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リクエストにお応えして

血筋を辿る。
普段の生活ではそんなこと気にもしないけれど、例えば身内の法事などでそんな話が出た時に自分のルーツや血筋などを少し考えてしまうことがある。
もちろん長々と考える訳でもなく、ずっと考え続けるということでもない。

代々その土地に住み、家系を辿るなどたやすいと言われる方も多いのかもしれない。
そんな方には陳腐な話しに見えるかもしれないが、しばしお付き合いいただきたい。


これは事実だが、私の知人に、実際に見せていただいたことがあるが、かの清少納言まで辿れる家系図をお持ちの方がいらっしゃった。
事実かどうかは確認のしようもないが、少なくとも見せてくれた知人は信じているようだった。
この知人には他にもいくつもの逸話があるのだが、それはまたの機会にご披露しよう。

余談になるが、仲間内でそんな話をしていた時、突拍子もないことを言い出す奴がいた。
「私の先祖は猿飛佐助だと父から聞いています」
実際のモデルはいるかもしれないが猿飛佐助は架空の人物であるというのが定説になっている。
この話を聞かせてくれたのは女性だったが、こいつ親父に担がれたなと思ってしまった。
だが本人はいたって真剣に信じているようだった。
しっかり大人になってからの話だから少し心配にはなる。


平安や鎌倉の頃には、自分の家系を良く見せようとずいぶん嘘を取り入れ、いい加減な家系図が出回っていたという。
そのことから考えると、代々の土地にお住まいであっても、その家系図が信頼に値するものかは甚だ心許ない。
まあ、個人の家の家系の話なので真偽のほどはどうでもよく、先祖に思いを馳せるというのが大事なことなのかもしれない。


因みに我が家の家系だが、こちらも真偽のほどは確かではないし調べようとも思わないが、鎌倉の頃からお東さん系の寺侍だったと父から聞かされている。

幼い頃よく可愛がってもらった祖父は実業家で「日本〇〇研究所」なるものを主宰し、一時期は京都の漬物界を牽引したとかどうとか・・・。
一代で財を築き一代で使い果たした逸材で、近くに住んでいたこともあり、両親に小言を言われようとも毎日のようにお小遣いをくれたし、初めてウインカー付き自転車 (当時大流行だった) を買ってくれたのも祖父だった。
最近知ったのだが、顔は掛け軸に描かれた一休禅師にそっくりだ。

既に他界しているので今さら真偽を確かめようもないが、私がまだ小さい頃、母と寺町通を歩いていると、お香の薫るお店を見て、
「このお店は母さんの遠い親戚になるんだよ。今は付き合いがないけどね」
と言っていたのを覚えている。
その頃はそれがどんな意味を持つのかまったく分からなかったが、大人になってその店の前を通ると、東京・銀座の一等地に店を構えるこのお店が親戚かもしれないと思うと気分は悪くない。
だからどうだということもないのだが・・・。


話はまったく変わるが、お西さん (西本願寺) とお東さん (東本願寺) の関係について触れておこう。
西本願寺は親鸞聖人の娘さんが開基のお寺が元となり、後に覚如により本願寺と名付けられ寺院となった。
浄土真宗本願寺派の本山。
東本願寺は浄土真宗大谷派の本山で、本願寺の東に建てられたので東本願寺となった。
これにより本願寺は西本願寺と呼ばれるようになったようだ。

saku様。
西本願寺へ行かないのは特別遺恨があるわけでも、曰くがあるわけでもなく、単に機会がなかったということで如何でしょうか?
私だけかもしれませんが、西本願寺は西本願寺といい、東本願寺はお東さんと言います。
お西さんとも言うそうですが、聞いたことありまへんなぁ。

ひょっとすると過去からのDNAの影響かもしれません・・・。

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