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最後の夏の過ごし方〜大学生㊵〜

ゴールデンウイークが近づいてきました。今年は夢の10連休ということで世間は色めきだっていますが、5月の半ばごろになると暑い日が増えてくるので、この時期を境にトレーニングがキツくなるイメージがあります。走りやすくて気持ちいい時期は短いですよね。

4年生の春シーズンは怪我に泣かされた時期でもあったので、夏にかける想いは特別でした。ただ、走るだけに没頭できた時期でもなくて、結果的に色んなことを考えて過ごした夏になったなと振り返って思います。学年があがって立場が変われば考えることもいろいろ。そんな「最後の夏」について2回に分けて書いていきます。


|教員採用試験

4年生の夏は卒業後の進路について考える時期。大学院に進む仲間もいましたが、僕は卒業後は地元の石川県で教師になるつもりだったので、夏に教員採用試験を受けました。

ただ、大学の4年間を通してずっと走りっぱなしで世間知らずという自覚はかなり強く、卒業後の身の振り方に迷っていたのもこの時期。

「本当にこれで良いのかな・・・?」

教師になるのは昔からの夢で、そのために筑波大学に進学したはずでしたが、なかなかスッキリ目標に向かって努力できるほどのモチベーションがありませんでした。一応補足をしておくと、教師という仕事が嫌になったわけではありません。教育実習はめちゃくちゃ大変だったけどとても充実していて、やりがいもありました。子どもたちの成長をすぐそばで見られる仕事にはとてもやりがいを感じます。にも関わらずどうしても自分の中で「今の自分が教師になっていいのか?」という疑問が拭えず、腑に落とせなくて、めちゃくちゃモヤっと過ごしていたのをよく覚えています。めんどくさい男ですよね。でも、敷かれたレールがなくなるってそういうことなのかもしれません。

もちろん誰でもいきなり金八先生になれるわけではありません。新米教師なんてそんなもんですよ。でも、一度教師の世界に入ってしまうと、自分の性格上その枠から抜け出せない気がして、一度世間を見てから教師を目指してもいいんじゃないかとも思っていました。

そんなふわふわした状態で試験を受けたもんだから、結果は散々。そもそも当時はとても教師になりにくい時代で、僕が受けた年の採用試験は140人の受験者に対して合格者は2人という状況でした。これじゃぁ合格するはずありません(苦笑)

ちなみに、石川県の教員採用試験には「模擬授業」があり、保健の教科書に含まれる内容の中から無作為にテーマが選ばれ、それについて10分ほどで授業をやらなくてはいけません。教科書の内容を丁寧にまとめて、生徒役の試験官にわかりやすく伝えるかが見られる課題でした。そのための対策もしてきたのですが、課題が出された瞬間に自分の中で何かのスイッチが入ってしまい、出題テーマを放棄。「なぜ保健という授業をやるのか?」「生活に密接に関係した内容だから大切に聞いてほしい!」「授業は自分とみんなとのやりとりだから聞くだけじゃなくて活発に話をしよう!!」
みたいなことを熱弁しました。
(生徒役の試験官もさぞ困ったことでしょう)

若かった自分に感心します(笑)よくやったなと。もやっとする気持ちをここで吐き出していたのかもしれません。結果は言わずもがな不採用。でも後悔はないです。

もし万が一にでも合格していたら人生変わってただろうな〜


|チームを離れて考えたこと

通常、多くの都道府県では教員採用試験を2回に分けて行なっています。一次試験は筆記試験。一般教養、教職教養、そして専門教養の試験が行われ、合格した者は二次試験として面接や実技、模擬授業などを受けます。この間およそ1〜2ヶ月ほど開くのですが、石川県の場合はこの一連の試験を受験者全員が2週にわたって受けるというシステムでした。

試験は日曜日に行われるので1週間ほど間が空きます。その間にチームの練習に戻っても良かったのですが、少し無茶なスケジュールだったので、1週間ほどチームから離れ地元で練習しました。その間はチームのことを考えることもなく、自分のことだけ考えて練習していました。練習拠点は自分が陸上競技を始めた大切な場所。そこに帰ってくるだけでいろんなことを思い出し、素直な気持ちになれるところです。中学一年生のころは、単純に走ることが楽しかったし、学校を背負ってとか、誰かのためにとか、そういうものは全く意識せずに走っていました。陸上を始めて10年の間に自分を取り巻く環境がガラッと変わってしまいどこかで走らされているという感覚になっていたんですよね。

もちろん、チームでいることのメリットも大きくそれを否定するつもりは全くありません。月並みな表現になりますが、仲間と切磋琢磨し、チームで頑張ることで記録が伸び、仲間がいたからこそ楽しかったのも間違いのない事実です。ただ、当時を振り返ると自分を解放する場所を持っていれば良かったなと考えることがあります。逃げ場所というと少しネガティブな感じがしますが、自分の迷いや悩みが解放できて、そこに行けば色々と解決できる場所。最近の言葉で言えば”リトリート”、心の開放です。

僕のレベルであっても競技をやり続けることで受けていたストレスはとても大きかったと思います。逃げないようにしてきました。戦おうと思って頑張りました。でも逃げることも間違いじゃないんですよね。努力したことだけが評価されるわけではありません。努力は手段であって目標じゃないですからね。そこが当時は分かってなかったなぁ、、真面目でしたから。(今もかw)


|夏の過ごし方

「最後の夏」という表現を使うと特別な感じがしますが、実際にはその年だけが特別なんじゃなく、積み上げてきたものが成熟し、実ってくるものです。強いチームの4年生はコツコツ頑張ってきた結果が実を結び、味のある渋い走りをしてチームを上位に引き上げるというストーリが成り立ちます。チームとして理想的な形でしょうね。

その当時の自分たちを冷静に振り返ると、4年間いろんなものを積み上げてきたというよりも、あーでもないこーでもないという試行錯誤を繰り返して、最後の夏に一皮も二皮も(・・・何なら十皮くらい)剥けることを期待しながら過ごしたと思います。そんな劇的な変化なんて簡単にできるもんじゃないのにそれが実現されないと目標に達しないという現実がありました。

ホント、余裕がなかったです。タラレバになってしまいますが、アクセルやブレーキをかけてくれるコーチが4年間いて、そんなコーチに頼ることができたら、違う結果が出ていた気がします。でも今の自分は間違いなくいなかったでしょうね。どちらが良いとは言えません。違う景色も見てみたかったですが、それは生まれ変わった時のお楽しみにとっておこうと思います。

今は自分が歩んできた人生の中で関わる人を支えていけるような仕事をしていきたいと思っています。リトリートだったり、怪我をした人を支えることだったり、ランニングを通した自己実現支援。ちょっとわかりにくいですが、今までやれらてこなかったものだとからこそ、言葉にしづらいものなんですよね。

焦らずに、でものんびりもせずに形にしていこう。


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Miyakawa Kota

株式会社ウィルフォワードアスリート代表。筑波大学体育専門学群卒/元高校教師/柔道整復師/日本陸連A級トレーナー。ランナーのための情報メディア「RUNNING CLINIC」を発信中〜https://runningclinic.jp/

My LIFE1.0〜学生時代

走ることが自分の価値観や人生観の基礎を作ってくれました。僕が陸上競技を通して養ってきた想いを綴ったマガジンです。
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