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ドバイワールドカップに関する私の思い出

1.導入~ドバイワールドカップ黎明期

昨年、ドバイワールドカップをウシュバテソーロが勝ちました。1996年、アメリカのシガーが優勝した第1回以来、ダートで行われたドバイワールドカップを日本馬が制するのは初めてのことです。

その第1回に、日本から遠征したのはライブリマウント。当時の日本のダート最強馬でしたが、シガーから離されること18馬身差の6着。ここが、日本のドバイワールドカップ挑戦の原点でした。

しかし、ヨーロッパ競馬を規範とし、芝中長距離を中心に発展してきた日本競馬において、ダート競馬の重要度は当初それほど高くありませんでした。したがって、日本におけるダート競馬の発展は芝のそれよりかなり遅れることになります。

翌年、第2回ドバイワールドカップに遠征したのは砂の女傑・ホクトベガ。ダート重賞10連勝という実績を引っさげ挑みましたが、最終コーナーに入る手前で骨折。その場で安楽死処分となり、二度と日本の地を踏むことはありませんでした。

2.ドバイワールドカップ=負け戦

これ以降、私の中のドバイワールドカップは、「日本最強馬がアメリカ・UAEの最強馬に蹂躙される負け戦」という位置づけに過ぎませんでした。
2001年にはトゥザヴィクトリーが逃げ粘って2着に入りましたが、それ以外の日本馬はいずれも惨敗に次ぐ惨敗。
私も幼心に、「勝てるはずがない」と思いながら、そんな負け戦を毎年見ていたのを思い出します。

例えるなら、1970年代~1980年代のサッカー日本代表でしょうか。

「ワールドカップなんて行けるわけがない」。その予想通りに敗退を繰り返した日本代表同様、2009年頃までのドバイワールドカップは、「勝てるはずがない」と分かっていた戦いを毎年見せられていたのです。

3.訪れた転機~2011年に日本馬初制覇

しかし、2010年に開催場がナド・アルシバ競馬場からメイダン競馬場に代わり、馬場もダートからオールウェザー(全天候型馬場)に変更されると、翌年にヴィクトワールピサが日本馬として初のドバイワールドカップ制覇を成し遂げます。しかも、2着にトランセンドが入り、日本馬ワンツーを達成するという歴史的快挙でした。

その時までのドバイワールドカップに出る日本馬というのは、皆追走で精いっぱい。騎手が必死に促して中団を追走しますが、4コーナーを回る頃までにはすっかりガス欠で画面からフェードアウトする始末。もしくは出足よく前目に付けたとしても、3コーナー辺りで早々に手応えが怪しくなり、最後には馬群から離されるという有様でした。

2011年のドバイワールドカップはそんな私のイメージを覆し、4コーナーをトランセンドが先頭で回り、ヴィクトワールピサが2番手。そもそも「ドバイワールドカップで、日本馬が先頭・2番手で4コーナーを回ってくる」など、これまでの常識ではありえない話だったのに、それに加えて日本馬ワンツーまで決めてしまったのです。それはもう全く、夢のような話でした。

4.オールウェザー馬場の功罪

ただ、この時の馬場はオールウェザー。ダートではありません。つまり、アメリカのダート強豪馬にとっては、足元が変わってしまったことで、思うような結果が出せなくなってしまったのです。
これを受けて、アメリカ馬はこぞってドバイワールドカップを避けるようになります。その結果、2014年はアメリカ馬なしでの開催となりました。これはまずいと思ったメイダン競馬場は、翌年からドバイワールドカップをダート開催に戻しています。
ダートに戻ってしまうと、日本馬に出る幕はありません。2015年以降、遠征した日本馬は以前と同じような惨敗を繰り返していきました。

5.訪れた光明

2019年まで大敗を繰り返した日本馬でしたが、中止となった2020年を挟んでの2021年、チュウワウィザードが2011年以来、ダートとしてはトゥザヴィクトリーの2001年以来、2着連対を果たします。
なお、チュウワウィザードは翌年も3着に好走しました。なぜチュウワウィザードがドバイワールドカップでこれほどの好成績を収めたか、明確な理由は分かりません。
しかし、レース運びが上手で、最後までバテずに伸びてくるのが強みの馬でした。
序盤のスピードに優勢なアメリカ馬が多く参戦するこのレースにおいて、求められるのは一瞬の切れ味よりも長く、しぶとく伸びる末脚であることは明白です。ドバイのダートが合っていたことに加え、チュウワウィザードの脚質が、このレースの展開にマッチしていたのが、2年連続の好走の理由なのでしょう。

6.ウシュバテソーロの勝利について

昨年勝ったウシュバテソーロも、チュウワウィザード同様最後までしっかり脚を使えるタイプです。その上、もともと芝を中心に使われていたため、末脚の切れも一級品です(昨年4月の東京2100mで上がり3F34.0を記録)。つまり、後半にめちゃくちゃいい脚を使える馬だということ。

昨年のドバイワールドカップも、例に漏れず序盤から厳しい流れになりました(パンサラッサが逃がしてもらえなかったほどだし)。そんなサバイバルレースを、後方でじっと我慢していたウシュバテソーロに、展開が向いた。もちろん、焦らずに追い出しのタイミングをギリギリまで待った鞍上・川田将雅の好騎乗もその要素に含まれます。

色々な要素が完璧にかみ合った結果、今回のように「27年目にして、日本馬によるダートのドバイワールドカップ初優勝」という結果がもたらされたということです。

7.まとめ

序盤に述べた通り、私の中でドバイワールドカップというのは負け戦でした。しかし、今こうやって日本馬によるドバイワールドカップを現実のものとして見ることができています。
一度目が15年目、二度目が27年目。子供の頃の記憶からすると、まさか生きている内にこのレースを日本馬が勝つのを二度も見られるとは思っていませんでした。

もちろん、二度のみならず、三度、四度…と日本馬が頂点に立つ所が見たい。今の日本競馬のレベルなら、それは間違いなく可能だと私は確信しています。

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