デンバー日没

初めての海外合宿で感じたこと〜大学生㉗〜

初めて日本を出て海外に行ったのは高校生の修学旅行でした。

場所は韓国。石川県から見ると北海道や沖縄よりもはるかに近く、金額も抑えられるということで、そこになったのだと思います。当時海外へ修学旅行に行く高校は少なかったので、海外へ修学旅行に行く公立高校ということで高校の目玉行事でした。

ただ、びっくりするくらい当時のことを覚えていませんw。記念写真を見てもこんなところ行ったっけ?という始末。覚えているのは陸上部だけ朝練があって、先生が見守る中ホテルの周りをぐるぐる走っていたことくらいです。ぼくの青春時代はどこを切りとっても走ることばかりですね(笑)

■初めての海外合宿

年が明けた1月ごろだったと思います。

いろいろなご縁あり、帝京大学から合宿のお誘いを受けました。場所はコロラド州デンバー、期間は2週間。

帝京大学はデンバーに姉妹校があり、その施設を使って合宿ができるようでした。大学生にもなると他校と一緒に合宿をするということは珍しく、あるとすれば監督同士が仲良いとか、先輩後輩の間柄だとか、そういう縁の時ぐらいです。

筑波大学と帝京大学が仲が良かったというわけではないのですが、当時の帝京大の監督さんが「せっかく海外で合宿できる場所があるんだからみんなでやろう」と声をかけてくれたように記憶してます。秘密主義になりがちな日本の長距離界において、かなり珍しい試みだったんじゃないかな・・・筑波大学の他に東洋大学、亜細亜大学も一緒に合宿しました。

この話をもらって、僕は正直迷いました。とにかくお金がかかる!そんなところ簡単に行けない!それが僕にとっての「行けない理由=言い訳」だったんですよね。「行けない理由」は間違いではありませんでした。でも、そんな理由は探し始めたらきっとどんなところにも見つかってしまい、最終的には「箱根駅伝に出られなくても仕方がない」という理屈に簡単に繋がってしまいます。

本当に箱根駅伝に出たいと思えば、こんなありがたいお誘いはありません。他大学の練習に混ざれる、違う環境で練習ができる、しかも海外という特殊な環境・・・でもすぐに首を縦に振れなかったのは、正直自分の気持ちの弱さに他なりませんでした。

でも、こういう時に、すぐ行動に移すチームメイトがいました。彼の名前はケイ。同じ学年の仲間です。大学の仲間はみんなとにかく個性が強くて自分をしっかり持っている子ばかり。彼もまたそのうちの一人でした。過去2回の予選会では思ったような結果を残せておらず、彼も色なことを考えていたんでしょうね。

海外合宿の話が出て、僕が迷っている姿を見た瞬間にスイッチが入ったんだと思います。

「俺は行くよ」

と即答。授業のスケジュールをサクサク組み替え、当初の予定よりも1週間前乗りして、先にデンバーに行っちゃいました。帝京大学が事前に単独で合宿を組んでいたのですが、そこに単身乗り込んでいったんです。

考える前にまず行動。その時の自分にとって一番必要で大切なことを迷わずに選べることはとても重要な能力だと思います。結局、僕も海外合宿に参加することになりましたが、ケイのような行動を取れなかった時点で合宿の価値は半減したと思ってます。僕の弱さと未熟さでしょうね。

■海外合宿の苦労

海外での合宿は初めての経験。かつて高橋尚子さんがボルダーという高地で合宿をしていましたが、雑に説明すると場所的にはデンバーはその隣くらい。まぁ、かなりの高地です。

海外であり、複数校と合同で練習するという特殊な環境はかなりのストレスでした。もちろん、いろんな話をする機会もあったし、帝京大の1年生と同部屋になり仲良く話もしましたが、慣れない環境、慣れない食事、慣れない仲間たちと一緒に練習することで緊張感に常に晒されました。かなり酷な2週間でしたね。

食事と水が合わず、合宿後半はずっとお腹の調子が悪く、大事な坂道インターバルのポイント練習で気が遠くなりそうなくらいキツくなって、途中でフラフラとしてトイレにかけ込んだら、便ではなく赤黒い血がドバドバっと出てきました。いわゆる血便。疲労とストレスもあったと思います。出るもの出したらまたちゃんと練習に戻りましたよ。美しくないお話、失礼しました(苦笑)

その年、箱根駅伝で優勝したのは亜細亜大学でした。弱いチームではなかったですが、まさか優勝するとは?!と多くの関係者が思ったことでしょう。2週間という期間でしたが、同じ釜の飯を食い、練習をともにし、くだらない話も色々した人たちがテレビの中で大きな注目を集めているという状況はなかなか刺激を受けるもんです。特別じゃないんだとその時は強く感じましたし、自分もできるんじゃないかと思った出来事でもありました。そして、東洋大学はその3年後に初優勝しています。それ以降の成績は説明するまでもないですね。

筑波大学が描きたかった成長がなかなか描けなかった大学時代。苦しみながらも今思えばかなりいろんな経験させてもらいましたね・・・

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最後までお読みいただきありがとうございます。これからも自分の想いを文字に変えて行きたいと思います。

Thank you!!
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Miyakawa Kota

株式会社ウィルフォワードアスリート代表。筑波大学体育専門学群卒/元高校教師/柔道整復師/日本陸連A級トレーナー。ランナーのための情報メディア「RUNNING CLINIC」を発信中〜https://runningclinic.jp/

My LIFE1.0〜学生時代

走ることが自分の価値観や人生観の基礎を作ってくれました。僕が陸上競技を通して養ってきた想いを綴ったマガジンです。

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血便出るまで練習したら
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