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4年生としての自覚と変化〜大学生㊲〜

ここまでガッツリ陸上競技のことを書いておきながら、小さいころは大学4年間を箱根駅伝のために捧げるなんて、夢にも思っていませんでした。普通の小学生でしたし、中学生になった当初は部活動の意味があまりよくわかっていませんでした。陸上部に入ったのも強いモチベーションがあったわけではなく、部活動の雰囲気が気に入って入ったというような感じでしたからね。

当時、「体育会系」と聞くと非常に野蛮な世界だと思っていて、風の噂で「体育大学に入ると1年生は4年生に『いちまんえん』と書いた紙切れを渡されてお酒を買いに行かされ、お酒とお釣りを4年生のところまで急いで届けなければいけない」と聞かされていました。こんな世界は嫌!そもそも無理!!と思っていたのですが、気が付けば筑波大学の体育専門学群(一般的に言うところの体育学部)に入学していて、世の中どこでどう方向転換するかわからないなと痛感したもんです。

も・ち・ろ・ん

僕が学生の頃にはそんな体育会系文化はありませんでしたよ。理不尽(いや、犯罪レベル)な仕打ちは受けていませんでしたし、後輩にもそんなことは課していません。ただ、大学の同期だったケイとガッツリ昔話をする機会があって、懐かしい話で盛り上がっていたら、「あの頃のコータには色々厳しいこと言われたよな。俺も怒られた覚えあるし」って言われました。言った方はあんまり覚えてないんですよね。仏のミヤカワのつもりだったのですが、若い頃はそうじゃなかったみたいです。

当時はケイとたくさん衝突しました。お互いがお互いを嫌いだったと思います。ただ、それは人間が嫌いというよりも、仲間でありライバルでもあるからこそ、譲れない部分を持っていて、そこで衝突するんですよね。だからきっと「嫌い」という感情は正確ではなくて、お互いを認め合うからこそ生まれていた必要な対立感情だったと思ってます。今となっては苦楽を共にした大切すぎる仲間。会って話をすれば時間はいくらあっても足りません。いい奴です。そして今のような柔らかい関係になったのも、きっと年をとったからなんでしょうね。お互いに30を越えてくると、若い頃の自分の甘さに気づき、お互いを尊重し合うもの。ケイは今では立派な三児の父。駅伝にも誘ってくれて懐かしい時間を過ごしました。

駅伝では「監督」と「選手」の関係ですw

■4年生の自覚

最上級生は威張ったり権力を振るったりするものじゃありません。今ならこれが社会の主流であり、これに異論を唱える人はかなり減ったと思います。ただ、下級生の立場でチームに物申すのと、自分が4年生になって引っ張るのとでは意味が全然違って、そこには発言に対する責任が常に伴っていました。こんな風に言う以上、自分はこうしなければならない。正しい責任感の持ち方だったかは分かりませんが、チームのことは常に一生懸命考えていました。

ただ、学連選抜にまつわるエトセトラによってすっかり反省していたので人の意見はしっかり聞こうと思っていました。実際にできていたかどうかは別として、最後の学年を迎えるにあたって起きた心の変化は多かったです。そして、不思議なものでこういう時にはいろんな人が集まってくるんですよね。依然として専任のコーチをつけることはできず、学生主体のチームで練習メニューは4年生中心に作っていましたが、大学院に外から入学してきた人たち、つまり「学生」が次々と力を貸してくれました。

元々実業団でコーチをしていた大学院生→練習メニューのアドバイス
鍼灸師の資格を持つ大学院生→コンディショニング管理
栄養士の資格を持つ大学院生→栄養面でのアドバイス

大学院生たちは専任ではなくアドバイザー的な立ち位置。報酬が出ることもなければ、目に見えるようなメリットもありません。練習メニューを作ることを全て任せたり、コンディション管理や栄養管理を100%お願いするなんてできませんが、こうしてみんなが自分のできることをちょとずつ協力してくれて知恵を出し合うことが本来の学生スポーツの姿なんじゃないかな。恵まれすぎた環境でやっていると、それが当たり前だと思ってしまうかもしれませんが、全然そんなことないですからね。

そう考えると今の学生は恵まれているなと思ってしまいます。もちろん自分たちの時代もOBOGの先輩方から言わせれば恵まれていると突っ込まれるでしょうし、不毛な議論だということはわかっています(苦笑)12年後に当時を振り返って、お金はかかったけど、人に恵まれたなと感じる場面がたくさんあることが幸せですね。

当時は関わってくれるすべての人の想いも大切にしながらこの1年を大事にしようと思っていました。

■筑波大学というチーム

少しだけ当時のチーム紹介をしたいと思います。ここでいう「チーム」とは長距離チームではなく大学単位で考えた時の「チーム」。4年生になるとそれまで以上に大学に所属しているという意識が強くなりました。4年生という立場がチームに対する想いを強くしてくれますね。みんなで何かを成し遂げたいというのは大きな願いでしたし、そうやって動き練習に励む仲間を見ると、パワーをもらいました。

筑波大学は箱根駅伝の舞台からは随分遠ざかっているのですが、陸上競技部全体で見ると強豪校です。強い選手がたくさん在籍していて、短距離、跳躍、投擲とインカレで軒並み上位入賞。長距離チームで入賞ゼロという状況でも、学校対抗では優勝を目指して戦っているようなチームでした。当時の陸上部主将はその後オリンピックに出た選手。大学2年生の時にもオリンピックに出るチャンスがあったのですが、わずかに届かず悔しい思いをしていました。雑誌やメディアで華々しく書かれる彼の記事を見ていると、「恵まれた天才」という印象を受けてしまいますが、実際はものすごい練習をこなしていました。

毎日のように苦しさでゴール付近で倒れこんでましたし、泥臭い練習をしっかりやっていました。彼の練習を言葉で表現すると逆に伝わらないなと思いつつ、あえて表現するなら「ものすごい練習」と表現するのが正しいかな。どこまで努力すれば勝つ基準に達するか分かりませんが、わからないならとにかくガムシャラにこなせと言葉ではなく態度で伝えてきていたと思います。彼も陸上競技部の主将としての責任感が強かったんでしょうね。

「努力した人間がすべて報われるとは限らない、だけど成功した人間はすべからく努力している」とはまさにこのこと。『はじめの一歩』のなかで僕が好きな名言です。

大学を卒業したあとはみんないろんな世界で活躍しています。教員として部活動の指導をしている仲間もいますし、陸上界に深く関わっている仲間もいます。全く別の世界に走入っても、体育会系の部活で4年間過ごしたという日々を考えれば頑張れると思い励みにしている子も少なくないんじゃないかな。

4年生はカウントダウンの日々。試合を迎えるごとに、「あぁ、大学最後の○○試合だな」としみじみ感じてしまうので、それが想いを強めて行くのかもしれませんね。

あの当時の思い出はずっと色褪せることはないでしょう。大事な日々です。

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