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囚われる

絶賛就活中のこの身。
はっきり言って全然うまくいってない。

私は教育課程で学んでいる。周囲は採用試験の勉強をしており、
就活をしているのはほんの一握りだ。
心なしか就活組には冷たいこの学科。
ただでさえも人手不足が深刻化している教育関係に卒業生を送り出そうとするのは、まあ、妥当である。

そんな中、私は就活をしている。
相談できる人もいないのでほとんど手探り状態だ。うまくいくはずもない。
まあ、免許はあるし、職無しはなんとか免れるだろう、と楽観視しているのでもうダメだ。

なぜ私は教師にならないのか、ふと考えた。
憧れはずっとある。
学校という空間も、学ぶことも、子どもも、大好きだからだ。
じゃあ、どうして、そんなことをつらつら書こうと思う。



人に話すとき、学部を言えば当然のように「教師になるんだね」と言われる。
そして私は「いえ、なるつもりはないです」と言い理由をつける。
大抵使う理由が
・教育実習で授業を失敗したことがトラウマで
・人前で授業をするのが苦手で
・労働時間と給料がつりあってなくて
・多忙さからある程度見過ごさなければならないことが心苦しくて
・支援すべき子がいるのにその子に肩入れすることができないのが苦しくて
といったものだ。

これらはもちろん真実であるし、本心でもある。(学生の1解釈として)
ただ、まあ、こんなこと慣れればまた話は変わるだろうし、要領よくこなせるようになれば良いだけの話。
そして教師一人の力でなんとかしようとするのはお門違いで、専門家に頼るべきことなのも分かっている。

なのに、こんな理由をつらつら並べる。
どうしてか。


いろいろ理由をつけているけど、
結局呪縛なんだと思った。

「あんたなんかに、あんたみたいな冷たい人間に、教師なんてできるわけない」

塾で過呼吸をおこした子に対して、自分もつられて過呼吸になりそうなのをこらえるために、耳を塞いで見て見ぬふりをした。
そんな私に母が言った。

私は確かに、誰かが嘔吐しているのもまともに見ることができない。
つられて自分も吐き気に襲われるからだ。

だから当時の私も、たしかに、こんな冷たい人間にできるわけがないか、とどこか納得したのだと思う。


4年前の言葉なのに。


結局そうなのか。私はいつまでも母から言われた数々の言葉に囚われる。
それはもう、呪縛のように。


そんな母は、けろっと忘れて、就活をしている私に
「数年働いて満足したら教師になってね」
と言ってくる。

向いていない、と言ったのはあなたなのに。
あなたの言葉に私はいつまでも囚われているというのに。

一体、いつになったら全てから解放されるのだろう。
先は果てしなく長いのかもしれない。





今日滑り込みで書いたら9ヶ月連続ということで、久しぶりに。
拙く、暗いかもしれないが悪しからず。


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