のっぺら小僧譚

 昔々あるところに、一堂のお寺がありました。

 そのお寺には、厳しくも優しい和尚さんと、その元で修行をする三人の小僧さんたちがおりました。
 それはどこにでもある、ありふれたお寺の風景でした。

 ただ一つだけ、大きく違っていたのは、小僧さんのうちの一人が、のっぺら坊主だったことです。
 目も鼻も口も耳もなんにもありません。首の上に、ただただ顔のようなものが載っているばかりでした。

 その小僧さんがいつからそのお寺にいるのか、どうしてそこにいるのか、誰もわかりませんでした。
 それでも、他の小僧さんと同じように、毎日修行に励んでいました。

 和尚さんはもちろん、他の小僧さんたちも、このお寺にのっぺら小僧がいることを、当たり前のことと思っていました。

* * * * * * * * * * * *

 ある日のことです。和尚さんが一昼夜、お寺を留守にすることになりました。

 「わしがいなくとも、普段と同じように生活をするのだぞ。努努、羽目を外すようなことがあってはならんぞ」

 そう云って和尚さんは山を降りて行きました。

 その日、小僧さんたちは和尚さんの云い付けをよく守り、普段通りに修行をしました。

 でもそこは遊びたい盛りの小僧さんたちです。すべて云い付け通りに過ごすはずはありません。
 一日の修行が終わり、本当ならば、床に就いていなければならない刻限を迎えました。
 けれども、うるさい和尚さんがいないのですから、素直に寝られるはずがありません。
 小僧さんたちは、本堂に敷いたせんべい布団の上で車座になって、いつ果てるともしれないおしゃべりに興じていました。

 そんな中、三人の中でいちばん年嵩の小僧さんが、こんなことを云い出しました。

 「のっぺらちゃんの顔に、顔の絵を描いてみよう」

 のっぺら小僧はなんにも云いません。でも、彼が嫌がっていないことは、他の二人によく伝わっていました。

 年嵩の小僧さんにそう云われて、年若の小僧さんが筆と墨汁を用意してきました。

 年嵩の小僧さんは、筆を取り上げると、その筆先にたっぷりと墨汁を染み込ませ、大きく「へのへのもへじ」を書き入れました。

 のっぺら小僧の顔に大きく書き入れられた「へのへのもへじ」。それを見て、二人の小僧さんは大笑いをしました。
 のっぺら小僧も、笑いこそしませんでしたが、一緒になって楽しんでいることは、他の二人によく伝わってきます。

 「今度は僕の番」そう云って、年若の小僧さんがおぼつかない手つきで、顔のようなものを書き入れました。まだ幼いとその小僧さんは満足な顔を書くことができません。出来上がった顔は、まるで失敗した福笑いのようになってしまいました。
 それを見て、また二人の小僧さんは大笑いをし、のっぺら小僧も一緒になって楽しんでいました。
 それからしばらく二人の小僧さんは、のっぺら小僧の顔にいろんなものを書き入れては、大笑いをしていました。

 どのくらいの時間が経った頃でしょうか。どれほどたくさんの顔をのっぺら小僧に書き込んだ頃でしょうか。年嵩の小僧さんが、ふと、まじめな顔つきになって、のっぺら小僧の顔に筆を走らせました。

 そこには、険しい顔をした大人の男の人の顔が書かれていました。

 「これは誰なの」年若の小僧さんが尋ねます。
 「俺のおとうだ。俺が小さい頃に死んでしまったのさ」年嵩の小僧さんは、少し悲しそうな、それでいて少し嬉しいような顔をしながら、そう答えました。

 三人の小僧さんたちの間に、さっきまでの楽しい雰囲気と打って変わった、神妙な空気が流れました。

 その時でした。

 小僧さんたちの周りを、まばゆいばかりの光が包み込んだのです。

 「うわあ」
 「なにこれ」

 光はどんどんと強くなり、小僧さんたちはもう目を開けていることすらできません。どこからか、きぃん、という、金物をこすり合わせるような音も聞こえてきました。

 やがて、金物をこすり合わせるような音が聞こえなくなり、小僧さんたちは恐る恐る目を開けました。

 「うわっ」
 「誰ですか」

 それまで、のっぺら小僧が座っていたところに、厳しい顔つきをした大人の男の人が座っていました。

 男の人は、しばらく押し黙ったまま年嵩の小僧さんの目を見つめていました。それからふっと小さく笑い、こう云いました。

 「久しぶりだな、坊」

 年嵩の小僧さんは、もう目に涙をいっぱい溜めていました。「おとう! おとう! おとう!」

 年嵩の小僧さんは、おとう、おとう、と繰り返しながら、男の人に、むしゃぶりつくようにして抱きつきました。そうして、その胸で、わあわあと泣きました。

 「おとう。会いたかったよ」
 「大きくなったな、坊よ」
 「もう、どこへも行ってくれるな」
 「坊よ、これからも強く生きるんだぞ。おとうはいつでもお前のそばにいるのだからな」
 「おとう! おとう! おとう……」

 また、小僧さんたちの耳に、きぃん、という音が聞こえてきました。その音が大きくなるにつれて、また、まばゆい光が当たりを包み込みます。小僧さんたちは、また目を開けていられなくなりました。

 音と光がおさまりました。小僧さんたちが目を開けると、もう、大人の男の人はいなくなり、そこにはのっぺら小僧がいるばかりでした。

 「こらっ! あれほど普段通りにせよと云っておいたのに!」

 予定を早く終えた和尚さんが帰ってきました。和尚さんは、小僧さんたちが、こんな夜更けまで起きていたことに、とても怒っていました。

 「違うのです。いま、この子のおとうがやってきたのです。それで、泣いて喜んでいたのです」
 「ばかを云うな。のっぺら小僧に抱きついて泣いているばかりではないか」

 和尚さんにそう云われて、年嵩の小僧さんはようやく、自分がのっぺら小僧に抱きついて泣いていることに気づきました。「あれ? おとう?」

 和尚さんは、なにを寝ぼけているのだ、と呆れ顔です。
 
 それでも年嵩と年若、二人の小僧さんは一所懸命に和尚さんに説明をします。

 「本当なのです。のっぺらちゃんの顔に、おとうの顔を描いたら、おとうが現れたのです」
 「なにを寝ぼけたことを云っておるのだ。嘘をついてはいかんと常日頃から云っておるだろうに」

 和尚さんはまるで取り合ってくれません。

 その時でした。のっぺら小僧が、和尚さんに向かって、そっと、筆を差し出しました。他の二人の小僧さんも真剣な顔つきで和尚さんを見つめています。

 「そこまで云うのなら……相わかった」和尚さんは、さらさらさらと、見事な筆さばきで、のっぺら小僧の顔に絵を書き入れました。「どうだ」

 「和尚さま、それはずるいです」
 「それは人の顔ではありません」

 小僧さんたちは口々に不満を云いました。のっぺら小僧の顔には、かわいらしい猫の顔が描かれていました。

 「お主らの云うことが本当ならば、これも現れるはずだ」

 和尚さんがそう云い終わったときです。また、きぃん、という音が聞こえてきて、辺りを、まばゆい光が包み込みました。

 「……みぃ子ちゃん。ごめんね。あのとき、助けてあげられなくてごめんね」

 和尚さんは、そこに現れた一匹の子猫を抱き上げると、頬ずりをして涙を流しました。

* * * * * * * * * * * *

 どこで聞き及んだのか、のっぺら小僧の不思議な力は、いつしか多くの人の知るところとなりました。

 朝日が昇る頃には、山門の前には黒山の人だかりができるほどでした。
 小僧さんたちが、山門を開けると、待ちかねていた人々の波が、我れ先にとのっぺら小僧の元へ向かいます。
 
 お寺は、すっかりと、目の回るような忙しさになっていました。

 数え切れないほど多くの人々が、のっぺら小僧の不思議な力を借りて、いまはもう逢えなくなった誰かに再び逢い、いまはもう手にすることができなくなった何かを手にしました。

 どの人々も、逢えないと思っていた人や物との再会を大変に喜び、大いに懐かしみ、涙を流して喜びました。そうしてその時間が終わると、こんどはそれらと別れ難いと云って涙を流しました。

 そんな日々が、いつ終わるともしれず、続きました。

* * * * * * * * * * * *

 ある春の日のことです。

 朝はまだ早く、山門を開けて人々を招き入れる前のこと。小僧さんたちは、いつもそうしているように、境内の掃除をしていました。

 のっぺら小僧も、他の二人と同じように境内を掃除しています。その傍らには桜の樹があり、頭の上には、満開の桜の花が咲き誇っていました。

 境内を、さっ、と爽やかな春の風が吹き抜けます。

 その風に誘われて、のっぺら小僧は掃除の手を止めて、ふと、顔を上げ、桜の花をじっと見つめました。
 春の風に吹かれた桜の樹が、はらはらと、その花を散らせます。その様を、のっぺら小僧は、じっと、まるで時が止まったかのように眺めていました。

 その時です。

 境内の陰から、一人の男が、のっぺら小僧の前に飛び出してきました。

 男は、一目で浪人ものとわかるあやしい風体をしていました。着物は薄汚れ、髪の毛はざんばらにみだれ、いやな匂いが漂っています。それはまるで、生きながらにして死んでいる人のようでした。

 男は、のっぺら小僧の前に立ち、その顔を正面から見据えました。

 男は、腰に差した刀の柄に手をかけてから、低く、くぐもった声で云いました。

 「なぜ、思い出させるのだ……なぜ、ふたたび別れの悲しみを与えるのだ……」

 のっぺら小僧は、男の方に顔を向け、小首をかしげました。

 その刹那、男の刀が一閃し、のっぺら小僧を袈裟斬りにしました。

 どう、と倒れ込んだのっぺら小僧を、男は憐れむような目で見つめていました。やがて、男は、我に返ったようにはっとなり、どこやらへ駆け出し、その姿を消しました。

 あっけにとられてこの光景を見ていた小僧さんたちが、のっぺら小僧の元に駆けよります。

 でも、その時にはもう、のっぺら小僧は息絶えていました。

 本堂からその様子を見ていた和尚さんはなにも云わず、天を見上げました。

 その時、境内に、またもやさっと、春の風が吹き抜けました。

 その風に誘われるように、桜の花びらが、のっぺら小僧のなきがらと、その傍らでひざまずいて泣いている小僧さんたちの上に一輪、また一輪と降りそそぎました。

* * * * * * * * * * * *

 小僧さんたちは、桜の樹の下に、のっぺら小僧のなきがらを埋め、小さなお墓を建ててあげました。

 やがて、お墓の脇から小さな樹が生えて、見たこともない綺麗な花を咲かせました。

 『のっぺら小僧譚』 おわり

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