僕は「コミュニケーションが増える方を選んでいる」ってことなのかもしれない

映像の仕事をしていて、撮影は好きだったけど編集はどうにも好きになれない自分がいた。家で一人でPCに向かって作業をするのが億劫になってしまう。撮影をするだけの仕事なら楽しんでできるのに、編集でやる気をなくしてしまい、クライアントさんに迷惑をかけたことも一度や二度ではない。

これが、前の僕ならば「撮影が好き」「編集はそんなに好きじゃない」っていう結論を出していたんだけど、ちょっとその考えを改めるようになった。今月からアルバイトで自分の家に編集ができる人に来てもらうようになったのだが、その人と一緒に編集のことをあーだこーだ言ったりする時間は、一人で編集するよりも何倍も楽しいのだ。

それに気がついた時、僕は一つの仮説を作った。僕が撮影が好きな理由は「現場でコミュニケーションができるから」編集が好きじゃない理由は「家では誰ともコミュニケーションができないから」なんじゃないかっていうものだ。

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僕は元々、映像が好きとか、写真が好きとか、カメラが好きというキッカケで今の仕事をしているわけではない。音楽を仕事にしたい、映像だったらそれが可能なんじゃないか?ということで映像を選んだにすぎない。そんな自分が、4年半もカメラを使い続けることができているのは、「カメラを通じて演者とコミュニケーションができるから」なんじゃないだろうか。

実際、僕は撮影現場で、被写体(例えばライブとか演劇とか)から自分のことを認知されない場合、仕事上のテンションはかなり低い。「カメラマンさん」扱いされるのが嫌なのである。これが、被写体が自分のことを認知してくれていて、「宮原さん」扱いをしてくれる現場だったら、テンションは500%くらいあがる。

また、趣味でポートレート撮影をしているけど、実は撮影自体よりも、被写体の人とお話をしたり、撮れた写真をタネに会話をすることの方が楽しかったりもする。この前一人旅をした時、風景写真を撮るためにカメラを持っていったが、ポートレート撮影に比べてものすごくつまらなかった。その時は「風景の撮影はあんまり好きじゃないんだなー」と思っていたが、そうではなく、その写真によるコミュニケーションが発生しないからなんじゃないか、と思っている。

今にして思うと、映像撮影を始める前、ボカロPを目指していた時だって、家で一人で行う作業が多かったから挫折したのかもしれない。映像撮影を始めてから、ライブハウスで新しい人と会ったり、直接褒められたり、知り合いがふえていったことが、僕が映像撮影を続けられた原因なんじゃないだろうか。

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僕は今、自分の今後の仕事の進め方についてかなり色々なことを考えており、1月から新しいことを色々始めてみた。その中には、オールドレンズの分解清掃して「レンズせどり」をしようと思ったこともあり、専用器具も揃えた。結局、3本くらいのレンズ清掃をしたら飽きてしまったのだが、それは、いくらレンズを清掃しても、コミュニケーションが増えないからなんだろうと思う。

要するに、僕はコミュニケーションが好きだから、「どうやったらコミュニケーションが増えるか」ということを考えて、自分のやることを決めていけばいいじゃないかと思う。闇雲に新しいことを始めても、それが自分にしっくり来るのかはやってみないと分からない。だけど、「これをやることで、僕のコミュニケーションの総量は、増えるのか?」ということを考えれば、その目の前のことをやるべきか・そうでないかは見えてくるのではないだろうか。

僕は自分を中心とした「村」のようなコミュニティを作りたいと去年から思っていたし、その中心に自分がいる環境を作りたいと思っている。よく考えると、それはコミュニケーションを増やしたいからなのかもしれない。僕がこれから生きていく中で大切にしていくものが、今少しだけはっきりした気がするし、この事実が、今後の自分の人生の道標になるということを、なんとなく確信している。

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