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いずれがあやめか 杜若 さらには菖蒲に アイリスも

二千二十二年 四月

はじめに

この書は完成品の一部抜粋です。
シリーズ三作目です。

前作同様、この書には悪者は出てきません。
殺人などの物騒な事件も起こりません。
詐欺などのややこしい事件も起こりません。
そこには日常の神や仏がいらっしゃるだけです。
今回は、少しだけ危ない話かもしれません。

また、この書は、神や仏を中心に書かれています。
神や仏のことには余り詳しくないんだという方々のために、神となった背景や係わった歴史の一場面などが書かれています。

場面は京都ですから観光案内書のような一面も併せ持っています。

また、この本の特徴として情景描写がほとんどありません。
会話が主です。
読まれた方が想像していただければ、それぞれの世界が広がるはずです。
神や仏に決まりきった世界は必要ないと私は考えています。
それでは、真面目だったり、ぶっ飛んでいたり、お転婆だったり、悩みを抱えていたりする神や仏の姿をご覧ください。
そして、それぞれの世界で神や仏と戯れてください。

女神降臨

 ここには私が知る限りの事実や不実が書かれています。
どうか鵜呑みにされませんように。

春爛漫、新緑が目に優しい。
暖かな風は冬の間に溜め込んだパワーが一気に噴き出したみたいだ。
花粉症さえなければ過ごしやすい季節なんだけどなあ。
いつの間にか辛い季節になっちゃったなあ。

「お前にも美しい女性を拝ませてやろうと思って伴ってきたぞ」
と月様がやって来た。
セクハラ丸出しのセリフだが言われた当の女性神は言われ慣れているのか、さも当然というふうにしている。

セクハラ発言のご本人、月様とは、月読命ツクヨミノミコトという神様で、伊勢神宮に住まう天照大神アマテラスオオミカミの弟神であり、八岐大蛇やまたのおろち退治で有名な素戔嗚尊スサノオノミコトの兄神である。
ひょんなことで知り合い、度々我が家を訪ねて来られる変な神様です。

「お名前を伺ってもよろしいですか?」
「彼女は磐長姫命イワナガヒメノミコトといい、貴船神社の中宮、別名結社ゆいのやしろに住まう国津神で私の姪っ子だ。平安時代の女流歌人、和泉式部が夫のことで結社を参拝し歌を捧げている。歌の内容は忘れてしまったが、その歌碑が今も境内に建っている。そのえにしからか結社は恋の宮とも呼ばれているそうだ。岩のように変わらぬことを信条とし、延命長寿、家内安全、子孫繁栄、縁結び、いわく付きではあるが縁切りの神として名高い」
月様、舌が滑らか。そして姫は沈黙。

姫がお持ちになった鞄から何か取り出そうとしている。
ノートか?
スケッチブック?

あれは先ほど月様が言っていた和泉式部の歌か?
『ものおもへば さわのほたるも わがみより あくがれいづる たまかとぞみる』
(物思へば 沢の蛍も 我が身より あくがれ出づる たまかとぞ見る)

ページを捲った。現代語訳?
『切ない恋に思い悩む私には、沢を飛び交う蛍の光が、我が身から抜け出てさまよう魂のごとくに感じられます』

当時は、身体から魂が抜け出てしまうと、死んでしまうと信じられていました。
それほどに、やるせない恋だったのでしょう。
和泉式部の切ない胸の内がよく理解できます。

またページを捲った。
『おくやまに たぎりておつる たきつせの たまちるばかり ものなおもひそ』

また捲った。
『貴船の神の返歌』
貴船の神って姫のことだよね? それで現代語訳は?

『激しく落ちる滝の、飛び散る飛沫しぶきのように、あちこちに心を乱して、物思いしなくてもいいよ』

『後拾遺和歌集』では、和泉式部への返歌として、貴船明神が男の声で詠んだということです。
姫のことじゃないのかなあ?

それにしても、あのスケッチブックはフリップだよね?
事前に用意されているとは。
淀みのない展開はリハーサルでもしたのだろうか?

「最後の御利益、縁切りだけ少し毛色が違うようですが」
「それは後で説明しよう。それよりご家族がスゴい。彼女の親は大山祇神オオヤマツミノカミといい、愛媛・今治の大山祇神社に鎮座される。大山祇神社は全国一万社以上あるとされる山祇神社・三島神社の総本社でもある。ご本人は山神の総元締めであり、海の神でもあり、酒の神でもあり、農業や漁業の神でもあり、その他諸々の神でもあり、とにかく八面六臂の活躍をされている神だ」
「すごい神様ですね。その方がお父上?」
「歴史上の活躍から男神だと思われているが男神か女神かの区別の表記はない。ある書によると山の神はすべて女性であるとされている。山は実りが多い。だから子を産み育てる女性のイメージが反映されているのだと思う。今は言わないかもしれないが奥さんのことを山の神というのもここからきている。この神は嫉妬深く女性が山に入るのを好まなかった。だから女人禁制の山があるというわけだ」
「なるほど、日本中に今もある女人禁制の場は、山の女神の嫉妬からということですね」
「それだけではないがまあいい。ある書によると鹿屋野比売神カヤノヒメノカミと婚姻し、多くの子を授かったとあるから男神となる。書による記載が正しければ二人の間に八人くらいの子供がいたはずだ。さらにこの二人は同じ両親から生まれている。つまり兄妹(または姉弟)で婚姻したということだ。男神か女神か、どちらが正しいのか定かではないが、いずれにしろパワフルな御仁であることは間違いない。姪っ子に聞いてみたがとぼけた答えが返ってくるだけで、ちゃんと答えてくれない。さらには瓊瓊杵尊ニニギノミコトと、弟の素戔嗚尊スサノオノミコトの義理の親に当たり、なんと伊弉諾イザナギ伊弉冉イザナミの子であると古事記に記されている。つまり私の兄弟だ。因みに私の兄弟姉妹は多過ぎて全部覚えられない。親類縁者となるとそれこそ星の数ほどいるんじゃないのかなあ」
「今までの説明は古事記の話ですよね? 日本書紀では違うのですか?」
「日本書紀では伊奘冉に火傷を負わせ、それが原因で死に至らしめた加具土神(カグツチノカミ)を父が切り殺したときに生まれたとある。いずれにしても私と近い関係にあって豪放磊落な神だと聞いている。残念ながら会う機会がなかなかないのだが、こうやって姪と仲良くしていると、そのうち会えるだろうと思っている。そうそう、初代天皇の曽祖父でもあるらしいぞ。ん? 曽祖父ということはやはり男神だよな。どうなっているんだ一体。いい加減だなあ。神話の類いは辻褄の合わないことが多すぎるな。過去に古事記や日本書紀を学んだ人間たちは、おかしな点や明らかな間違いを、指摘して修正しなかったのか? ちょっとお粗末過ぎないか? 今後話の途中で大山祇神が出てきた場合は男神として扱うことにするからな」
女神は一言も口を開かない。自分のことや自分の親のこと。
さらにはその周辺の話を初めて会った人間に語られているのに口を挟もうとしない。
関心がないのか?
それともすべて真実だからなのか?
月様が語る与太話と思っているのか?
これぞ岩のようにということか?
そして美しい。
光り輝くようだ、ってホントに少し光ってないか?
それにしても今日の月様は良く喋る。

花の万博

 「磐長姫には妹がいてな、姉に負けず劣らず美しい姫だが木花咲耶姫コノハナサクヤヒメという。名前くらいは聞いたことがないか?」
「かれこれ三十年ほど前になるでしょうか、大阪で開催された花の万博でそれに近い名前を聞いた覚えがあります」
「それは、咲くやこの花館だろ。似ているが全然違うぞ。まあ妹姫の名前から考えられたんだろうがな」
「すみません」
「この話をするとよく出てくる名前だから覚えてしまったよ」
おーい、同じ話をあちこちでしてんのかい?
やっぱりさっきのページ捲りの展開も出来レースなんだな?
それにしても月様がこんなに話し好きだったなんて。

花の万博、正式には国際花と緑の博覧会という。大阪の鶴見緑地で一九九〇年に半年ほどの期間行われた。日本を含む八十三カ国、五十五の国際機関、二百あまりの企業と団体が参加し、総来場者数は二千三百万人余りで当時の特別博覧会史上最高記録だったらしい。跡地はそのまま大きな公園として使われている。

「さて登場人物も出揃ったところでここから曰(いわ)くつきの話だ」

妹の結婚

 ここは筑紫つくし日向ひむか高千穂峰たかちほのみねにある瓊瓊杵尊ニニギノミコトの宮殿。
建御雷神タケミカヅチノカミにより平定された葦原中国あしはらのなかつくにで瓊瓊杵尊はのんびりと日々を過ごしていたのでした。

「ようやく来たか咲耶姫サクヤヒメ、待ちわびたぞ。今日からお前は俺の妻だ」
「よろしくお願いいたします」
「うむ。ところでお前の隣にいるのは誰だ? 召使いか?」
「わたくしの姉で磐長と申します」
「姉だと? 似ても似つかないが母が違うのか? それとも父か? ひょっとすると養子か?」

話は少し前に遡ることになります。
ある日、瓊瓊杵尊は笠沙かささ之岬(現・鹿児島県野間岬)に出掛けた時、麗しい美人に出会ってしまうのです。

「麗しい娘御、そなたはどなたの娘か?」
「その問いにお答えしてよろしいのかしら? あなた様がどなたなのかも存じませんのに」
「これは失敬した。俺は瓊瓊杵といい、高天原の最高神の孫にあたる」
「御無礼いたしました。私は大山祇の娘で神阿多都カムアタツ、またの名を木花咲耶と申します」
「俺はそなたを妻に迎えたいと思うが、どうだろうか?」
「私にも嗜みというものがございます。それ故に今この場で私がお答えすることはできかねます。きっと私の父が代わりにお答えすることになりましょう」
「それは道理。ならば必ずそなたを妻に迎えられるようお父上に頼もう」
「お待ち申し上げております」
瓊瓊杵尊は木花咲耶姫に一目惚れしたようですが、木花咲耶姫もまた瓊瓊杵尊を憎からず思うのでした。
そして後日。

求婚

 「お前が大山祇オオヤマツミか?」
「そうだが」
「俺は瓊瓊杵という。高天原の最高神の孫にあたる」
「その孫が何用だ?」
「お前たち国津神に興味はなかったが、お前の娘は美しい。天津神としては異例かもしれないが、妻として貰い受けたい」
「娘は二人いるのだが、どっちだろうか?」
「この間初めて出会った時に、木花咲耶と名乗っていたと思ったが」
「下の娘だな」
「その時に、父であるお前に申し入れすると伝えてある」
「そうか、では準備を整えてから娘を送りだそう」
「頼んだぞ」

「一ついいかな?」
「何だ?」
「私はあんたの義理の父になることになるのだが、その横柄な態度を改めるつもりはないか?」
「天津神は何事が起ころうと、国津神にへりくだることはしない」
「礼儀の話をしているのだが、それは高天原の不文律か?」
「決まり事があるわけではないが、俺はそう思っている」
「では娘を嫁がせるのも考え直さなければならないな」
「お前たちに拒否権はないと思うがな」
「それはどういうことだ?」
「力づくで奪ってもいいということだ」
「天照は孫の育て方を間違いよったな」
「おばば様を知っているのか?」
「長生きしているとな、天津神であれ、国つ神であれ、知り合いは増えていくものよ」
「だとしても譲れんぞ」
「娘を妻にするために私と争うということか?」
「葦原中国でさえ我々に屈したぞ」
「それは関係ない」
「ではどうする? 抗ってみるか?」
「それも一興ではあるな」
「お前の娘にはその程度の価値はあると思うがな。使いを寄越せばよかったのだが、こうして俺自らが出向いて、嫁にもらう旨伝えている」
「娘の気持ちを聞いておらぬが」
「出会った時に嫁にしたい旨を伝えると、待っていると言っておったぞ」
「そういうことなら仕方ない、みすみす娘を不幸にすることもあるまい。やはり準備を整えて送りだすことにしよう」
「賢明だな」
「娘が嫁ぐ日を楽しみに待っていると良い」
「そうしよう」

大山祇神は瓊瓊杵尊の天津神であることを笠にきた、横柄な態度と横暴なやり方に少し苛立っていた。
決して納得したわけではないのだが、下の娘を嫁がせることが決まったある日。

「磐長、咲耶が結婚を申し込まれたのは聞いておるか?」
「聞いております。お相手は高天原の最高神のお孫さんにあたるとか、大層名誉なことではございませんか」
「そうとも言えない。父はイマイチあの若造が信用できない」
「そういうことでしたら、姉妹で嫁ぐのも珍しくないこと、私も妹と一緒に参りましょう」

当時は、姉妹で共に一人の男性に嫁ぐのも珍しくなかったそうです。
それにどんな意味があるのか現代人の私には分かりかねますが、姉妹喧嘩の種にしかならないと思っていますのは私だけでしょうか。

「それでどうするのだ?」
「そして彼の本性を見て参りましょう」
「それはいい考えだ」
「ですが父上、一つ懸念する事柄がございます」
「それは何だ?」
「咲耶はすっかり彼に惚れ込んでいるようなのです」
「普通に嫁ぐなら、これ以上ないほどに幸せなことなのだがなあ」
「私は彼をあざむいて戻って参りますが、咲耶には幸せな結婚生活を送らせてやりたいと思います。よろしいですか?」
「そうだな、疑うよりは信じる方を選ぶことにするか。あの若造も咲耶には優しいのかもしれないしな」

実はこれが天津神と国津神の初めての婚姻となります。
そして二人の姉妹が瓊瓊杵尊の元に嫁いだのです。

「どうして醜い姉が一緒にいる? 付き添いか?」
「父からお聞きになっておりませぬか?」
「磐長とやら、お前は喋るな、その顔を見ているだけで不愉快だ」
磐長姫は下を向いてしまいました。
瓊瓊杵尊はしかめっ面をしています。
ですが、木花咲耶姫はにこやかな笑顔でこう言われるのです。
「では私からお伝えいたしましょう。父は私たち二人を、共にあなた様に嫁がせると申しておりました」
「二人も貰い受けるつもりなどない。ははあ、さては嫁ぎ先のない姉を俺に押し付けようということか? お前の父はなかなかに強かだな。だが、その手には乗らんぞ」
「では、この婚姻は無かったことにされますか?」
「いや、これほど待ったのだ。咲耶は俺の妻にする、そして姉は送り返す。さっさと俺の視界から消えてくれ」

こうして妹は無事嫁ぐこととなり、姉は無慈悲にも送り返されるという、不名誉な出来事に遭いながらも意気揚々と父の元へ戻るのでした。

「父上、ただいま戻りました」
「ご苦労だったな。それでどうだった?」
「彼は私には相当厳しい態度で、少々ダメージを受けましたが、咲耶は彼と一緒になれたことを喜んでいるようでした」
「何故ダメージを受けるほどの厳しい態度だったのだ? 二人は面倒見られないということか?」
「そうではございません。好かれようもないほどに変装しておりましたから」
「若造は気が付かなかったのか?」


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