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「自分を生きる」とはこういうことか。

◉まずは今後のスケジュール

今後は《完全予約制》で活動を行っていきます。
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◉本題「自分を生きる」とはこういうことか。

言い換えると、「本音で生きる」です。

過去に同じようなことを書いた気もするけれど、探すのは面倒だし、その時と今は違うから、改めて・・・ということで。

きっかけは
「なんだか最近辛い物ばかり食べたいな」
「辛い物って苦手だったのに何でだろう」

でした。

そんなことを思ったときに、思考がギュンと働きだし・・・
・暑いから?
・ストレス発散ってこれには書いてあるなぁ
・代謝を促すような何かが起きてる?

というようなことが出てきました。

少しの間、ぐるぐると思考が働いていたのですが、
『辛い物が食べたからだ』
というシンプルな答えに行き着きました。

「辛い物が食べたい」という理由や原因を見つけて、一体何になるのでしょうか。
それを知ったところで「辛い物が食べたい」は変わらないのです。


私はこれまで、様々なことに対して【理由や原因】を探しすぎました。
全てに理由や原因などの概念をくっつけてきました。
それで自分を納得させたかったのです。

自分の欲求や希望・望みに対して、【理由や原因】が無ければならないとすら思っていたように思います。

理由・原因があるなら、行動していいよ
と、自分に対して条件付けをガチガチにしていたのです。

自分の内側から湧き出る欲求を常に、評価・チェック・判断していたということですね。
最もらしい理由や原因がなければ無意識にNG・却下をしていました。


例えば「何か食べたいなぁ」という欲求に対しては、
【今食べたら太るな】とか
【食べるなら、ジャンクな物は避けようかな】とか
【買いに行くの面倒だな】なんて思考が言うわけです。

自分の本音に従うのであれば、
「何が食べたいかな」
ですよね。

この問いの答えがどんな物であったとしても、「これがいいね!」とピンときたら、それでいいはずなのです。

状況によっては妥協は必要かもしれません。
「美味しいお寿司が食べたい」であったとしたら、今実現できるのはスーパーのパックのお寿司か、回転寿司か・・・です。
(どちらも私はとても好きですけどね)

今すぐに、東京の一見さんお断りの高級なお寿司屋さんには行けないのです。

今までだと「東京の一見さんお断りの高級なお寿司屋さんに行く」などを意図という言葉を使って考えたかもしれませんが、現在の私はきっと、スーパーなり、回転寿司なりのお寿司を食べて『美味しい、食べられて良かった、幸せ』と思います。

なぜなら私は「美味しいお寿司が食べたい」のであって、場所も値段もどうでも良かったからです。

「美味しい!」と思えるお寿司が食べられたら、それで満足なのです。


別の例を書くとすれば・・・

私は本日フリーですので、ウタマロちゃんで床の拭き掃除をしたのです。
息子の足の跡やキッチンの油汚れが気になっていたけれど、なんとなく気乗りしなくて行ってこなかったのですが、急にやる気になって着手。
細々とした場所の埃を取りつつ、1階・2階と床掃除。

これも以前なら、床掃除は開運に繋がるかも、とか何かしら考えたと思うのですが、今日はただただ『床の拭き掃除をしたい』の一点だけでした。

床掃除に対して理由も原因もないので、終了直後は達成感と気持ちよさのみ。

もし、理由や原因があったのなら、
「これできっと良いことが起きるだろう」と期待していたでしょう。


言語化が本当に難しい場所に来ているのですが・・・
何事もとてもシンプルであり、その時々で全て完結しています。
何も引きずることがなく、無駄に続くことがなく、パチッと切り替わります。

ラッキーなことが起きたとしても、「これは何か幸運の前兆かもしれない!」などの思考が湧くことがありません。「わーい、ラッキー!」で終わりです。

がら空きだったお店が、私が入った途端に次々にお客さんが入ったりするのですが、今までなら「人寄せしてる私って何か凄いかも」と思っていましたが、今は「おー急に混み始めた。待たなくて良かったなぁ」です。


起きた現実に対して、何かしらの感情は湧きますが、その後思考が働くことがなくなってきた、ということを私は伝えたいのです。


現実における事実はあります。
実例を挙げれば「この人の使う言葉はキツイ」人がいます。
その他の事実として「言っていることは全くその通り」があります。
すると、
『使う言葉はキツいけど、言ってることはすごい分かる』という印象となります。

この事実に対して自分がどこを切り取って、重要視して、どういう感情を抱くか、なんです。
過去の私なら「言葉がキツイ」を取っていたでしょうけど、今の私は「言ってることはすごい分かる」を取ります。

なので、「この人は何を伝えたいんだろう」という視点で話を聴くのです。言葉ではなく、内容を聴くという感覚です。

こういうことが『人を変えるのではなく、自分を変える』に繋がるようには思います。


話が少々ズレてしまいましたが、
無駄に理由や原因を探すことをしなくなったら、
物事・現実をシンプルに捉えられるようになり、非常に心身がラクです。

思考も疲れもその時々でリセットされるので、負担がかなり軽減しました。
ご飯は美味しいし、
日々は穏やかで心地良い。
変な焦りや不安は8割減。
目の前のことだけに集中していればOKな毎日。

良い意味で、なんか、どうにかなるでしょう。
と、自分を信頼できています。


自分のことを随分と信頼し、大事に想い、大切にできていると思います。
色々なことを受け容れて、認めて、手放して、軽やかです。


本当にね、ご飯が美味しいって幸せです。
洗濯物が綺麗に乾くのも幸せです。
床がサッパリしたのも幸せです。
優しい人が周りに沢山いてくれて幸せです。

人に自慢するような幸せはいらなくて、
幸せをちゃんと受け取れる自分でいられることが幸せです。


さて、何か食べよう。

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