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ご主人が退職した日に家を出た彼女の話☆彡

知り合いが長年連れ添った夫を見限り、家を出た。

こ主人(私はこの言葉はあまり好きではないけれど、今回はあえて使ってみようと思う)は、英語の先生。
彼女が家を出たのは、ご主人が勤める学校の終業式の日の午前中。
ご主人にとって、定年退職の日だ。

この日に家を出ていくのを決めたのは、一ヶ月ほど前。
絶対に家にいない日。絶対に休まない日。

2人が出会ったのは、学校の現場。
彼女は音楽の臨時の先生。
ご主人は、新卒の英語の先生。

知り合ってからすぐに付き合いが始まり、結婚までも早かった。
すぐに2人の家を作り、彼女は家でピアノの先生を始めた。

2人の男の子も授かり、1人は結婚し、一人は今、家から離れた場所で一人暮らしをしている。
端から見ると、幸せそうな家庭だった。

でも、内情は、ひどいDVに苦しんでいた。
言葉の暴力、見下す態度、傷つきながら、耐え続けたらしい。

周りに怒鳴り声が聞こえないように、常にカーテンをつけ、最後は、ただ、言われることをしていたらしい。

ご主人は、休みの日には、一人で食べ歩きに出掛け、筋トレに励む。

会話はない。
彼女から笑顔も消えた。

「どうして離婚しなかったの?」と聞くと、60歳まではご主人の両親の介護をずっとしていたと言う。

ご主人のお母さんも
「私がこんな子に育ててしまってごめんなさい」と言っていたとのこと。

お義母さんが、病気で半身不随になったときに、
「これからどうやって生きていけば良いのだろう」と言うと、ご主人は、「動けなくなったら、迷惑だから死ねば良い」と言ったらしい。
その時だけは、彼女も「そんなことを言うのはひどい」と抗議をしたが、
「それならお前が介護しろ、俺はなにもしない」と言ったので、意地でも最後まで面倒を見たらしい。
そして、義父母が亡くなったあと、やっと「離婚したい」と言えたと言う。

でも、そのときに、
「お前は俺がいなければ生きていけないだろう」
「お前はバカなんだから俺のところにいれば良いんだ」
「ピアノの先生なんて楽な仕事が出きるのは俺が稼いでいるからだ」と言われ、諦めてしまった。。。

さらに子どもの結婚式も近づいていたので、「それが終わるまでは…」と我慢したそうだ。

ピアノの生徒さんとの繋がりも彼女を支えていたことも大きかったらしい。

でも、今年の年賀状で、ご主人の知り合いから、「退職したら、妻と旅行に行きたいと思っています。今から楽しみです」
という葉書を読んで、
「そんなことが楽しみなんてバカなやつだ」とご主人が言ったのを聞き、「やはり、もう無理だ」と思ったらしい。

その後、弁護士の無料相談等にも行ったけど、若い男の弁護士に
「DVは証明が出来ないから離婚は難しい」と言われて、落ち込んでしまったこともあった。

でも、友達に初めて相談して、女性の弁護士を紹介してもらった。

女性弁護士は、
「すぐに家を出て行きましょう。」
「大丈夫です。私があとは対応します」と言ってくれたらしい。

その時、彼女は決心をした。
「夫が退職して家にずっと一緒にいるのは耐えられない、今しかない!」と…

そのあとは、弁護士に相談しながら荷物を少しずつ片付けたりまとめたり、新しい住まいを探したり、やれることは全て頑張った。

荷物の片付けや処分をして、ばれないのか?と聞くと、ご主人は、家のことはなにもしないし、彼女のことにも興味か無いので、絶対ばれない、と言う。

子どもたちも協力してくれた。
子どもたちは、二人とも彼女の味方だった。
長男は母を守って闘い、ご主人とは絶縁。
次男も結婚を機に、避けるようになった。
そればかりか、ご主人の妹もご主人とは絶縁していて、彼女の味方だった。

引っ越し先も次男の家のそばで探してもらった。

決行日は、学校の終業式。
それも午前中に引っ越しを仕上げなければならない。
大変だったのは、ピアノの処分。
グランドピアノだったので、泣く泣く廃棄を決めた。
引っ越しの前の日に、ピアノの生徒さんの家を一件一件回り、月謝の一回分を返して、事情で引っ越すことになったと伝えたと言う。

引っ越し日。
友達数人がお手伝いに駆けつけた。
頑張って作業をしていたら、小学校の子どもたちが帰り始めたので、焦りながら、なんとか荷造りをして、ギリギリ間に合ったらしい。

机の上には、ご主人に手紙を残した。

「お仕事お疲れさまでした。私の役目は全て終わりましたので、家を出ます。これからのことは弁護士からの連絡があると思います」と…

自分で買った食器棚、本棚、タンスを持ち出し、大きな家電製品(冷蔵庫、洗濯機等)は残してきたらしい。

その夜はご主人から携帯電話、メールが100件を越えていたとのこと。
着信拒否をした。
子どもたちのところにもご主人から電話があったらしい。
「俺が何をしたと言うのだ❗」と怒りの電話。
次男は
「逆にお父さんはお母さんに何をしてあげたの?」と言ったら、ご主人は「バカらしい」と電話を切ったと言う。

こんな人が学校の先生をしているかと思うと、本当に恐ろしい。
どんな教師だったのだろう…!

次男は彼女の新しい生活のために、冷蔵庫、洗濯機等を買ってくれたらしい。

彼女は群馬県から出た。
引っ越しをして3週間。

住民票は移動すると居場所がばれてしまうのでしない。
保険証も今はそのまま。
コツコツ貯めてきたお金で生活をしている。
そして、彼女は、今は仕事を探している。

弁護士は、ご主人に離婚したい旨を連絡したとのこと。
やっと、離婚を認め始めた、と連絡が来たと言う。

彼女は弁護士に、
「お金もなにも要らないから、二度と会いたくない、離婚できれば良い」と言ったけど、
弁護士は、「今まで共に生活をしてきて、ご主人を支えてきたのだから、権利として貰えるものは全て貰いましょう。諦めないでください。一緒に頑張りましょう」と言ってくれているとのこと。

これからどのように解決に向かうのか、まだわからないけど、彼女は今はとても前向きで明るい。
やっと自分を取り戻せて、これからの夢を持ちながら、生き生き暮らし始めた。
彼女の最後の勇気に拍手を送りたい。

ちなみに、この記事の最初にも書いたが、私は「主人」という言葉はあまり好きではない。
「主人」をGoogle検索をすると

◎自分の仕えている人
◎一家のあるじ

と出てきた。

さらに「あるじ」を調べてみると

◎一家の長、家の主人、使用人の主人

と出てきた。

さらに、「一家の長」を調べてみると、

一家の長としてとはどういう意味ですか?
家督(かとく)とは、もともと「一家の長」を意味する言葉です。 昔の日本には、武士の時代から、一家の長が家の財産のすべてを1人で相続して家族を統率するというルールがありました。 このことから家督という言葉には、その長が相続する一家の長としての「地位」と「家の財産」という両方の意味があります。

と書いてあった。

今は、家の財産も一人で相続はしない。
相続も変わった。家族を統率する、のは夫だけではない。

まさに、彼女は、使用人のようにご主人に仕え40年以上暮らしてきた。
なので、今回の記事では「ご主人」と書いたのだ。

私は、noteや文字としては、夫と書くことが多い。
人に夫の話をするときも、夫というし、友達には夫の名前で話す。
ただ、夫の仕事の関係の時には、「うちの人」と言い換えている。

もちろん、自分の夫のことを「主人」と書くのを否定するつもりもない。
これはただの私の感覚で、私はそうしたい、と思っているだけだからだ。
もし、その表現で嫌な思いをする方がいたらご容赦いただきたい。

家を出た彼女のことを友達と話していた時に、「朝ドラ 虎に翼」が始まった。

見始めたとき、「これはいつの時代のこと❔」と思ったけど、時代設定は、1931年(昭和6年)、父の生まれた年だ。

戦後、新しい憲法、新しい民法が制定されるまでは、昭和でもこんな時代だったということを改めて知り、正直、自分の無知さに驚いている。
それだけではない。
憲法が変わっても、民法が変わっても、まだまだ、女性が差別を受け、虐げられている現実が続いている。
時代は、進歩しているけど、それでも、まだまだ日本は遅れていると思う。
今後も色々勉強したい。


早速、2冊の本を買って読んでいる。

「NHKドラマガイド 虎に翼」


「日本初の女性裁判長 三淵嘉子」

三淵さんの本はたくさん発行されている。
読んでみたいな~🎵

私は、これから「朝ドラ」を心して見たい。
そして、家を出て新しい生活を始めた彼女のこれからも応援したいと思う。


今日も読んでくださり
ありがとうございました
<m(__)m>


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