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社会で生き残る学生の見分け方:「印象に残る人」は、創れるのか?

みなさん、こんばんは。半人前コーチ@大学研究室です。
本年より大学の講師を生業としているのですが、研究って難しいですね。教育については、これまで仕事とコーチとでやっていたことが活用できますし、かなりアドバンテージを持っていると恥ずかしながら思っていたのですが、研究は学生レベルです。まだまだ初心者です。大学教員となったからには、そちらも頑張らねばですね。

ってことで、今日は小学生とか高校生とか、部活以外の話し。
社会に出るときとか、社会に出た後に必要なこととか、そんなこともこれからは書いていこうと思います。

で、私は3年生と4年生のゼミを持っているのですが、最近はゼミ以外でも就職の相談に来る子はとっても増えています。さらには、高校3年生の進路相談もあったりします。そして、30分でも面談をすると大体わかるのです。
何がわかるかというと、その子が就職活動で苦労するかどうか、そこで大体分かります。

もう少し詳しく言うと、私が頭の中で以下の3つくらいに面談相手を分けてします。
①就職活動でも、社会に出てからも強く生きられる子
②就活は苦労するけど、社会では強く生きられる子
③どちらでも、このままだと厳しい子
※ 私はそもそも”就職”なんてしなくてもいいと思っている立場ではあるのですが、それはまた別の話として、今度書きます。

ざっくりこの3つにはすぐ分けられますし、就職活動の結果も残念ながら、この仮説の通りとなってしまいました。

①~③について、どれに属したほうがいいというのもないのですが、社会通念上の”就活”とそれに対する親御さんの期待等も鑑みた時に、①のような人材を期待されることが多いので、そのような人材を意図的にデザインすることが出来るのか、についてちょっと考えて見たいと思います。(本意ではないですが、理解をしやすくするために、①~③のように、敢えて記号化して書いていくこと、ご容赦ください。上から見てるようでごめんなさい。)

まず、私がどうやって3つのタイプに分類するかというところから書くと、まずはその子に1つでも超強烈な個性があるのかどうかを見ます。とても簡単に言うと、①かどうかの判断は、それだけです。
ポイントは、”オール5”では無いという点です。どれか一つでも、「5では表現しきれない、10!」というところがあるかどうかです。これがとても重要です。

日本の学校教育においては、どうしてもこの「オール5」が優秀とされ、学生として評価されます。大学という教育機関においても、学生に対する見方はこれまでの義務教育と大差ないというところでしょう。ただし、社会に出てからは違います。
この現代において、社会に出てから重要なことは「私は何者なのか」を明示できることだと私は考えています。つまり、その人間性やスキルを明確に言語化できるか。そして言語化のためには、その根拠となるような原体験や、経験の蓄積が必要です。
「優秀です」だけでは明確な言語化とはいえず、「何に(カテゴリ)、どのように(強さの方向性)優れているのか」ということが重要だと思っています。


学校教育での「優秀者」は、すべてを滞りなくオペレーションできる。という人材を生んでいるのではないかと思います。強烈な子や強烈な知的好奇心は、集団運営においては障害なってしまう可能性が高いからです。(こちらについては、前回の記事をご参照ください)

そしてもう1つ考えられるの要因は、”インプット上手”が極端に評価されてしまうということです。学校教育における優秀は、テストで良い点を取っているかが重要な要素です。インプットが一時的に定着しているかどうかを問われるテストで、良い点が取れれば、優秀と言われることがあるでしょう。
ただし、インプット上手は「私は何者か」を明示できる人材とイコールではありません。「私が何者か」を明示するためには、様々な人的な経験:つまりはアウトプットをすることによって得られた周囲の反応や自分の感覚の進化が、自分が何者かの輪郭をより強固なものにしてくれるのではないかと思うのです。ここが、これまでの教育機関で言われている優秀者と、社会での優秀者の違いなのかなと思っています。

私は現代の、社会で評価される人材像を「バロック型人材」と呼んでいます。バロックは歪んだ真珠という意味ですが、要は持っている能力にバランスを欠いていても、明確な特徴がある方が必要とされ、使われる。逆に学業的に優秀だけど特徴がない人材を、私はその手前の段階として「ルネッサンス型人材」と呼んでいます。凸凹していても、そのでっぱりを伸ばす教育を行わなければならない。ということを痛感しているところです。

ここまでは
”①就職活動でも、社会に出てからも強く生きられる子”
の見分け方について書きましたが、次に、

②就活は苦労するけど、社会では強く生きられる子
③どちらでも、このままだと厳しい子
をどう分類するかについて書いてみます。

こちらもすごく簡単にいうと、
・それといった特徴はないけど一定レベルの力を持っていて、且つ、最後まで粘り強く闘い続けることが出来る子であり、
・且つ、この子となら一緒に働いてもいいかも。と思われる”可愛げ”があるか
が、②と③の違いです。

今は尖った特徴を持っていなくても、最後まで粘り強く闘い続け、且つ可愛げがある人間には、失敗があったとしてもまた仕事が振ってくることが多いです。要求よりも上を目指そうという姿勢が見える人間に対しては、(特に日本においては)なるべく機会を与えよう、という気持ちになることが多いのです。そして、その結果として、②の人材は多くの経験を得ることが出来、数年後には自分が何者であるかを明確に言語化ができるための、根拠となる原体験を手にすることが出来ると、私は過去の経験から判断しています。

②と③の違いの中で特に難しいのが、”可愛げ”という部分です。これを私は「バリアの数」という言葉で言い換えて伝えています。

可愛げがない。と感じてしまう人の多くは、心に多くのバリアを無意識のうちの張っていることが多いのです。そして私の経験上、そのバリアは大きくこの4つかなと思っています。
・不要なプライドのバリア
・相対比較による満足のバリア
・過度のリスクヘッジのバリア
・卑屈のバリア

不要なプライドのバリアは、自分が優秀であると過信してしまっているがために、他人の発言を受け入れない、あるいわ、他人の発言の前に自分の能力をひけらかすことを優先してしまうことです。これがあると発言する側は、自分の発言は通じないと判断して拒絶に向かうか、そもそも発言すらも行わずにスルーする。ということになるかと思っています。簡単に表現すると、”いらつく”のか”関わらないようにする”ことを選択されてしまいます。

相対比較による満足のバリアとは、誰かよりもやっているから満足している。もしくは自分よりも不幸な者を見て笑っている。という状態です。もう少しいうと、何かを目指している!という状態ではなくなっていることです。停滞しているのに、それに言い訳をしている状態。この相手には、”言っても無駄”とか”これ以上伸びないし”と思われ、一定以上のオーダー(もうちょっと一緒にがんばってみよう。とか)をもらうことはなくなります。

過度のリスクヘッジのバリアとは、文字通り、失敗を恐れるがあまり自分の枠から出ずに、チャレンジをしない状態です。チャレンジをしたいという気持ちはあれど、受け身のとり方がわからないため、ジャンプをしないような状況を指します。この状態の相手には、一度や二度はチャレンジを進めるのですが、2度まで拒否すると、3度目はチャンスをもらえない。というような流れに陥ります。

卑屈のバリアとは、どうせ私にには出来ないし。そんなこと私に言われても無理です。という状態です。この状態は非常にネガティブというという部分と、ある意味何かに対して大きな課題、すなわち熱量を抱えている可能性があるので、相手からは「すげー面倒くさい」と思われるか、「超おもしれー」と思われるか、諸刃の剣の状態です。「超おもしれー」と言ってくれる相手に出くわすと、それ以降①の人材として扱われることもあったりします。

で、私が③っぽいなーこの子。と思ってしまったときには、その子がどのバリアを持っている状態なのかを指摘してみて、まずはどのバリアを持っているかという自覚を持ってもらうことから始めています。

このやり方によって、(100%成果が上がったということではないですが)③状態だった子に、少し前進してもらうことが出来ました。本人も、それを自覚したことによって、人とのコミュニケーションがうまくいくようになった。と言ってくれました。


ここまででもかなり長くなってしまったので、今日は
①就職活動でも、社会に出てからも強く生きられる子
②就活は苦労するけど、社会では強く生きられる子
③どちらでも、このままだと厳しい子
を、どう見分けて、どう自覚してもらっているかを書きました。

これを学生に知ってもらえると、意図的に回避したり、進んだりが出来るかな?という期待も込めて、記事にしてみました。
長文読んでいただき、ありがとうございました。

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