🐱な日常 19.


こんばんは
お久しぶりの猫都です。

すっかりと寒い日も増え秋を感じています
秋の空気を感じると物思いに耽ると言いますか
思考がよくすすむようになって、

久しぶりにnoteでも書こうかなと思いたった深夜

Twitterの下書きには
普段思っていることをなんとなく書き留めるのですが
周りの方の反応や拡散のリスクを考えると
ツイートは出来ずにいます。
しっかりと思いとどまれている。えらい☝️笑

でもたまには口に、この場合は文字に、
してみるのもいいかな。noteなら許されるかな。と
下書きの1つを抜粋してみます

なんでこんなこと思ったんだっけ。

こうゆうのはその時起こった出来事や感じた感情のままを素直に言葉にしているので、時間が経って一歩引いて冷静な自分が見ると

「なるほどなぁ」と感心したり
「わかるなー」と共感したり
「いやいや、なに言ってるんだろ」と批判したり

新しい視点や発見ができたりできなかったりしておもしろいです。

そして今回の場合は
「わかるなー」でした。
新しい発見できなかった笑

冷静になっても意見は変わらないということがわかった。ということですね🐾

そして140字?(Twitterの文字数制限)に囚われずに追記するのであれば

謙遜心も度が過ぎれば、相手も下げていることに気づいて欲しい。
謙遜することによって、自分が下がることによって、相手の反応を伺ったり。
こうやって言ったらこうやって返してくれるはず、思ってくれるはず。と
会話や人をコントロールしてこようとする人は苦手だな。

ということでした

余談にはなりますが
"謙虚"と"謙遜"の違いは
自分を下げるか否か。にあるそうです

自分の評価を下げることを"謙遜"
自分の評価を下げず相手を受け入れることを"謙虚"

私個人としては
謙遜が大袈裟な人は苦手です
謙虚な人は大切にしたいです

人と関わるときに大切なことは誠実さと許容だと思っていて

誠実さは安易に、建前や嘘が多くないか。
とくに自己を大きくみせたり、逆に小さくみせたりする人は信頼に至るまでの過程が壁が増えているぶん多い気がします。

許容はさまざまな事柄の器の大きさというか。
コップの大きさと水の溜まる速度みたいで、
相手と自分にはどの程度の差があるかを測り
関係を持つ上での許容範囲を逸脱しないように努めます。

とはいえ人間だもの。好かれたい人には
大きくみせたいし、出来れば努力とかばれたくないし
本当の自分の姿を他人に見せるのって簡単じゃないですよね

ただもし、関係を良好にしたいなと思ったとき
ネガティブじゃなくてポジティブな建前や嘘にしてくれたら嬉しいのにな、と考えてしまいます

社交辞令でも嬉しいな。と
自分を卑下して心を守るのではなく

そんなふうに言ってくれるのは幸せだ。と
たとえ自分なんてと思う気持ちがあっても
自分に嘘や建前をついてほしい。
こちらの気持ちを誠実に向けられたものだと信頼して受け入れてほしい。

それが本当に"相手を思い合う"ことだと思い
謙虚さ、で信頼関係の一歩だと思いました。

心の中は、幸いなことに見えないので
どれだけ弱音を吐こうと
謙遜しようと卑下しようと罵ろうとわかりません。
それが自分の本心なら自由であるべきです

ただそれが対人となれば
言葉にするときには思い、思考を深め
言葉の先に起こる事象に目を向けて
あたたかい世界が増えたら嬉しくて
自分自身もそんな人になりたいな。と

ちょっぴり考えた夜でした

長々と語る人怖いよぉ🐱笑
Twitterにこんなこと話す人がいたら自分なら間違いなく距離をとりますね✌️
普段は脳内がポケ〜としてるのでだいたい何もかんがえていないか音楽が流れています
ただたまにそんなことも思うなぁ。
みたいな感じなのでした

おやすみなさい🌙