疲労骨折-001

疲労骨折と父のことば〜大学生㊳〜

箱根駅伝のエピソードでよくフォーカスされる鉄板コンテンツが「4年生にまつわるエピソード」。箱根駅伝にかけてきた時間が作り出す人間臭さは下級生には真似できないものがあるので、陸上をやっていなかった人でも共感したり、感動したりして心揺さぶられるエピソードがたくさんあります。僕も毎回涙ぐまずに見ることはできません。こういう時に、立場が「関係者」からすっかり「箱根駅伝ファン」になってしまったなと感じます(笑)。メディアによる脚色はもちろんあるでしょうけど、それを抜きにしても惹きつけられるのは、見る人が何かしらの自分の人生のエピソードに重ねてしまうからではないでしょうか。スポーツの魅力(見方)の一つですね。

ただ、若干水を差すような話になってしまうかもしれませんが、学生の本分は勉強であり、四年生ともなれば卒業後の進路も考える必要があります。みんながみんな実業団に進むわけではないのですが、テレビで見る箱根駅伝強豪校密着番組はそういう側面はあまり映しません。4年生になって調子を落としてしまう選手の中には就活で忙しくなったり、研究が忙しかったりというケースは少なからずあるだろうなと思ってます。もちろん他の大学の様子は分からないので、邪推ですが。

また、普段の勉強や研究だって、大学生である以上当然やらなくちゃいけない。朝練で疲れて授業中に寝てるだけなんて、本来の学生の姿じゃありません。そういったところももう少し取り上げてもらえたら、これから大学に進学するであろう高校生に「そもそも大学生とはなんぞや?(大学は何をするところか?)」が伝わるんじゃないかな。

いろんなものに触れて、経験して、考えて、そういった人間としての成長があってこそ、箱根駅伝を走っている子そのものの魅力が増すと思います。メディアによってかっこよく作られたストーリーもいいのですが、その人の本当の魅力ってきっと会って話をしないと分からないもの。憧れの選手と会えたけど、話をしてみたらガッカリ・・・なんてことがないように人間としての成長が期待できる箱根駅伝であってほしいなと強く思います。蛇足ながら。

■教育実習、そして疲労骨折

4年生になると授業らしいものがかなり減ります。学部や学科によって違うかもしれませんが、僕の場合は春に教育実習が控えていたので、この間は授業を抜けなくてはならず、4年生になる前までに必要な単位はだいたい取っていました。もともと教員志望で大学に進んでいたので、僕にとっては非常に大事な実習で緊張しましたし、事前学習も結構大変だった記憶があります。

教育実習を行う学校は自分の母校、大学近くの協力校、附属学校の中から選べるのですが、僕は大学の近くの協力校で実習を行いました。自分の母校でやれば実家から通えるし、見知った先生に実習の担当をお願いできるというメリットがあるので、多くの学生はそれを選んでいたようの思います。でも僕の場合は、教育実習期間中に関東インカレがあり、土日に練習することも考えると、大学の近くでやった方がいいと考えて母校に帰りませんでした。

それでも教育実習は本当に大変。慣れない指導案作りを毎日遅くまで行い、日々緊張の中で授業をする。自分の練習は朝早く起きて別にやったり、部活で中学生と一緒に走ったり、そんな毎日でした。荒れた学校だったので生徒指導にも奔走し、自宅に戻るのが午前3時になったこともありました。学校の先生ってこんなに大変なんだなとも思いましたし、仕事をしながらトレーニングをやることの大変さをこの時期に垣間見た気がします。

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教育実習は大変だったけど、中学生に体育の授業をどう伝えようか?あの子達は何を考えて毎日過ごしているんだろう?と考える毎日はとてもやりがいがありました。大学を卒業してから実際に高校の教員になり、7年間駆け抜けましたが、めちゃくちゃ濃かったし、いっぱい笑って泣いて、大切な時間でした。その話はまた別の機会に・・・

でも、皮肉なことってなぜかこういう時に起こるんですよね。ある時、教育実習を終えて遅れて練習に参加した時の話です。アップもいい加減にやっつけて急いで練習に合流。メニューはペース走+5000mタイムトライアルだったので、決して楽なものではなかったのですが、実習期間中は基本的に練習不足だったので、こういう練習は何が何でもこれをやらねばいけないと思ったんでしょう。当時の自分をいまの自分が見たらこんな無茶な練習参加は、腕を引っ張ってやめさせますけどね。

練習不足の体にとっては良くない練習でした。体が重いのがすぐに分かったのですが、そのまま練習を継続。最後の5000mで後輩たちを引っ張っていた時に異変は起こりました。なんとも言えない痛み。痛いというよりも電気が走ったような強い衝撃。たまらず走るのをやめたのですが、「やってしまった・・・」と気付いた頃には時すでに遅し。痛みの程度からしてこれは放っておいていい怪我じゃないと感じてすぐに練習をやめました。

恐る恐る病院に行ったら「疲労骨折疑い」。疲労骨折の場合はすぐにレントゲンに写らないので、こういう診断になってしまうのですが、痛みの程度、症状、いろいろなことを総合して考えると、この時点でほぼ間違いありませんでした。

4年生の6月。予選会まであと4ヶ月というこの時期にやってしまったミスはあまりにも大きかったです。自分の体を過信していたんでしょう。なんとかなるという思いだけでは何とかなりませんでした。

■覚悟の形

チームにはとにかく悪い影響を与えたくない。そう考えて怪我の状態を仲間には正確に伝えませんでした。これも本当は良くなかったと思います。正確な症状を伏せることがチームにとってベストな選択だと思っていたなんて、お恥ずかしい話ですが当時は若かったです。溜め込む癖はかなり強かったなぁ。

走れない不安が募り、残された時間が確実に減っていく中で、自分の気持ちを保つことが大変でした。そんな時に僕の愚痴を聞いてくれたのが4月から大学院に通っていて、チームの練習メニューについて相談していた大学院生のクボタさんでした。トップ実業団チームでコーチをしていたので、僕たちの甘いところも山ほど見えていたでしょうし、こんなんじゃダメだと思っていたでしょう。直接は言いませんでしたけどね。コーチではなくあくまで練習アドバイザー。立ち位置が微妙だったのでチームとの関わり方も難しかったと思いますが、僕にとっては貴重な相談相手でした。

悶々としている僕の気持ちを察してか、ある時練習後にクボタさんに呼ばれました。個別に話をする中でポロっとこぼれた本音。途中まで他愛もない話をしていたはずだったんですけど、話の途中から急に涙が溢れてきて、「足の痛みがとれません、どうすればいいかわかりません」と愚痴ってしまいました。

「おまえ、そんなん泣いたって治るわけないやん」

変に慰められるより、この一言のほうがよほど効いたなぁ。その通りなんです。口に出して愚痴っても泣いても治るわけじゃない。ただ、それでも不安を口に出したかったのだと思います。しばらく沈黙が流れた後にクボタさんがボソリ。

「お前、カネあるか?」
「クツ作りに行くか?」

急な提案にびっくりしたのですが、当時アシックスでシューズの開発をしていた三村さんを紹介してくれるという話でした。今でこそそんなに珍しい話じゃなくなったかもしれませんが、当時は足に合わせたオーダメイドシューズを作ってもらうなんて思いつかない時代。トップ選手にだけ許された特権だろうなと思っていましたし、実際に紹介じゃなければ僕のレベルで三村さんにシューズを作ってもらうなんて不可能な話でした。

作りに行くとなると神戸のアシックス本社まで行かねならず、往復交通費、シューズ代(クボタさんには矯正用の普段履き、練習用、レース用の3足作れと言われていました)がかかり、サラッと簡単に出せる金額じゃありません。でも、もしかしたらクボタさんは僕の覚悟を確かめたのかもしれませんね。今になるとそんな風に思います。

■父のことば

言い訳はなんだってできます。

シューズを作ったからと言って治るわけじゃない、それで走力が伸びるわけでもない、父子家庭だったのでお金もない、バイトもしてないし仕送りと奨学金の生活で口座には余裕のかけらもない。よくもまぁ、出てくるもんです。

でもそれを通り越して親に頭を下げられるか?自分に投資してもらって覚悟を決められるか?行動できるか?きっとその時の自分にはそれが試されたんでしょうね。恐る恐る電話し、泣きそうな声で事情を一通り話して、神戸に行ってシューズを作りってもらってもいいか?と父にお願いしました。僕が自覚している一番大きなワガママです。

「浩太はどうしたいの?」
「必要だと思うんだったら行って来ていい」
「通帳のお金はいくら残ってる?全部使っていいし、足りなかったら振り込むよ」

何気なく言ってくれたことばかもしれません。でもそのことばの重みは今なら少なからず分かるつもりです。嬉しさと申し訳なさ。当時はそんな感情でしたが、僕にとって今でも忘れられないことばです。

自分が逆の立場だったら何て言うかな・・・きっと父と同じ言葉をかけるでしょう。でもやっぱり生活が苦しくなっちゃうのは間違いないので笑いながら悩むでしょう。娘の受験を通して色々と考えるようになりましたが、親はやっぱり子どものためなら頑張れるんですよね。

僕がこれまでたくさんの人から受けた恩。無償でかけてもらった愛もたくさんあると思いますし、それは本人に返すのではなくこれから出会う人に恩を送っていくことが正解かな。

ランニングを通した"Pay it forward"

それがこれからの僕の志事です

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