見出し画像

音楽と瞑想 ❶ 瞑想ってなあに?

音楽ファンの皆様、こんにちは。フルートの事、音楽の事を様々な角度から探求するシリーズ「フルートカフェ」へようこそ。生命の息吹を伝えるフルートの音色と共に、無意識の世界に広がる壮大な冒険へ一緒に参りましょう!

このシリーズはスタンドFMとYoutubeと両方でも配信しています。音声や動画でお楽しみになりたい方はこちらからどうぞ☕️

フルートカフェ第8回ゲスト:みかりん

<クリスタルボウル演奏家、波動瞑想家、波動調律師、詩人、写真家> 2009年以降、国内外でクリスタルボウル・コンサートを600回以上開催し、二万人以上の人々を魂の癒しへと導いている。またクリスタルボウルの楽器としての高い能力に注目し、瞑想空間創造や倍音波動による魂の純化作用を研究している。 単独コンサート以外に、クラシック音楽家、民族楽器演奏家、書家、ダンサー、朗読などのアーティストと共演し可能性を広げている。またホスピスや病院の慰問活動、チャリティーコンサートにも力をいれており、響きによる音響療法を提供している。 CD「Memory of Unity」、デジタルアルバム「Flow of Wonder」「Zuiryu 随流」をリリース。

Miya:今日の素晴らしいゲスト紹介します。クリスタルボウル奏者のみかりんさんです。よろしくお願いします。

みかりん:よろしくお願いします。  

Miya:みかりんさんと「Silent Vortex」というすごく楽しいユニットをやっていて、今度一緒にライブをするのですが、みかりんさん、クリスタルボウル奏者という事で、本当に面白い音楽を展開されてらっしゃいます。また、瞑想の達人でらっしゃるのですね。

みかりん:達人かどうかはわからない…(笑)

Miya : 瞑想ってみんな興味はあるし、なんとなくやっているつもりもあるし、音楽ってすごく瞑想的だなって思う事もあるのですけど、でも、瞑想ってリアルになんだっけ?って考えると、あれっ?なんだっけ?というのがあって、今回みかりんさんと一緒に演奏できるとなって、これはお伺いする絶好のチャンスだと思って、今日お願いしたら、すごく快く引き受けてくださってすごく嬉しいです。ありがとうございます。

瞑想ってなあに?

Miya:どこから、話をしたら良いのかなって思うのですけど、瞑想って英語で言うとMeditationで合ってますか?

みかりん:そうですね。

Miya:日本語で入ってきている「メディテーション」の印象もあるのかもしれないですが、Meditationだと、なんだかライトな感じがします。Meditationっていう有名なボサノバの曲があるのですけど、まさに、みかりんさんが今日背景で使用しているような、楽園のようなイメージがあります。

Miya:ざっくりした質問で申し訳ないのですが、瞑想って何なのでしょう?

みかりん:ざっくり言うと、自分が「無」になる事。

Miya : 「!!!…笑…なるほど」

瞑想の歴史と背景の思想

みかりん:ただ、瞑想って古代インドからはじまって、どうしても文化的な背景とか宗教的な背景があって、瞑想といっても色々な瞑想があります。インド的なヨガ的な瞑想だったりとか、インド哲学がバックグラウンドにある瞑想とか、その次に仏教的な瞑想とか、ざっくり言うとですが、その次は禅的なね、まぁ、仏教の枝分かれではあるけれど、今は、マインドフルネスとか、その辺は禅的な瞑想から来ているのですよね。

Miya:なるほど、瞑想にも色々な種類があると言うことなんですね。

みかりん:バックグラウンドにある文化とか、哲学によって、瞑想のゴールが違うんですね。

Miya : 瞑想にゴールがあるのですね。あ、そうか!自分が無になる事がゴールになるのか。あ、でもそれにも種類がある!

みかりん:そうそう。 瞑想っていうのはあくまでも、目的地に到達するためのメソッドなんですよ。だから他にどんなやり方でもそこに到達できるのであれば、実はなんでも良いのです。今まで歴史的にたくさんの人が、そこに行きたいってやった中で、段々洗練されてきて、ある程度、整理整頓して、メソッドしたものが、瞑想なんですね。

Miya :めちゃくちゃ分かりやすいです!

みかりん:目的に一瞬でいけるのあれば、瞑想は必要ないんですよ。メソッドだから。

Miya:あ!私、自分の人生の目標っていうか、目的に一瞬で辿り着きたいっていうのがすごくあるんです。そのためにはどうしたら良いか、いつも考えていて、瞑想と離れてしまったら申し訳ないのですが、ビジョンは見えるのですが、そこにどういうふうに行ったら良いのかわからないっていう事があるんですけど、今のお話だと、場合によっては、瞑想を取り入れる事で、その方法が見つかる事もあるかもしれない。

みかりん:そう。

瞑想のゴール

みかりん:たとえば、そのゴール。これは、すごくパンクで革命的な話なんですが、最初はインド哲学から瞑想が出てきて、究極のゴールは解脱する事。死んだ時に全ての輪廻から解き放たれて、真の自由になるっていう。真我というものと、自分自身が一緒にならない(ざっくり言うと)真の自分があるっていう定義なんです。

次の仏教は、そんな真我なんてない、私たちは最初から仏なんだ、みたいな。そういう感じで、前にある考え方を否定して、また違う思想が出来てきて、それで仏教には自分が悟る、もしくはみんなが一緒に悟るっている二つの道があって、それで、仏の世界に行くとかね、もう私たちが最初から仏なんだとかね。そう言う色んな宗派が前のを否定しながら来るのですよ。

一番新しいのは禅的な思想なのですけど、もう、何にもないんだっていう(笑)究極的にそこにいったのが禅です。

【真我というものがあって、今の自分自身と同じではない、真我というものがあります。(それは神、宇宙、愛という宇宙でたった一つの意識のことで、今の自分は、自我によって個であると真我から分離していると勘違いしている状態。)
仏教は心(煩悩)を鎮めて無心になる。苦しみから解き放たれることが目的。(とても実践的な瞑想法)禅は、その心もない、真我もない、最初から仏であると。そして、そのうちに、心も仏も何にもない、無相という思想に至ります。(とってもパンクで破壊的です)】※みかりん注

瞑想の背景を理解する

みかりん:だから、自分が何を目指しているのか、自分がやっている瞑想が本当に合っているのかっていうのは、きちんと調べた方が良いなって思います。

Miya: ほんとですね。 私、今までライトに「瞑想」って使っちゃってるなって思いました。今のお話を伺って。

みかりん:それでいいんですよ。大丈夫。

Miya:そうか、でも、そうやって背景を理解する事で自分にとって有効な使い方ができるという事ですね。

瞑想的な生き方

みかりん:そうそう。同時に、人間って、動物もそうなのだけど、人間ってもともと瞑想的な生き物だと思うんですね。

Miya: でも、瞑想はメソッドなのですよね?

みかりん:メソッドなのだけど、自分自身、自我がない状態っていうのは、私たち日常でも、結構気がついていないけれども、すごく体験している事なのです。

Miya :自我がない状態を無意識で体験している… 自我がないってどういう事なのでしょう? 集団で一つ、っていう事でしょうか。みんなで一つみたいな。

みかりん:自我がないっていうのは結局、色々な段階があるのですけど、本当にざっくり言うと、自我がない状態っていうのは、自分を認識できないっていう事になるんです。すごいでしょ?

Miya:すごい!

みかりん:でも、それってたとえば、すごく簡単な所でいうと、例えば私たちが、ものすごく綺麗な夕日を見ている時、何にも考えていなくて、真っ白….. それってすごく瞑想的な状態なんですね。何もない、もう本当に夕日と一体になっているとか。

身体がある事の意味

Miya:まさに、音楽で空間と完全に一体となっている感覚は、私も感じた事はあるのですけど、瞬間的なんですよ。自分が空間と一体となったと感じられた時は、もうその瞬間は終わっているんですよね。私は音楽が目指す所は、その空間と一体となっている瞬間を持続する事はできなくても、できる限りその瞬間を多くする、という事をやりたいと思っているんですが、自我がないという事はその瞬間は、体感できない、という事で合ってますか?

みかりん:体感は残ります。それが体がある事の素晴らしさで、身体が記憶しているんですよ。

Miya:面白い!

みかりん:面白いでしょ。だから私たちは地球に来て身体があるっていうのはそういう事で…

Miya:感動します。この話!

みかりん:ある意味自我がなく、全てのものが溶けている状態っていうのは、私たちが肉体を離れればそういう状態なんですよね。だけれども、なぜわざわざ自分達がこの肉体、不自由な、重力の影響を受けたり、空間が制限される….。大いなる大宇宙と一つの魂が何故この身体に入っちゃったのかっていうのってやっぱりすごく大きな理由があると思うのですよね。

その一つは本当に溶け合って、区別がなくなっている…女性って結構この状態にすごくなりやすい… だけれども、身体がなかったら、もう通りすぎる、記憶にも残らない。だけど、身体が記憶として、(身体をどこまで身体とするか、という定義もあるけれども)、身体がある事によって、身体が記憶している。

Miya:なるほど!それは私は意識した事がなかった。

みかりん:アンカリングしてくれるというか。

Miya:でも、言われたら分かる!なんで、完全に調和したと思ったかって、それ以外に説明がつかないですものね。証明できない事だから、感覚がなかったら絶対にわからない事ですものね。

瞑想とゾーン

みかりん:たとえば何か音楽をやっている時とか、スポーツをやっている時とか、すごく集中している時。絵をかいている時とか、詩を書いている時。そういう状況になった時って、一般的にゾーンって言われるんですけど、たとえば、スポーツ選手がものすごいパフォーマンスをした時に、後でインタビュアーが、あの時どういう状態だったのですか?とか聞いても、いや、何も覚えていないですっていう事なんですよ。

Miya:なるほど。映像とか記録に残っていて、後から見て、それと自分の身体の体感をすり合わせていくみたいな。自分のパフォーマンスを見て、そういう事をする時って確かにありますね。

みかりん:そこで面白いのが、座って動かない状態でやる瞑想と、動きながらやる瞑想ってあるんですけど、どちらのアプローチでもその人がやりやすい方とか、合っている方をやれば良いと思うんですけど、身体をその状態に持っていく事によって、ゾーンに入りやすくするっていうのが、一つの修行法としてもあるし、色んな方法があります。

ゾーンと思想
Miya:身体のゾーンの作り方が、今お話伺っていて、いい方向に向かう物は、メソッドがあるものは、その通りやっていけば、上手くいく可能性が高いという事だと思うのですけど、逆に、悪い方向にいく、悪いゾーンというか、身体は慣れているから気持ち良い、たとえば、私の場合は、結構お酒を飲んでいた時期に、お酒を飲みたくなくても、身体が飲んだ時の気持ちよさを覚えていて、そこに向かって行きたい、みたいな、そういう悪いゾーンみたいなのってありますか?

みかりん:多分、それはゾーンではないのだと思う。

Miya  :身体の記憶ではあると思うのですよね。今、みかりんさんがおっしゃっていたのって、ゾーンに入りやすい身体の状態にするっていう事ですよね。たとえば、スポーツだったり音楽だったり色々な種類があると思うのですが、それが良い方向に向かっているというのって、どうやって見極めたら良いのでしょうか?

みかりん:矛盾とか色々なものが一つになっていくのだけど、面白いのが、身体をいかに、そのゾーンの状態、瞑想の本当に無の状態に持っていくかっていうのは、身体なんだけれども、さっき最初に言った思想が、すごく必要になるんですよ。

身体はえらい!

みかりん:だから、やみくもに、ただ身体を動かす、その人のゴールが例えばオリンピックで優勝するっていうふうに、一生懸命やってゾーンになるっていう方法もあるし、でも、背景に自分が何を目指しているか、っていうのがすごく大切な所で、それを設定する事によって、身体も設定されるんですね。身体ってえらいんですよ。すごく。

Miya:なるほど!

みかりん:だから両輪が必要になる。

Miya:なるほど、ただやみくもにやるのではない、というのはそういう事なのですね。

自分の体験を信じる

みかりん:これは実は私の体験もあって、私はヨガをずーっとやってきて、色々な瞑想をして、祈りのプロジェクトもやってきたのですが、色々な体験をしています。私は体験至上主義なので、自分が体験した事じゃないと信じないんです。

ヨガのトレーニングをしていた時に、ヨガの経典があるんですね。【ハタヨーガ・プラディーピカ 16世紀に行者スヴァ―トマラーマによって編纂された経典 ※みかりん注】色んなアーサナ、身体をどのように動かすか、バイブルですよね。そういうものって絶対的なものじゃないですか。ある時、そこに書かれていた、逆立ちを、10分だったか、30分だったか忘れたんですけど、逆立ちをそれくらい長い時間やっていると、目が潰れるからやってはいけない、というふうに書いてあったんですね。でも、修行していると、あ、修行っていうとなんだか苦しいものみたいなんですけど、やっている本人はすごく楽しいんですよ。

Miya : 最高ですね。

みかりん:自分が限界だって思う所をどんどん超えて新しい世界がひらけていくから、それをやっていて後ろを振り向くと、なんだかすごい修行をやっているように見えるし、周りから見るとすごい修行しているって思われるのだけど、忍耐づよく。でも、私は全然忍耐強くなくて、嫌だったらすぐ挫けるし、楽しくなかったり、気持ちよくなかったりすると、すぐに挫けるんだけど、あれは楽しいからずっと続けられたんですね。

だから修行っていうとちょっと私の中では語弊があるのだけど、そういう感じで逆立ちをやっていて、30分過ぎても目が潰れないんですよ。それで、やっているうちにだんだん身体が慣れてきて、1時間、2時間、3時間ってできるようになっていくのですよ。

Miya: 嘘〜!

みかりん:馬鹿でしょ(笑) 若気の至り〜みたいな。目潰れないんですよ!

Miya:( 笑) 人によるですね。

みかりん:いや、私以外にもそのくらい長い時間やっている人いっぱいいて、確かに目は腫れるんですよ。体液が全部下にいくから。だけど、だんだん引くのが早くなってくるし、なんか目潰れないじゃん!と思って。だから、経典で必ずしも正確じゃないんだと思いました。そこで。

Miya:そうか(笑)盲信するのはよくないという事ですね。

みかりん:大体、仏教の経典もそうなんですけど、ブッダ本人とかキリスト本人が書いている訳ではなくて、周りの人が書いているから、そこを見極めるというか、外から見たらこうなんだけど、本当にやっている人はそうかどうかっていうのは、わからないっていう事がわかったので、とりあえず、全部自分で試そうっていう風にやっていたのですよ。 

体系的につながる

みかりん:今は、私は天真会っていう青木宏之先生の所で瞑想をまた学んでいるのですけど、何が良いかっていうと、それを体系的に、哲学とか、それも、いわゆる西洋哲学だけじゃなくて、禅の思想だったり、アートだったりとか、現代のおこっている事だったりとか、ありとあらゆる事を学んでいくんですけど、その中で自分が、ばらんばらんにやっていた瞑想が、初めて体系づけられたんですよ。それで、今言ったようなそれぞれの瞑想法の背後にあるもの、後は、時代性とか、その次に出てきたものは何?、とかっていう風に、すごく大きな視点でそれを見た時に、初めて自分がやってた事が整理整頓できて、自分の軸がはっきりわかった時に、そこからすごく早いんですよ。意識を解放していくスピードが。人間って古代からそんなに変わっていないですから、肉体的にはそんなに進化していないし、

Miya:空も飛べないですしね。

瞑想の段階

みかりん:感じる事とか考える事ってそんなに変化ないから、人間の意識がだんだん自由になっていく、何にもとらわれなくなる、本当に自由になって、大自然、大宇宙と一体になるっていう所にいくには、段階がある。

Miya:なるほど。そうすると古代からのやり方である程度完成されたという事でしょうか?

みかりん:いえ、完成されてません。人間自体が完成されていないので、その先はまだまだあると思うんですね。その段階から行くといわゆる「悟る」っていうのは、とりあえず10段階ある内の3段階めなんです。

Miya: えー!そうなんですか!

みかりん:それって何かというと、結局気がつくっていう事。

Miya:悟るが?

みかりん:はい。気づくという事が悟り。それが、大きい悟りか小さい悟りかとかね。でも、大きい、小さいはないので、要するに今までの自分の殻というか、コンフォートゾーンというか、自分が今まで生きた世界があって、そこからちょっと違う視点が生まれる、それって悟りだと思うんですね。それがどこまでリープしていくかっていうのは、本当にタイミングとか、恵みですよね。天の恵みとしか言いようがないんだけれども、でも、そこに行くまでに、非常に効率的に考えられたのが瞑想っていうシステム。それには色んなやり方がある。

Miya : なるほどですね。なんだか言葉で説明できないけれど、体感的には伝わったし、瞑想がざっくりで良いって言ってくださるのはすごくありがたいですし、そういうきっかけで、今回お話しを伺えたという事もすごく嬉しいですし、もっともっと知りたいと思いました。

フルートカフェ 音楽と瞑想❷へ続く….

動画でお楽しみなりたい方はこちら▶︎

音声でお楽しみになりたい方はこちら▶︎

Silent Vortex Live 情報
7月29日(金) 錦糸町 シルクロードカフェ

出演:Silent Vortex
みかりん(クリスタルボウル) Miya (FX Flute)
予約 ¥3,500 当日¥4,000 18:30 open 19:30 start
予約 https://forms.gle/J33uxXo49Q1Qt4fRA
問い合わせ team-can-on@miya-music.com
(PCからメールを受け取れる設定済のアドレスからご送信ください)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?