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何を頑張ればいいかっていうと、不快を減らすことよ。

昨日、友人がポロッとこぼしたのが
「やりたいことが分からない」
「このままでいいのかな」
「このままで終わるのかな」
だった。

私も友人も子どもがいて、
すっかりお母さんの役割に集中してると、
1人の時に一体何をしていたのか忘れてしまう。

友人はとても可愛くて
しっかりしていて
真面目で一生懸命な子
だから何事にも頑張り過ぎてしまう。

長所であり、短所であり、
そこが魅力であり、心配のもとである。


私も散々悩んで、生きるか死ぬかまで行って、絶望と希望を行ったり来たりして、自分が在るべき立ち位置をようやく見つけて、最近「越えたなぁ」と感じているから、友人が今居るであろうなんとも言えない立ち位置は私なりに想像できる。


友人の全てを聞いたわけではないし、
知っているわけでもないけれど、
「越えたなぁ」を感じている今の私が伝えられるのは、

やりたいことを見つけるよりも
やりたくないことを一つでも減らした方がいいよ

だけだった。


やりたいことを見つけるってとても難しい。
私の体感で言うと、

やりたいことは、やりたくないことが何重にも重なってしまって見えなくなっているから。

断捨離と一緒で不要な物をどんどん手放していった先に見えるのが、本当に必要な物みたいな感覚。


だからまずは、不要・ストレス・違和感などの【不快】を減らしていくことが、やりたいことを見つける最善の方法だと思っている。

この【不快】は人によって全然違うし、不快だと思っていたことを辞めてみて、実は『快』だったと気付くパターンもある。
(この場合は義務にしていたから辛くなってただけ、だったりする)

やってみないと分からない。
内容によっては勇気が必要なものもある。


【不快】を減らすことは、自愛に繋がる。
【不快】を減らすことは、自分を大切にしていることと同意。
自分の気持ちや気分を最大限尊重するから。


人は《嫌だ》というセンサーは強く働く。
だから何が《嫌だ》なのかちゃんとキャッチして対処していくと、《嫌だ》が減って内側がシンプルになってゆく。


内側がシンプルになってゆくと、既に、元々在る《快》の存在に気付く。
《快》が見えてきたら、《嫌だ》を対応しつつ《快》をやっていけばいい。

それが例え、なんの生産性のない、誰かへの影響力もない、ただの自己満足な内容だったとしても。


私は今、その『ただの自己満足』を日々やっている。
誰に知られることなく、気付かれることなく、ただ一人楽しんでいる。
家でひっそりと幸せな気分に浸っている。


先月までは、生産性のないことに取り組んでいても意味がないと思っていたけれど、生産性の有無なんて全く関係がなく、例えそれがお金をかけずに出来るようなものであっても、満足感は高く、幸福度も高いことに気付いた。

自分を満たす、自分を愛することは、こんなにも簡単なのだ、とも気付いた。
これに気付けたことで、私は今の自分がかなり気に入っているし、外側の世界(現実)がどうであろうがほとんど気にならなくなった。


だから友人には外側という現実に惑わされず、内側をたくさん満たして、たくさんの笑顔が溢れるような時間・日々を過ごして欲しいなと思っている。

私が友人にできることなんて、たかが知れている。
けれど私は、20年来の友人を大切にしたいし、これからも友人でありたいから、友人の心に寄り添ったり、静観したり、無駄に関与しなかったりしながら付き合っていく。


何事も一人で頑張ろうとする彼女が、心の内側をポロッとこぼせる存在として私を認識してくれていることが何よりも嬉しい。
だから余計に、彼女を静かに応援したいと思える。


素敵な友人だと思わせてくれる友人と、
そう思える自分自身が素晴らしい。

私はなんて幸せ者なんだ。


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