箱根駅伝画像

補欠の役目〜大学生㉟〜

SNSの時代ですね。

箱根を走り終えた選手がありがとうございましたとTwitterに投稿し、それを見て色んな人が反応する。選手と観客がとても近い距離感でコミュニケーションをとることができ、すごい時代になったなと思います。マスコミにとりあげられなくても、自ら発信し自分の想いを伝えることができます。個人が自分のことをきちんと理解し、自らが情報発信者になれば、正しい一次情報が流れるので、マスコミによって事実と違う情報が流れたとか、過剰に演出しているなんてことも防げるかもしれません。

もちろん、SNSは上手に使わないとそれだけで疲弊してしまう人も必ずでてきます。無責任な批判にさらされることもありますし、心無い書き込みが選手を傷つけることもありえます。ただ、きちんと理解して投稿していくことで文章力や物事を理論的に考える思考もつくので、メリットは少なくないですね。

もしかしたら、今の学生はほとんど抵抗もなく、色んなことをバンバン発信しているのかもしれませんが、SNSリテラシーはやはり正しく理解したり教育を受けたりする必要はある気がします。今以上に情報が自由になり、モラルが保たれた中で個人が輝く時代が来ると、スポーツも新たな局面に入ると思います。流行りの言い方で表すと・・・

|箱根駅伝1.0
世界に通用するマラソンランナーを育てたいという想いのもと始まった

|箱根駅伝2.0
日本テレビが全国中継して世の中にたくさんのファンを作った

|箱根駅伝3.0
選手や関係者が情報発信し、みんなで作り上げていく

ちょっと強引ですかね(笑)

今年は史上最高の視聴率だったそうですが、まだ伸びそうですし、人気や注目度が一気に下がるということも考えられません。だからこそ、いい形で箱根駅伝が進化していってほしいなと思います。

■補欠の役目

メンバー漏れしてから、色なことを考えました。自分の行動を悔い、情けなくて落ち込んだりもしましたが、そんな状態でずっといることが良くないのはわかっていたので、いま自分がやるべきことを考えてました。

メンバーには漏れましたが、言い換えればそれは補欠になったということでもあります。エントリーされた選手が怪我で走れなくなるかもしれないし、風邪をひくかもしれません。急な「まさか」に備えていつでも動けるように準備をしておくのが補欠の役目、それを全うしようと思いました。

疲労を抜いて当日いつでも走れるように調整メニューをこなす、改めて試走に行く、当日急にエントリー変更を告げられたらすぐ動けるように宿の手配をするなど思いつくことは全てやりました。これまで当事者として「補欠」になったことがなかったので、改めて自分が知らなければならなかったことをたくさん知る機会になったのは本当に大きかったです。

そしてもう一つ。走るメンバーが気持ちよく走れるような環境を作ろうと心がけました。いつまでもクヨクヨしていると、実際に走る選手に迷惑をかけてしまいますからね。心から学連選抜チームの仲間を応援しようと決めました。

当初監督が思い描いていた「10区間10大学」の構想から漏れたのは僕一人。補欠の選手のなかにはもっと調子がいい選手もいましたが、その選手を起用せず監督は当初の方針を90%貫きました。大切にしていたその方針を100%貫けなかったのは僕のせいです。監督も僕を外してからかなり悩んでいたということをマネージャーの子から聞きましたし、筑波大のOBの方にも謝っていたそうです。「筑波大の選手を選べなくてすまない」と。僕個人の問題だったのに、頭を下げさせてしまって本当に申し訳ない。。。

僕は今年の箱根駅伝は学生連合を応援していました。もはや自分の母校レベルに愛着があります(笑)。中継にはあまり映りませんでしたが、調べればいろな情報は集められます。紆余曲折あるチームですが、仲間を想う&チームを想う投稿を見た時、嬉しく思いました。補欠に回った彼がこんなに爽やかに投稿してます。彼にとってこの経験はきっと大きな財産になるんでしょうね。

■箱根駅伝当日

2006年のお正月。僕は小田原に宿をとって控えていました。急にメンバー変更を言われた時に、一番動きやすいところがここ。

僕の代わりに走ることになったのは帝京大のクロキくん。春に一緒に合宿をした仲です。彼のことをみんな「ブンちゃん」と呼んでました。彼が山を下るので、基本的には6区のリザーブ、不測の事態に備えるのが僕の大事な役目です。走りたいという気持ちは心の何処かにありましたが、だからと言って不測の事態を期待するつもりはもちろんありませんでしたよ。無事にスタートして襷を渡してほしいと思っていましたし、チームのみんなが快走できることを心から祈ってました。

ブンちゃんは無事にスタート。その瞬間に僕がこの年、箱根駅伝を走ることはなりました。他の区間の選手も予定どおりエントリーできたので、ベストメンバーを揃えることができました。チームとしての集大成がこの箱根駅伝であり、10人が1本の襷をゴールまで運んだ瞬間にチームは解散になります。改めて思う、不思議なチームですよね

僕たちが顔を合わせたのはたったの3回でした。初めてみんなが顔を合わせたのは11月中旬なので、1ヶ月半という短い期間です。そんなのは本当のチームじゃないと批判されるかもしれませんが、1本のタスキを通してメンバーみんなが苦しみも喜びも共感していくんですよね。

ブンちゃんがスタートした後、応援のために沿道へ向かいました。6区を逆走しようとすると中継所付近での観客が多すぎて走れないかなと考え、7区のコースを順走して応援しました。選手が通過するタイミングで学連選抜チームの選手に声をかけました。精一杯の声援。それが僕の補欠としての大切な仕事でした。

■閉会式にて

2006年大会は箱根駅伝の歴史が動いた年でした。亜細亜大学初優勝。当時4連覇中の駒澤大学を破ったので、衝撃は今年の東海大学と似ていたかもしれません。いや、それ以上だったでしょうね。

春に一緒に合宿をさせてもらったご縁もあって、遠くの世界の人たちとは思いませんでした。僕の代わりに走ったブンちゃんにしろ、優勝した亜細亜大学にせよ、その年ご縁のあった人たちが色んな所で関わったこの大会は特別なものでした。

ゴール後、みんなで閉会式に向かう途中、僕の代わりに山を下ったブンちゃんが中継所からバスで大手町に帰ってきました。僕の顔を見た瞬間に少し複雑な顔をしたので、ちゃんと笑顔でお疲れさま!と言いました。もちろん、わだかまりのない心からのお疲れ様です。その想いはちゃんと届いてくれたのか、曇った表情はすぐに晴れてくれました。彼は彼で僕に随分気を使っていたんでしょうね。きつかった!足の皮がむけた!!そんな感想を遠慮せずに僕に話してくれたのが嬉しかったです。

また、脱水でふらふらになりながら襷を繋いだ東農大の4年生。このチームが解散すれば敵チーム同士なのに、「宮川、箱根はいいぞ。来年は絶対に走れよ」と言ってくれました。チームを超えてこんなにお互いのことを本当のチームメンバーのように考えられるなんて、すごいことだと思います。

決して美談ではない2ヶ月間でしたが、この人たちと出会えたこと、いっときであっても同じチームになれたことは幸せでした。

今年の学生連合チームも本当に仲が良さそうでしたね。監督がそういうチーム作りを目指していたんでしょう。それぞれのチームには監督のカラーが出ます。今年の山川監督も初めての箱根だったので、メンバーと目線感が近かったのではないかなと思います。コンセプトムービーも話題になりましたしね。

箱根駅伝が終わり、一つの目標に向かって苦楽を共にすれば自然とチーム意識は育つものです。ただ、このチームでさえ、当初はきっと様々な想いが混ざった複雑なチームだったんじゃないかな。

何度も存続の危機に直面している学連選抜チームですが、こういった発信があって存在意義を自ら発信していけばきっとこのチームは長く続いていくでしょう。

箱根駅伝を走った皆さん、関係者の皆さん、本当にお疲れ様でした!

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