見出し画像

試合に出る選手に知ってほしい、試合に出れない選手の想い

どうも、こんにちは。金曜日は宮城で大学講師をしている半人前コーチです。でも今日はセンター試験前日のため、講義がないそうです!びっくり。

前回の記事ですが、非常に多くの方にお読みいただきまして、感謝です。本日まででなんと約1万ページビュー!twitterでのコメント等も読ませていただきました。
同じ想いの保護者の方、コーチの方がいらっしゃることがわかり、私のこれからの活動にも、大いに励みになります。お互い頑張っていきましょう!

さて昨日のお話なんですが、現在31歳になる教え子と久々に飯を食いました。おいしい豚しゃぶを食べました。彼女と初めてあったのは2000年。もう19年も前なのですね。当時私は大学1年生。彼女は中学1年生でした。そして高校時代の話になりまして。高校のときの先輩たちが大好きだったという話になりました。

その先輩の代には、こんな二人がいました。
一人は、試合に出るけど、自主練習が好きではなくて、昼練も適当にやっている先輩。
もうひとりは、非常に一生懸命声も出すし、練習もするのですが、試合にでは出れない先輩。
一緒に飯を食った教え子は後者の先輩が大好きだったと。そんな話をしてました。

その話をしながら、私はサッカー日本代表の、1つのあるエピソードを思い出しました。それは、スポニチの2006年7月3日の「三浦淳の思い踏みにじった日本代表」という記事です。

私が当時好きだったサッカー選手の三浦淳宏選手に関する記事で、彼はドイツW杯で、残念ながら代表から漏れてしまいました。ドイツW杯でジーコジャパンは、海外組を中心としたメンバーで構成されていましたが、結果的に予選で3戦全敗。グループリーグ敗退となったのです。この記事はW杯の予選中に、控え組だった三浦選手が、先発組のメンバー達に話した内容が記されていました。

====
 日本代表がW杯出場を決めた時のエピソードがある。昨年6月3日のバーレーン戦前に行われたUAE・アブダビ合宿でのことだった。左サイドバックの控えだったベテラン三浦淳宏は「オレは試合に出たい。だからこそ、試合に出ている人間にはしっかりやってほしい。オレは年齢的にも最後。W杯に行きたい。だから、このチームでできることをやろうと心から思っている。もっと必死にやろう」とチームに訴えた。

 ジーコジャパンはバーレーンと過去2試合戦っていたが、アジア杯では延長の末に4-3、ホームでの最終予選はオウンゴールで1-0と苦戦していた。バーレーン戦前のキリン杯でも連敗。チームの雰囲気は不安と焦燥で停滞していたが、当時、フィールドプレーヤーでは最年長だった30歳の熱い言葉がチームを1つにした。そして、バーレーン戦、北朝鮮戦と連勝し、結局は世界最速でW杯進出を決めたのである。

 日本代表はドイツで惨敗した。そこには三浦の名前はなかった。果たして選ばれた23人の中で、あれほどまでに「W杯に出たい」と訴えていた三浦に胸を張って「必死にやった」と言えるのは何人いるだろうか。ピッチに出た選手は動けなくなるほど走り回ったか。出番の少なかった選手はチームのためにできる限りのことを尽くしたか。

・・・中略・・・・

 02年(前回W杯)、トルシエ監督はFW中山とDF秋田のベテランコンビをW杯メンバーに加えた。控えだったが、彼らの練習に取り組む真摯(し)な姿勢が主力に活を入れ、控えのストレスを封じ込めた。ドイツには三浦も中山も秋田もいなかった。チームは一丸となれないまま終わった。ジーコ監督が「歴史を変えられるジェネレーション」と期待した世代は、技術はあっても精神的には成熟していなかった。
====

この記事を読むたびに、ちょっと泣きそうになります。
試合に出ていない選手が言う言葉。出ている選手にとってはどれほど重い言葉だったのでしょうか?

当然チームとしては、上を目指すためには主力選手の指導に注力するでしょう。ただ、勝つために必要な指導は、技術が上の数人を伸ばすことだけで十分なのでしょうか?

試合に出れない選手は、見られることも少ないことから、自分が必要とされている選手なのか、自分の存在の意味はなんなのか、疑問に持ってしまうことにもなりかねません。

試合に出れない選手はどのチームにもかならずいます。その選手は、チームに必要の無い選手なのでしょうか?チームに必要なのは、試合に出る技術に優れた選手だけなのでしょうか?

それを考えていたとき、前述の ”とてもがんばるけど、試合に出れない先輩” を思い出したのです。その代は県大会の決勝まで行ったのですが、その選手は公式戦にはほとんど出ることができませんでした。でも、練習は一番真面目でした。
あるとき、その選手のお母さんが、娘との会話の中でこんなことを言ったそうです。

「私は多分高総体まであんまり試合には出れないと思う。でも、それでもいいの。今の仲間たちとバスケットをしてることが最高に楽しいし、幸せだから。自分が走って、声を出して、みんなががんばろうと思ってくれるのなら、それでいい。」

この話を聞いて、泣きそうになってしまいました。
指導者の立場からすると、そのような選手がいることで、どれほど助かるか分かりません。その選手が頑張っている姿に、指導する側もどれほど勇気を与えられたかわかりません。

おそらく試合に出ている選手たちも、試合に出ていない選手が一生懸命に練習していれば、手を抜くことはできないでしょう。試合に出れない選手も、チームの一員として「チームに必要な選手」であることを、彼女には強く教えてもらいました。同時に、そういうチームを創ること、そういう選手を育てることが、チームを強くするために必要であると教えてもらいました。

同じように、試合に出ている選手たちにとっても、そういう選手はとても大切なチームメイトであり、共有する時間を重ねれば重ねるだけ、お互いの存在が尊いものとなることでしょう。もし、その状況で選手の一人がチームから欠けてしまったら、チームとしても精神的ダメージの大きさは計り知れません。

私も高校時代は最初から出たり、途中から出たりだったので、ベンチにいるプレーヤーの気持ちも、多少は分かっているつもりではありますが、まだ不十分かもしれません。みんながチームにとって必要だということを伝えてあげることで、少しでもモチベーションが上がってくれればなぁ。。。

と、願ってやみません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?