希望の路

 この数日、テレビなどでコメントをする人が押し並べてまず、信教の自由、を云ってから意見を述べるのを見るだに、マスコミュニケーションっていろいろ大変だよね、と、思いますです。

 閑話休題

 昨日の日曜日、東京は新宿にある紀伊国屋書店本店に赴いた。入店してすぐ、客が少なく店内が閑散としていると思った。同店に足を運んだのはほぼ十ヶ月ぶりのことだが、その時もやはり客入りは悪く、つまりはあれからなんらの改善もしていないのだと感じた。
 それはまあ、日曜日とはいえ店内に入ったのが午前十一時時頃だったから、まだ客足のピークが来ていないということはあったろうけれども、往時、具体的にはAmazonが巨大化する以前の頃ならば、日曜日ともなれば開店時刻早々にはすでに客がたくさんいて賑わいを見せていた。新宿駅の地下街からB8出口を通ったところにある書店のエレベータの前にはそれに乗ろうとする客がいつでも十人ほど溜まっていた。昨日、エレベータ待ちをしておったのは私を含めて三人。
 思えば既に昨年の秋には、新宿駅南口にある紀伊国屋書店サザン店が洋書売り場とサザンシアターを残して閉店した。
 改めて、時代の流れに、歴史ある巨大書店すら押し流されてゆく日が来るとは思わなんだ、と思った。

 閑話休題

 そんなことを考えながら帰途についた。郊外電車に揺られること暫し、我が住処の最寄り駅に到着したとき、ふと、駅ビルにある書店を覗いてみようという気になって足を運んで驚いた。客がたくさんなのである。レジの前には精算を待つ客が十人以上並んでいた。日曜の午後だから、という理由はあったろうけれども、それにしてもこの差は一体なんだと思った。文化のドーナツ化現象、というフレーズがふと脳裏に浮かんだが、こんなことを実際に口にしたら嘲笑されるのが関の山だと思って誰にも云わずにおいた。そもそもそのとき周りに知り人がいなかったし。町なかで一人で話してちゃ頭が馬鹿の人みたいになるし。

 閑話休題

 私は読書家ではないから名作と誉れ高い小説を読んでいなかったりする。そういうわけだから、kindle unlimitedをぶらついていて目に止まったジョージ・オーウェル『1984年』を読み始めた。まだ全体の二割ほどしか読んでおらないのだが、いやあ、面白いねぇ。読みながら、この小説が書かれた頃というのは、ディストピアにしろユートピアにしろ、未来を想像する愉しみ面白さが存分にあったのだろうなあと思った。

 閑話休題

 私のホームページのトップページには七年前から”あの懐かしい未来へゆこう”、と、そう片隅に書き入れてある。インターネットの未来を想像する余地、愉しみがあったあの頃に夢想していた、テクノロジーのユートピアみたいな未来へゆくんだ。馬鹿が回転寿司の醤油差しを鼻の穴に突っ込んで炎上するような未来になんてどうして平気でいられようか。

 閑話休題

 まあなんつの、今のネットに身を置いていると、『劇画・オバQ』的な感じ、っつーの? 『幼年期の終わり』で云うところの、オーバーロードに新人種が連れて行かれた後の地球、的な? 感じになっちゃうみたいな?

 閑話休題

 ではそんなことでまた。いずれまた違うユートピアが現れると思って楽しくゆこう、ネ。人生は長いようで短い、まるで一本のゴムのようだ。ってそれはゆーとぴあだ。よろしくぅー、ねっ。

 http://garbage-coll2.sakura.ne.jp/

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