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ランナーを支えるシューズの話〜大学生㊴〜

ランニングシューズのマーケットがザワつきだしたのは2017年5月ごろからでしょうか。それまでトップアスリートが履くレースシューズといえば、アシックスやミズノ、そしてアディダスといったメーカーが主流でしたが、その流れを大きく変えたのがナイキでした。”厚底シューズ”の登場です。今や箱根駅伝の常連校では多くの選手がナイキのシューズを使用し、マラソン中継を見れば、同じようなシューズを履いた選手が並んで先頭を引っ張っています。

「厚さは速さだ」

シンプルかつインパクトのあるキャッチコピーとトップアスリートが履いて次々と結果を出したことで一躍注目の的になりましたね。希少性と斬新性が受け、人々の購入意欲を掻き立て、ランニングシューズのシェアをあっという間にひっくり返しました。”すごい”というよりも”うまい”という感想が素直なところで、シューズも目新しかったのですが認知の仕方(売り方)も斬新でした。シューズが「良いもの」であるだけでなく、売り方が「上手いもの」でなければ人々には届かない時代なんでしょうね。

僕は、高校生の頃、一度だけナイキのシューズを履いたことがありましま。かっこいいなと思って履いたシューズでしたが、数ヶ月で破れてしまいました。自分の足には合わないなと感じてしばらく手を伸ばしていなかったのですが、より好みせずにシューズは履いておきたいなという思いもあり、そのうちチャレンジしたいなと思っています。まぁ、お財布と相談ですね(苦笑)

そんな状況の中でもシューズ職人として圧倒的な存在感を誇るのはやはり三村さん。

前回の投稿から少し時間が経ってしまったので、未読の方は前回のnoteをご覧ください(→疲労骨折と父の言葉)。いろんなご縁が重なり、三村さんにシューズを作ってもらうことになりました。現代の名工に選ばれたシューズ職人の大御所。今回は実際にシューズを作ってもらいに行った時のお話です。


■「現代の名工」三村仁司さん

三村さんにシューズを作ってもらうためには神戸まで足を伸ばして採寸してもらう必要があります。神戸までの交通費もできるだけ浮かせるために東京駅から夜行バスに乗って向かうことにしました。4列シートの一番安い夜行バス。帰省の時に夜行バスを使うのは慣れていましたが、狭い車内で過ごすのは楽ではありません。経験者したことがある人であれば想像がつきますよね。

神戸までは夜行バスで8時間半。4列シートの狭い車内ではほとんど眠れませんでしたが、眠れなかったのは座席の問題だけじゃなく、緊張感もあっただろうなと思います。クボタさんからは「1人で行ってこい」と言われていましたが、結局いっしょに来てくれました。昔事故で脚を悪くしているので、狭いバス移動は大変だったろうに、申し訳ないやら、ありがたいやら・・・。今の自分が神戸まで車中泊0泊2日をやれと言われたらためらってしまうので、本当に感謝の言葉しかありません。

神戸のアシックス本社は僕が今まで見たこともない世界でした。石川県の片田舎で育ち、つくばというのんびりした土地で大学生活を過ごしていたので、世界を相手にビジネスをする大企業の本社ビルは想像の域を越えていました。世間知らずだったなと今振り返ってもお恥ずかしい限りです。現役時代にもっと色なものを見ておくべきでした(苦笑)

アシックスの本社には高橋尚子さんのシューズが飾ってありました。白地に黄色のヒールカップ。シドニーオリンピックで金メダルを取った時に履いていたシューズです。なかなか生で見れるものではないので、それに感動していたらクボタさんが急かすように三村さんのラボに連れて行ってくれました。厳しい人だと聞いた通り、職人オーラが出ていました。手慣れた手つきで足型をとり、コンピューターとメジャーを使って足を計測してくれました。その最中体をみながら、

「内転筋が弱いから1日1時間くらいは強化に充てた方がいい」
「右足の方がストライドが長くなっているのが疲れやすい原因」
「右足首が硬い」

とアドバイスをくれました。今でも怪我をしやすいのは右脚です。単純にシューズを作るだけでなく、選手の足を見続けてきたからこそのわかる弱点だったんでしょう。口調は厳しかったですが、シューズを作りに行って、こんなにしっかりアドバイスをくれるとは思っていませんでした。真の職人に初めて出会ったのはこの時が初めて。

三村さんはその年、黄綬褒章を受章しています。今ではメディアにも取り上げられることも多くなりましたが、自分から決して表に出ようとは思ってなかったと思います。アシックスを定年退職後にミムラボを設立して、アディダス、ニューバランスと順に業務提携しました。色なメーカーが三村さんのtメイドを使ってランニングシューズの地位を固めようとしています。これもまた一つのブランディングであり、影響力の大きさは本当にすごいですよね。


■手元に届いたspecialシューズ**

新しいシューズを卸す時はいつもワクワクするのですが、この時の気持ちはワクワクというよりも、未知すぎてどんな反応をしていいのか分からなかったと言うのが本音です。こんな高いシューズは普段買わないですからね。親のお金とはいえ、自分への投資。ドキドキしました。

通常、靴ベロにはメーカのロゴがはいっているのですが、このオーダーシューズに関しては「Special」の文字が刺繍されていました。シューズのベースとなる型はあるので、一見すると見慣れたシューズなんですけど、この刺繍があるだけで印象は随分変わるもんですね。

格別

一言で表すとそんな感じ。いろんな想いが込められたシューズだったので、そう感じたのかもしれません。履くのが勿体無いなんて言ったら逆に失礼だと思い、すぐに走りに行きました。足の痛みはまだ残っていたものの、そんなのお構い無し(←真似しないことを強くおススメしますw)

肝心の履き心地はというと、足を入れた瞬間に今まで味わったことのないような感覚がありました。これまでもお気に入りのシューズってあったんですけど、それとはちょっと違う。なんて言うんでしょう、シューズが足にくっつくような感覚。適切な表現かわかりませんが、優しかったです。無骨(・・・と言ったら失礼ですが)な職人の手からできるシューズとは思えないくらいの作品でした。

三村さんにすぐに電話してお礼を伝えました。電話するのもためらうくらい忙しくて雲の上の存在な人でしたが、それでもすぐに電話に出てくれたのには驚きました。電話口の三村さんは穏やかでとても柔らかい口調でシューズの説明をしてくれて、そこから「頑張りなさい」の一言。初めて会った時の厳しさや怖さはそこにはなく、大切に作ってくれたシューズという”我が子”を送り出した”親”が発するような言葉をかけてくれました。

一流の職人は語らず
仕事を見ればすべてがわかる

無名で若輩者な大学生を相手にしてもちゃんと接してくれました。

じつは、その後社会人になってからも一度オーダーメードでシューズを作ってもらったことがあります。もちろんアシックスでお願いしましたが、その頃には東京のストアでも作れるようになっていて、若い男性スタッフが足型の測定をしてくれました。作業手順は一緒。足の型をコンピューターで撮影し、足全体のシルエットを鉛筆でなぞって細かく採寸。とても丁寧にやってくれて出来上がったシューズも非常に素敵なものでした。でも、宿っているストーリーが全然違うので、三村さんのものとは微妙に違う感じがしたんですよね。記録に大きな違いが出るとは思わないのですが、気持ちの面も競技力に左右する陸上競技においては何を身につけるかは大事なポイントなのかもしれません。


■結果を出せたのか?

少しだけ話を先取りしますが、大学4年間で箱根駅伝に出ることはできませんでした。こちらはまた改めて書く内容になりますが、夢が潰えた瞬間は崩れるように泣きました。

寝ても覚めても走ることが生活の中心だった4年間。それでも箱根駅伝は走れませんでした。箱根駅伝に出られていたらきっと見ることができる世界がまた違っただろうなぁ。お正月に箱根路を駆け抜けたかったし、家族や中学高校の恩師、そして友達にも走る姿を見せたかった。そして何より自分が一番走りたかったです。

でも人生ってサクセスストーリだけじゃないし、甘くはない。その当時は分からなかったけれど、一つ一つの出来事に意味があって、その出来事は全て自分の選択の結果。それをどう意味付けして未来の結果につなげるのかが大事なんだと思います。

三村さんに作ってもらったシューズはその後の「市民ランナー」として走る中で大事に使いました。靴ベロに書いてある「Special」の文字を見るたびに、気持ちが引き締まったのをよく覚えています。箱根駅伝は出られなかったけど、大学を卒業して1ヶ月後のかすみがうらマラソンで優勝。北京マラソンに招待されるというご褒美をもらいました。実業団に進んだ同い年のライバルたちはもちろん大学を卒業してすぐにフルマラソンなんてやらないし、そもそも市民マラソンには出ません。なので、棚ぼた的な優勝。でも、僕にとっては大きな「結果」でした。

自分が選んでやった行動の積み重ねに意味を持たせる。

過去をひきづったり、弱い自分を憂いたりするよりも、こちらのほうが大切なんだと思います。走ることだけでなく、勉強でも、ビジネスでも、日常生活でもこのスタンスってポイントになりますよね。


■specialシューズのその後

三村さんに作ってもらったシューズはその後、履きつぶしました。大事に使って穴があくまで履きました。シューズは使ってなんぼなので、履きつぶしたらちゃんと処分しようと決めていたので、もう手元にはありません。断捨離が苦手な自分にとってはかなり思い切ったことなんですよね。でも、処分して手元にないからこそ、そのシューズに込められた「ストーリー」が色濃く心の中に残っていくんじゃないかなと思ってます。今でも鮮明に思い出しますしね。

この先こんなシューズに出会うことはないだろうな。
モノにあふれた時代だからこそ、職人が魂を込めて作ったシューズが持つ偉大さを噛み締めています。

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