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繋がった「箱根駅伝」は僕にとって苦くも苦しくもあった〜大学生㊹

出し切ったか?
悔いはないか?

問いかけると自信を持ってイエスと言えない自分と対峙することはなかなか大変なことです。自分自身を過大にも過少にも評価せずに語ったとするなら、やった努力度を認めてほしいという想いがある反面、なぜあの時こうしなかったのか、、、という想いも出てくるのは、自分に足りないものがあった証拠でしょうね。

最後の箱根駅伝予選会で敗れたことは、競技からの引退を意味します。卒業後に実業団でやってやろうみたいな度胸があったわけでもなかったので、悔いの矛先をどこに向けるべきか、分からない宙ぶらりんの状態でした。これからどうなっちゃうんだろうという漠然とした不安、心の中にポッカリと空いた穴を埋めるためには、動かなきゃいけないのは明白でした。

後輩たちは元気でした。いや、前向きでした。予選会で負けてからすぐに次のチームのことを話し合ってたし、心強かった反面、寂しさもあったというのが本音です。「俺たちはこうしよう」新しいチームを作るにあたって僕の作ろうとしてきたチームは反面教師だったと思います。ただ、チームが良い方向に舵を切ることはとても好ましいこと。何かを変えて前に進もうというエネルギーを彼らから感じていました。

結果的には後輩たちもこの先の1年間にいろいろな壁にたくさんぶつかっていたと思います。ただ、学生が考えてチームを作っていく過程を経験できるあの時間はとても貴重だったでしょう。


◼️学連選抜に選ばれた後輩

最後の予選会で学内一番だった後輩は順当に学連選抜に選ばれました。鐘ヶ江さんから続く箱根駅伝との繋がりを守ってくれた後輩。大学として予選会を突破することはできていませんでしたが、仲間の誰かが箱根を肌で感じることは大切です。はるか遠くの世界に感じてしまうと、それこそ箱根駅伝に出るなんて何年かかっても無理です。身近に感じること、同じ年代の学生がやってる話じゃんと意識するためにも、学連選抜に選ばれ続けることもとても大切なことでした。

学連選抜に選ばれた後輩の名前はオオシロ。去年の僕と全く同じ状況で予選会が終わってキャプテンになり、それと同時に学連選抜にも選ばれました。僕はここからジタバタしちゃったなぁ。聞く耳持たない唯我独尊ヤローになってました。でも、それを見てたからこそ、オオシロはとても上手にチームのことと自分のことをこなしていたように僕の目には写りました。日に日に調子がグングン上がっていくのは側から見てても明らか。そして、学連選抜チーム内の選考レースも自信を持って臨んでいました。

◼️記録挑戦競技会という名の選考レース

学連選抜チームのメンバーを決めるレースは今はなき旧国立競技場で開催されました。スリ鉢状の競技場は「広く感じる」という人もいれば「圧迫感がある」という人もいて、不思議な場所だったと思います。今はなき競技場を懐かしむという意味も込めて少し大げさに記憶しているのかもしれませんが、それくらい僕にとっては特別感のある場所でした。

日が落ちてきて、徐々に照明が灯されはじめるころ、選考レースが静かにスタートしました。固唾を飲みながら仲間とともにオオシロの走りを見守ります。淡々と落ち着いて走るその姿は力強く、危なげない姿がありました。きっとこのレースでオオシロは学連選抜チームのメンバーに選ばれるだろうな・・・残りの距離が短くなるにつれて&集団から溢れる選手が出てくるにつれてそういう思いは確信に変わってきました。

終盤さすがに苦しそうにする姿を見ていると、応援の声も大きくなり、そして力が入ります。「オオシロ〜頑張れ!!」大声で叫んだ瞬間に、何かがガラガラと崩れていきました。


「本当は自分があの場にいて走ってたんだよな」


完全に自分のエゴだということは分かってます。自分勝手な自分ですね。ただ、今この場でオオシロを心から応援する気持ちに嘘偽りはなく、そういう両極な気持ちに自分自身が一番混乱していたと思います。


オオシロに声をかけるのがの苦しくなり・・・
みんなとともに応援しているのが苦しくなり・・・

席を外してチームの仲間から離れてレースを見守りました。振り絞るように声をかけ続けました。そして、オオシロはゴール。

29分19秒02

自己ベストを40秒ほど更新です。そして、このレースの結果を受けて、学連選抜チームで箱根駅伝の4区を走ることが決まりました。


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