
三羽 烏

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?