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学連選抜チームに選ばれて〜大学生㉜〜

それは予選会翌日に連絡がありました。

「こーた!学連選抜に選ばれたよ!!おめでとう!!!」

当時の主務が僕にかけてくれた純粋な言葉は素直な喜びの声でした。彼は短距離の選手だったし、予選会のタイムがどれほどのものなのかは分かっていません。「選抜チーム」に選ばれて、箱根駅伝を走れるかもしれないという状況を素直に喜んでくれた正直な声でした。チームで本戦に出ることは叶わなかったけれど、選抜チームに選ばれたということは名誉なことです。

ただ、自分の中ではタイムの不満(というよりも「不安」)の方が大きく、彼が純粋におめでとうと言ってくれたことに対して、その好意をないがしろにする返事しかできていませんでした。ダメですね。。。ホント。

そして選ばれて分かったのは、チーム内でどういう顔をしていいのか分からないなということでした。

喜ぶ?   ←いやちょっと違う。
悔しがる? ←それも違う。

要は余計なことを山ほど考えてしまい、結果的に自爆。自分で自分の首を絞めてましたね。若かったな…自分。

■学連選抜チームの特殊性

箱根駅伝の歴史のなかで学連選抜チームという「寄せ集め」集団ができたのは第79回大会からです。

学連選抜チームはかなり紆余曲折のあるチームで、箱根駅伝というスポーツコンテンツにとにかく振り回されてきました。メンバーは本戦出場を逃した大学の中から選ばれるのですが、自校で出られず大きなショックを受けてから気持ちを切り替える選手も、負けたチームの中において自分だけ「箱根」を走るという罪悪感を持ちながらチームに合流する選手もいました。あるいはチームで予選会を突破するのが難しい大学にとっては自校を代表して走ってくれる希望の星のように扱われる選手もいます。立場が変われば様々。ウチの場合は、鐘ヶ江さんがこの学連選抜チームで初代MVP(金栗賞)をとっているので、この学連選抜チームの存在には相当大きな意味がありました。

川内優輝くんも学連選抜チームで箱根駅伝を走っています。彼もこのチームへの思い入れはかなり強く、学連選抜チームが存続の危機に立たされていた時に彼はその知名度を使っていろんな発信をしてくれました。ルールの変更の中で学連選抜チームに正式な順位がついた時代もあれば参考記録になった時代もあります。区間記録も公式記録になったり参考になったり。チーム自体が廃止になったと思ったら翌年に復活。その時に「学生連合チーム」という名称に変更しています。(←負けたチームの選手たちなのに「エラバレシモノ」という意味合いの「選抜」が使われているのはおかしいということで・・・)

書いているだけでもこの短期間に一体どれだけの変更がなされたんだとビックリします。

正直なところ「振り回さないでほしい!」というのが経験者の本音です。ただ、きっといろんな思惑や利権が関わっていて、これこそ大人の事情だろうなということは容易に想像がつきます。学連選抜という特殊なチームを題材にした小説もでてるくらいなので、興味がある方はご覧ください

■学連選抜チームに入って感じたこと

初めてチームのメンバーが顔合わせを行なったのは、予選会の1ヶ月後でした。

今はもうなくなってしまいましたが、国立競技場の目の前にあるおしゃれなカフェに集まるよう指示され、つくばから電車で1時間半ほどかけて向かいました。前述の小説中では「敗れた強者」という風に書かれていますが、そんなキレイなものでも、カッコいいものでもなく、みんなが集まったその空間に流れるのはおもーい空気。春に一緒に合宿した帝京大学からも2名の選手が選ばれていたのですが、こんなかたちで再会し、同じチームになるのは不本意だったでしょうね。表情を見てすぐに分かりました。

箱根駅伝というものを理解するには、中に入らないと分からないことがたくさんあります。エントリー、出走メンバーの決定、開会式や会議、当日の動きなど、とにかく煩雑。そこから逆算して事務的なこととしてやらなくちゃいけないことと、自分がベストなコンディションになるように集中してやることを整理しなくてはいけません。箱根駅伝に関わる事務作業なんて、学連選抜に選ばれるまではつゆ知らず。自分自身が箱根駅伝を全然知らない状態で目指していたことに愕然としました。

そして、この初顔合わせの際に、カメラマン、記者、番組の担当者など陸上競技関係者というにはちょっと毛色の違う人がたくさんいて、列をなすように名刺を渡されました。大量のアンケートを書かされて、自己紹介をした後に、写真撮影。あぁ、この顔合わせは選手向けというよりもメディア向けなんだなということをその時に悟りました。とにかく影響力がすごかったです。

前年にソーメーさんが必死に戦っていた選抜チームの振り落とし合戦がこの時からスタート。走るのは10人に対して16人が選ばれているので、約4割が振り落とされる計算になります。どういった選考基準で出走メンバーを決めて、どの時期に選考レースがあるかなどの説明を受けると重い空気も一転、一気にピンと緊張感が高まりました。

どんなに不本意なかたちであれ、チームに選ばれたからには、やっぱり走りたいという気持ちが湧くのは人間の性。同じ大学のチーム内ですらメンバー争いが起こるのに、違う大学のメンバーが集まってできたチームであれば「for team」ではなく、「for me」の意識が強くなるのは当然でした。

僕も選抜チームで走りたいという想いが強かった一方、「どの区間を走りたいですか?」というアンケート項目に対して全く書くことができませんでした。チームの中での序列を意識し、その時の自分の走力を考えた結果、「復路のつなぎ区間」が自分にとっては妥当だろうなという発想。希望区間(=何が何でもこの区間を走りたい)ではなく、妥当区間(=走れたとしてもここだろうな)を書いていた時点でダメでしたね。

約2ヶ月間という期間限定のチームでしたが、箱根駅伝を走るチャンスを与えられたこの時期。

僕は多くのことを学ばせてもらいました。


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