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「ちのかたち」展レビュー これからの建築プロセスのパラダイムシフト

どーも おっちーです。

先日 TOTOギャラリー・間で9月30日まで開催されていた
建築家藤村龍至展「ちのかたち展」に行ってきました。 

決して広くは無い空間内で模型、映像、モックアップによって、藤村龍至先生の作品とともに先生が定義している新たな建築プロセスとしての「ちのかたち」が解説されていました。


この展示によって語れている「ちのかたち」というプロセスは私にとって課題こそあれど非常に明るい未来を見せていただきました。 以下は行った直後の私のつぶやきです。


私は「建築家」と名乗るのも恥ずかしい職業設計屋、職業建築屋ではありますが、この業界に身を置く以上、「この先建築はどこへ行くのか?」という事に不安や期待を常に持っています。

現状の建築の業界の持つ問題、そして今回の展示内容も踏まえ、自身の考察と共にその「建築プロセス」について書いていきたいと思います。
長文となってしまいましたがご拝読いただければと思います。

以下目次です。

○冒頭:建築家というブラックボックス
○展示内容解説:
模型による可視化、体系化というスポットライト、そしてパラダイムシフト
○課題:そして私なりの回答
○後記

○冒頭:建築家というブラックボックス

●従来の一方通行型建築設計プロセス

この展示でも解説されているのですが、建築における従来の設計プロセスは「(建築家が)多数の知識をインプットし、それらを統合してかたち、デザインを(建築家)を生み出す。」ものとなっています。

それゆえに建築家を「映画監督」と例える人もいます。
そのため建築家は総合的な知識を併せ持ち、社会に敏感であり、豊かな想像的感性を持ち、なにより「人たらし」で無いとやっていけない職業です。

そして、時代と共に建築に関わる技術も進歩し、知識、法律も多様化していき、様々な分野のプロフェッショナルが生まれてきました。

構造だとオーク構造設計の新谷先生や金田光弘先生のように構造家として登場することがあります。
しかし、例えば設計の根幹に関わる「法規・計画・プラン」に関わる人物、その他の専門の知識で建築に関わる人は日の目を浴びてきておりません。

これは、つい最近、ペリカン建築家さんが書かれた「建築家分析」という記事を見れば明らかです。構造に関わる人、地盤改良に関わる人、インテリアに関わる人、基本設計に関わる人などを無視して、それでいて建築家の未来を語られることに深い悲しみを覚えました。

●日の目を浴びない建築プロセス

なぜ日の目を浴びないのか?理由は単純です。
デザインの根幹に関わるために他の人に見せたく無い。
法律に関わる部分で責任が何よりも大きく、
その割に華が無い「泥臭い」、「堅苦しい」「面倒臭い」仕事だからです。

そのため「プランニング」に関わる事象は「建築知識」のような専門雑誌は別として、殆ど表に出ません。
過去「新建築」などの建築デザイン雑誌に掲載された建物の「日影図、天空率図」が掲載されたことがあったでしょうか?
全てを検証したわけではありませんがほぼ見たことがありません。

では表に出せない仕事なのか?そんなことはありません。法規・周辺環境を配慮して基本計画を組み立てる大事な仕事です。
しかし、 大きな組織設計事務所や建築家はフリーの「ボリュームプラン」の作成を行う建築士事務所に大量にボリュームプランを作らせてます。

一般的なボリュームプラン

私は所属している組織の中で主にこの「ボリュームプラン」「基本設計」をしており、自分の手が回らない時は上記のように外注することもあります。どれくらいの納期で作成を依頼しているかというと

大体「1〜2日」です。 


規模によりますが、1ヘクタールの規模でも長くて2日くらいでしょう。

そしてその短い納期ゆえに報酬も数万円です。 この業務で何億ものプロジェクトの背骨を作っているのです。 そして大きな組織事務所の場合はいろんな処に外注して一番いいと思うものを選んでプランを進めます。そして「自分の設計」にして行くのです。

本筋から外れますが施工もそうです。スーパーゼネコンが地方の工務店とJVなどを通じて「親」として鎮座し、下請け、孫請け、曽孫受けを独占しているのが現状です。

こうした大規模組織設計事務所などの建築家による「建築のプロセスをブラックボックスに閉じ込める事」が建築の世界に閉塞感と不当な労働環境を与えてきました。 

●肥大、閉塞しブラックボックス化した日本の建築

見せたく無いことをブラックボックスに放り込み、独占し、ゼネコン、建築家という存在は肥大していきました。そしてアカデミックな派閥も重なり(日本の)建築という世界は非常に閉塞的な環境を生み出してきたのです。


その結果は伊東豊雄が意気揚々と旗を振った「釜石復興プロジェクト」に帰着しています。

このプロジェクトで露呈したのは建築家が閉塞しすぎた為に実際に住まう人の目線が明らかに欠如していたことです。
そして日本の建築の閉塞感から脱したいあまりに「伝統回帰」というよりむしろ「退化」を加速させる論調を繰り返しています。
(今回は本筋から外れるので紹介しません。いずれ記事にしようかなと)

●まとめ

この章の話をまとめさせていただきますと。

・従来の建築のプロセスにより、建築家の環境は閉塞、ガラパゴス化をしてしまった。
・そして東日本大震災を始めとする自然災害(今年は特に多いです。)により建築家の信頼が失墜してしまった。 
ということです。

この状態では建築家なんていらない、建築作品なんていらないという世の中になってしまいます。
(その空気を察知して伊東豊雄は脱作品宣言しましたね)

しかしこれは私にとっても「建築で飯を食っている」以上、良い状況では無いです。

このような問題提起に対して藤村龍至先生は「超線形プロセス」そして今回の展示における「ちのかたち」を実践しました。 
私も建築の未来を考える上でとても有意義な提案だと思いました。

前置きが長くなりましたが、展示の紹介、そしてこの展示における「ちのかたち」がいかに希望を与える提唱だったのかを書いていきたいと思います。

○展示内容解説:模型による可視化、体系化というスポットライトそしてパラダイムシフト

次に展示の内容も踏まえ、藤村龍至先生の「ちのかたち」がいかに明るい希望を与えられたのかを描いていきたいと思います。

●展示されている無数の模型

まずこの展示で目を引くのは無数の模型です。複数の島に分けられているものの、境目が曖昧になる程の模型が敷き詰められています。 

この展示でとても重要なのは、
「一つの作品によって生じた模型である」ということです。
本来の建築の展示は完成形の模型が展示されることが殆どで、よほど展示の意図がない限り設計の途中、つまりプロセスの模型が展示されることはありません。
しかし、この展示は完成系はあくまでも映像で流し、展示しているのは「プロセス模型」となっております。

これだけでも従来の建築の展示からかなり逸脱している展示です。

そして私はこのプロセス模型の一群を見ていると、私の普段の業務で関わっている。日影規制、天空率を考慮して設計されるボリュームプランの設計プロセスや、最近のAIの発達に基づく自動設計プログラムの生成品を思い出しました。

●自動計算、自動設計プログラム、アルゴリズミックデザイン

日影規制、天空率の細かい解説はここでは省略しますが、一言で言えば「近隣の日照の妨げにならない為、良好な環境を作る為に建物高さと行った規模を規制する」ものです。

この二つを用いたプランニングというものはクセが強く、同じ土地でも規定をクリアできる建物の形は全然異なります。 こうして作られるプランを吟味して設計を決定していきます。

またいくつかの建築の規制を学習して、プランを大量に自動設計するプログラムもあります。
下の画像はその自動設計プログラムソフト「ROOK2」です。諸条件を入力すれば、条件をクリアしたプランを可能な限り作っていきます。プログラムなので計算は早く、数秒で1プラン作成し、規模にもよりますが、数十、数百のパターンを作成します。

私が主に行なっているアパートマンションの設計では多く用いられており、それこそAIによる深層学習などもいろんな企業で行われています。

また、建築家の渡辺誠先生らが昔から実践しているアルゴリズミックデザインのプロセスとも非常に親和性を感じました。

しかし、実際にクライアント、または営業を始めとしたディベロッパーには決定した一案もしくは比較用として2、3件しか提出しません。この「プロセス」として作られた無数のプランは闇に葬られていくのです。
またこのサイクルはとても短いです。それゆえに建築設計の労働環境が改善されていきません。

また伊東豊雄は「台中メトロポリタンオペラハウス」に構造のアルゴリズミックデザインを採用しておりますが、肝心のプログラムやアルゴリズムは秘匿し、その中から気に入ったものを選んで「デザイン」とされていました。これでは施主とかわりませんね。

上記のようなプランニング手法が前章で述べた建築家のブラックボックス化、そしてとても悲しいことなんですが「手抜きの設計」という印象を与えてしまっているのです。

●無数の模型による「プロセス」の可視化、体系化

「ちのかたち」展ではこの闇に葬られる無数の「プロセス」を拾い上げてあえて主役とし、そしてそれを事後的に俯瞰することで新たな展望を見出すという新たな建築設計の「体系」を実践しています。

※ここでは展示されてませんが、「あいちトリエンナーレ」においても無数の模型を毎日競合させ、淘汰させるプロセスを実践されています。

一方で、「こんなに模型を大量に作らせて意味があるのか?」「ただのアピールだろ」という感想もこの展示の中で見かけました。しかし私はそうは思いません。確かにプロセスとして生成されたものは模型として具現化されることは「無駄」なのでほとんど行いません。(3Dプリンタでもあれば話は別ですが。)

この展示では無数のプロセスの模型を敢えて「手作り」にすることで、展示において「価値」を高めることに成功しております。

 3Dプリンタで作ったとしたらやはり従来のプロセスのプラン同様「手抜き」と思われてしまうでしょう。
その為に画像検索された椅子を敢えてスタイロフォームで模型として「再現」までしているのです。


これらは当然日常の業務ではできません。そんな時間はないですから、
しかし今回のようなコンセプトを持った展示として、時間をかけることおで意味を持ちます。
またAIによる深層学習による椅子のデザインもその途中? の多少違和感を覚える椅子を展示しています。これは実際のリリースでは無く展示だからできる事です。

●まとめ 建築プロセスのパラダイムシフト

この無数の実体化した「プロセス」を介して新たな発見、提案を生み出す。
ある時は淘汰し、ある時は融合していくことで「集合させた知識を最も効果的に統合した形態」に近づくのだと思います。
従来のコンペなどで起きている審査や結果のプロセスがブラックボックス化される事、ワークショップを実施したにも関わらず出てきたものが的外れなものが出てくる。こういった既存の設計のプロセスで発生した問題はそこにはありません。
たとえ、他の案に淘汰されても意思を持ち生き続けます。
何より道具のように書かされたプランが日の目を浴びる事、これは職業設計屋にとっては感慨深いものに感じました。
これが「ちのかたち」が目指しているものであり、これからの建築が進んでいく上での「パラダイムシフト」である、とこの展示において感じました。

○課題:そして私なりの回答

●《課題》プロセスの舵取りはどうなる?

この「ちのかたち」による設計プロセスですが、大きな課題もあるなと感じました。

それはこのプロセスをクロージングさせる、舵取りをする建築家の存在がとても重要であるが不明確という事です。

これまでは「ゼネコン」、「建築家の偉い先生」が舵取りをして支配していました。
それゆえに一定の「秩序」だ保たれていたことは否定はできません。

しかし、このプロセスを実践し続けていく場合、帰着させる具体的な方法が明確で無いという課題もあるのでは無いかと感じました。 
おそらくは藤村龍至先生がこの役を担っていただけるのだとは思ってはいるのですが、一人では到底無理です。
そして、これまでと違ってあらゆる設計案と競争し、淘汰、融合させるのですから生半可な覚悟でできるものではありません。
最終的に調停する要素は「カリスマ性」なのか?「権力」なのか?それとも社会、法規的知識に裏付けされた「理」なのか?そこには明確な答えが見つかりません。

●《私なりの回答》プロセスの調停者として「理」を育むこと

最後になりますが、上記の課題に対する私なりの回答を書いて起きます。

それは
「プロセスの調停者として理詰め」ができる人を育む事にあると思います

つまり法律、工期を含めた現実的な事象を適切に用いて調停する存在です。

大きな声であまり言いたくありませんが、大学の先生や建築家の先生は法規や基本的な実務知識を知らない人が数多くいます。(意匠系の教授で施工図を知らない教授が本当に実在するくらいです。)
そして重要なことは法規は我々が法治国家である以上最低限必要な知識であり、施工図を代表とする実務知識は「施工」するのに最低限必要な図面です。
今後重要なのは「権威」「作家性」にとらわれずに良質な知識、技術を持つ人間を育むことでは無いでしょうか?

しかし当然上記のようなプロフェッショナルを生み出すことは大変です。時間も人もかかります。
けど心配は要りません。この『「理」を育むこと』こそ「ちのかたち」のプロセスが実践できるのだと思います。

●(※宣伝)建築解説動画による集合知の形成

私ごとの宣伝になりますが、私は動画投稿サイトで建築の法規や実務知識、さらには資格試験の知識を解説する動画を投稿しております。 
プラットフォームはyoutube及びニコニコ動画ですが、ニコニコ動画の方が反響は多く、ニコ動の特色でもある「流れるコメント」によって解説の内容を補足したり、追記したり、さらにコメントによる質問が発生し、それを別の視聴者がコメントで回答する問いう嬉しい化学反応が起きています。

まさに集合知が発生していると「私」は思っています。

これは、かつて東浩紀が論じた「一般意志2.0」でもあり、もしかしたら、建築の学問、知識、技術という分野における「ちのかたち」では無いのか? 

思い上がりですね。(笑)
けど私なりの回答だと思っています。
そして、正解かはわかりませんが自分なりのペースで継続していきたいと思っています。それが近い未来の建築のためになると信じてますから。

○後記

以上で「ちのかたち」展のレビューを終了します。
このようなレビューを書くきっかけですが、私は雑誌などに掲載され、賞を多く取るいわゆる「建築家の大先生」に対する見方が、学生時代と建築の仕事をしてから大きく変わったからです。 
大半の建築家は仕事をするようになってから「失望」することが多いです。(実務に関わる人を軽視している発言や実際の収まりやデザイン、図面の精度に対する失望がほとんどです。)
しかし藤村龍至先生に関してはむしろ逆で、失礼ではありますが学生時代に関心が無かったものの、今になって改めてその思想や野望に共感と共に感銘を覚え、今回書かせていただいた次第です。

これからも建築の未来に向かってより一層ご活躍されることを心からお祈りいたします。

ではでは

動画も含め、建築を「伝える」「教える」コンテンツ、場を作る事を目標としております。よろしくお願いします。