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「記録」にも「記憶」にも残らなかった最後の予選会が僕に教えてくれたもの〜大学生㊸〜

立川で行われた箱根駅伝予選会。あの異様な盛り上がりと緊張感は、これからの人生において経験することはおそらくないでしょうね。それくらい特殊なものでした。

早く終わってほしいけど終わってほしくない、、、言葉にうまくできないですが、無理矢理はめ込むとすればこんな感じです。

大学を卒業してから予選会の会場に再び足を踏み入れるのに12年かかりました。箱根駅伝のテレビ中継を直視するのに、5年かかりました。根に持ちすぎだとはわかっているものの、それくら箱根駅伝に首ったけだったんだなと思ってます。結果的に僕にとって「競技」として走る最後の大舞台になりましたが、レース中のことはほとんど覚えていません。


◼︎最後の予選会

予選会の朝はとても早かったです。スタート時間から逆算すると3時半ごろから身体を起こしてスタートに備えるのですが、正直なところほとんど眠れないまま当日を迎えました。当時は自律訓練法というメンタルトレーニングを受けていて、心を整えることはスキル的に身につけようとしていたのですが、感情がいろんなものを凌駕してしまうとまったく無理でしたね。経験の上でも無心で走ることが一番良い結果を生んでくれるということを分かっていたのですが、考えずにはいられませんでした。

泣いても笑っても最後であることには変わりなく、そんな中で自分がやってきたことを出すだけ。いまさら何か足掻くこともできないし、走れなかった仲間のことを思ったら、迷わず走れって感じですよね。

自他共に認める泣き虫男は情に流されちゃうので、ゆうくんのことだけじゃなくいろんあことを考えてたのかもしれません。泣き虫なのは4年たっても変わらなかったな。

1年生の頃の予選会前の様子。再三この映像を出してすみませんw

スタート前はみんなで円陣を組んで一言二言キャプテンらしいことを言ったと思います。でも何を言ったのかこちらもさっぱり覚えていません。意識でコントロールして何か言った感じではない。言った方はあまり覚えてなくて、言われた方はよく覚えてるものなので、いつか大学の同期たちとざっくばらんにいろんな話をしたいなと思っています。

スタートしたらもうゴールしていました。

苦しかったのかな?
力を出し尽くせたのかな?

ゴールした瞬間に自分の順位は大体分かります。チームが箱根駅伝に出られるは可能性は極めて低く、学連選抜に選ばれることもない結果であることは明白でした。堪えていた感情や言葉、いろんなものが走り終えた苦しさと共に出てきそうな感じがしましたが、ぐっと飲み込み仲間が帰ってくるのをひたすら待っていました。

声にならないような「ウッ、ウッ」という嗚咽がいろんなところから聞こえてくるのが、予選会ゴール付近の光景です。僕がゴールした150位前後は上位校の失速した選手が帰ってくる順位なので、きっと力を出し切れずにゴールした選手ばかりだったんでしょうね。みんないろんなものを抱えて、自分と戦っているので、僕が経験してきた箱根駅伝への挑戦はけっして特別なものではありませんでした。むしろありふれたものでしょう。

泣き虫キャプテンながら、溢れそうな感情を抑えていたのは我ながらよくやったなと思います。結果はもう分かってる。でも、まだそれを認めなくてもいいこの居心地の悪い時間が何ともいえませんでした。自陣に戻っても力無い応援団。筑波から駆けつけてくれた短距離や跳躍の選手がいたたまれない表情をしながらも僕たちをねぎらってくれました。彼らも結果は分かってます。


■記憶にも記録にも残らない結果

結果発表の時はいつもドラマがあります。いや、、、いつの頃からか箱根駅伝「本戦」だけでなく「予選会」もテレビ中継されるようになり、いろんな大学の悲喜こもごもがドラマに仕立て上げられたのかもしれません。

この年は9位で予選会を通過した国士舘大学と10位で予選会敗退となった拓殖大学のタイム差が1秒というこれ以上ない僅差でした。しかも、予選会の合計タイムでは拓殖大学が上回っていたのですが、関東インカレポイントという特殊な制度があり、春のトラックレースの結果を反映した"アドバンテージ"によって合計タイムから差し引かれ、順位が逆転したのでした。

さらにさらに!!拓殖大学がこの”逆転現象”によって予選会で敗れたのは直近4年間のなかでなんと3回目。自分が当事者だったらたまったもんじゃないですし、目頭を熱くするようなドラマであることには間違いありません。

それに対して、僕たちの挑戦は箱根駅伝の「記録」にも残らず、箱根駅伝ファンの「記憶」にも残ることなく終わりました。44チーム中18位、世間一般に見れば「筑波大学、箱根駅伝予選会突破ならず」なんて他愛のない出来事の一つでニュースにもなりません。自分たちがやってきたことが形に残ることなく終わってしまうのがたまらく悔しかったです。

ただ、それ以上にガツンと響いたのが鍋倉先生の言葉でした。鍋倉先生の説明は不要ですね。マラソンをやってる市民ランナーであれば知らない人はいないんじゃないかというくらい有名な人でしょう。筑波大学では陸上部で指導することなく、外から見るような立場でした。だからこそ、僕のこともチームのこともとても客観的に見えていたと思います。

反省会が終わって僕のところに近づいてきて背中を軽く叩きながら一言

「お前は一人で何でも抱え込みすぎなんだよ」

鍋倉先生にその言葉を言われた瞬間、堪えていたものが堰を切るように流れ出て涙が止まらなくなってしまいました。一番痛いところを突かれちゃった・・・何もかも見抜かれていたんですよね。

チームのことを本当に理解できなかった自分の実力であり、甘さであり、未熟さですね。今でもふとこの言葉を思い出します。何でも抱え込むことは見方によってはチームの仲間から「俺らのことを信用してない」という風に見られるかもしれません。もしかしたらその当時の僕はそういう風に思われていたかな。


◾️過去の自分を変えるのは今の自分

最後の予選会は苦い思い出ででした。最後まで調子をあげることもできず、結果もついて来ず、悔しい想いをしました。

もし自分が箱根駅伝に出られたら・・・
違う大学に進んでいたら・・・
浪人してなきゃ・・・

昔はそんな「たられば」をよく考えたもんです。でもこれって逃げですよね。自分が歩んできた人生は自分が選んだ道の結果です。だから、自分で責任を持ち、自らの意思と力でその過去を意味あるものにしていくことが必要なんだと思います。

今は過去の自分としっかり向き合えるようにましたよ。もし今の自分が当時にタイムスリップして声をかけられるとしても、何も言わずにそっと遠くから見守ることしかしないでしょう。だって、その時の経験が今の自分にとって間違いなく大きな影響を与えてるから。

過去は変えられないんじゃない
今の自分が過去を振り返って意味づけすることでいくらでも変えられるから。

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Miyakawa Kota

株式会社ウィルフォワードアスリート代表。筑波大学体育専門学群卒/元高校教師/柔道整復師/日本陸連A級トレーナー。ランナーのための情報メディア「RUNNING CLINIC」を発信中〜https://runningclinic.jp/

My LIFE1.0〜学生時代

走ることが自分の価値観や人生観の基礎を作ってくれました。僕が陸上競技を通して養ってきた想いを綴ったマガジンです。
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