現代宮城風土記#14:東北大学


東北大学

仙台市青葉区片平に本部を置く国立大学。通称『とんぺー』。1907年に創立で旧帝国大学の1つ。宮城県出身の学部学生は全体の15%。片平、星陵、川内、青葉山の4つのキャンパスがある。川内、青葉山のキャンパスでは熊や猪などの野生動物と共に、自然を感じながら勉学に励むことができる。

東北大学の主な歴史

1907年:『東北帝国大学』として設置
1911年:理科大学開設、図書館設置
1913年:理科大学で初めて女性の入学を許可、県立宮城病院(現・東北大学病院)が移管
1918年:農科大学が北海道帝国大学農科大学(現・北海道大学)として分離独立
1920~1940年代:様々な研究所を附置
1949年:東北大学に改組
1953年:大学院を設置
1961年:文系学部が川内、理系学部の多くが青葉山に移転
1965年:教育学部教員養成課程が「宮城教育大学」として分離独立
1980~2000年代:研究所群の改組
2004年:国立大学法人化
2017年:農学部が堤通雨宮町から青葉山に移転

宮城教育大学

仙台市青葉区に本部を置く教育系の単科大学。1965年に設置。東北地方で唯一の国立系の教員養成大学で、初等教育、中等教育、特別支援教育の教員養成課程がある。付属の幼稚園、小学校、中学校を有する。仙台市周辺の教育意識の高い家庭の子供はこの附属小・中に行きがち。

宮城教育大学

前身の教育・研究機関

東北帝国大学は割愛。

仙台医学専門学校

かつて仙台にあった戦前の学制における医学専門の高等教育機関。1901年に旧制第二高等学校から医学部が分離して成立した。中国人留学生として文学者の魯迅が学んだ学校としても知られる。1912年に東北帝国大学に包摂されて東北帝国大学医学専門部となった。

仙台医学専門学校跡地

第二高等学校

かつて仙台にあった戦前の学制における高等教育機関。1887年に第二高等中学校として設置され、1949年に東北大学に包括された。校舎は片平、北六番丁、三神峯へと移転していった。後に北六番丁は東北大学雨宮キャンパス、三神峯は教養部として利用された後に三神峯公園となった。

第二高等学校跡

仙台高等工業学校

かつて仙台市にあった旧学制の専門学校。略して『SKK』。1906年に設置され、一度東北帝国大学に包摂された後に、1921年に再び独立して設置。戦後は「東北大学」に包摂され、現在の工学部の母体の1つになった。片平キャンパスに「旧仙台高等工業学校建築学科棟」が残る。

仙台高等工業学校

宮城県女子専門学校

かつて仙台市にあった旧制の女子専門学校。1926年に日本の公立では福岡と大阪に次ぐ全国で3番目、東京以北で初の女子専門学校として創立。越路(現・宮城県向山高等学校付近)に校舎があった。戦後に「東北大学」と合併し、農学部家政学科(後に生活科学科に改称)の母体となった。

宮城県女子専門学校の碑

附属研究所・施設

金属材料研究所

略して『金研』。金属をはじめ、半導体、セラミックス、化合物、有機材料、複合材料などを研究している。1916年に『臨時理化学研究所第2部』として発足し、初代所長の「本多光太郎」が日本の十大発明の1つとされる『KS鋼』を発明した。

金属材料研究所

流体科学研究所

流体の物性や現象の解明およびそれらを用いた機能創成や応用を研究対象とする国内唯一の『流体科学』の研究拠点。分野は環境エネルギー、健康、医療、航空宇宙など多岐にわたる。1943年に『高速力学研究所』として設立され、1989年から現名称。

流体科学研究所

多元物質科学研究所

金属・セラミックス・半導体・有機物・生体関連物質などを複数の学問分野にまたがって研究している。1941年に選鉱製錬研究所、1943年に科学測定研究所、1944年に非水溶液科学研究所としてそれぞれ設置され、幾度かの改組を経て統合し設置された。

多元物質科学研究所

加齢医学研究所

研究内容は加齢制御、腫瘍制御、脳科学の大きく3つの部門に分けられる。1941年に結核とハンセン病の克服を目的に『抗酸菌病研究所』として設立。結核患者の減少に伴い昭和中頃からはガン研究に力を入れるようになった。1993年から現名称。

加齢医学研究所

災害科学国際研究所

2011年の東日本大震災を受け、大学内の「防災科学研究拠点」を拡充させる形で2012年に発足した。工学、理学、医学、人文学にまたがる学際的な研究によって実践的防災学の構築し、災害科学研究の世界的な拠点を目指している。

東北大学植物園

仙台市青葉区川内にある植物園。東北大学が1958年に『理学部附属植物園』として設立。かつて仙台城背後の「御裏林」だった丘陵地であったことから人手が加わることが極少なく、自然林が残った。1972年に敷地の約8割が植物園として初めて国の天然記念物「青葉山」に指定された。

東北大学総合学術博物館

「東北大学」の附属博物館。大学創立以来収集してきた学術資料・標本類を一括して集中管理するために1998年に設置された。2002年時点では専用の建物が開館する予定だったが後に撤回された。現在は『理学部自然史標本館』とWeb上に資料が公開されている。

川内萩ホール

東北大学川内南キャンパス内にある複合施設。正式名称は『東北大学百周年記念会館』で、大学創立50周年を記念して開館した『東北大学記念講堂』及び『松下会館』の2棟を2007年に改修した。設計監修は卒業生の阿部仁史に委託。2016年に公共建築賞を受賞。市民も利用可能。

川内萩ホール

ナノテラス

東北大学青葉山キャンパスで建設されている次世代放射光施設。いわゆる『ナノまで見える巨大な顕微鏡』で、軟X線領域の放射光施設で電子状態やダイナミクス等の詳細な解析が可能。製造業、医療、環境、農業、漁業など多様な分野での活用が期待されている。2024年に運用開始予定。

東北大学病院

仙台市青葉区星稜にある東北大学附属の総合病院。1817年に創設された仙台藩医学校施薬所を源流とし、2003年に医学部と歯学部の附属病院が統合して創設された。先進的な臨床研究を行う病院であり、仙台医療圏の医療を支える拠点でもある。最寄り駅は仙台市地下鉄南北線の北四番丁駅。

東北大学病院

東北大学病院の主な歴史

1817年:仙台藩医学校施薬所が創設
1872年:藩校出身者が南町に私立仙台共立社病院を開設
1888年:『県立宮城病院』に改称
1913年:『東北帝国大学』に移管
1949年:医学部附属病院と改称
1996年:漢方外来の設置
2003年:歯学部附属病院との統合で「東北大学病院」の創設

県立宮城病院

かつて仙台市にあった県立病院。1817年に創設された仙台藩医学校施薬所を源流とし、その出身者によって1872年に私立仙台共立社病院として南町に設立された。その後、仙台公立病院などの改称を経て、1913年に東北帝国大学に移管され、東北帝国大学医学専門部附属医院となった。

主な著名人

本多光太郎

愛知県出身の物理学者、金属工学者。東北帝国大学附属金属材料研究所の所長、東北帝国大学の総長を歴任した。1916年にKS鋼、1933年に新KS鋼を発明し、1951年に文化功労者に選ばれた。東北大学片平キャンパスには彼の在職25周年を記念して1941年に竣工した「本多記念館」がある。

本多光太郎胸像

西澤潤一

宮城県仙台市出身の工学者。東北大学第17代総長。宮城県名誉県民。PINダイオード、高輝度発光ダイオード、光ファイバー等を発明・開発して『ミスター半導体』『光通信の父』などと呼ばれた。また、これらの発明に対する学会・政財界の無理解と対峙した『闘う研究者』とも呼ばれた。

伊坂幸太郎

仙台市在住の小説家。千葉県松戸市出身で、東北大学法学部を卒業している。2008年に「ゴールデンスランバー」で第5回本屋大賞、第21回山本周五郎賞を受賞。他にも「重力ピエロ」や「アイネクライネナハトムジーク」などの作品があり、宮城県仙台市を舞台にしたものが多い。

魯迅

中国の文学者、思想家。浙江省で生まれた。1902年に官費留学生として日本に派遣され、1904年に東北大学の前身・仙台医学専門学校に、初の中国人留学生として入学した(のちに退学)。代表作に『狂人日記』『阿Q正伝』がある。東北大学片平キャンパス内に通称『魯迅の階段教室』が残されている。

魯迅の顔面

登録有形文化財

現代宮城風土記#1を参照

その他

三太郎の小径

東北大学川内キャンパス内にある散策路。東北帝国大学法文学部教授・学部長を務めた阿部次郎の作品である『三太郎の日記』にちなんで名づけられた。「川内萩ホール」の外側を周遊して支倉常長像を経由し、「仙台市博物館」の前庭を通ってキャンパスに戻るルートのことを指す。

三太郎の小径

おわりに

近々、国際的に卓越するらしい。研究所と著名人は追記していきます。

更新履歴

2023年11月:文章を作成。

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