吉岡実

三宅勇介の「詩歌横断的現代詩評」:引用をめぐる問題のアクチュアリティーについて―後期吉岡実論(その2)

前回、吉岡実の詩型を取り上げ、トポロジー的な解釈を試み、中期の多行俳句のような横への志向から、後期の長歌的な縦への志向への変化の中で、それがどのような潜在的可能性を持つのかという事を考えて見たのだが、今回は、もう一つの後期吉岡実の詩の特徴である、自作品への、さまざまな芸術分野からの文章や会話の引用の問題を考えてみたい。

吉岡実がそうした他者の文章や会話を、自作品に積極的に取り入れ始めたのは、『サフラン摘み』以降であるが、その後、『夏の宴』、『薬玉』、『ムーンドロップ』と、時を経るに従って、その「引用量」はどうであったのだろうか(『ポール・クレーの食卓』は、拾遺的な詩集で、純粋には後期詩集ではないので、今回は考察から外す)。そこで、詩の行の総数の内、他者の文章や会話を引用した行数を占める割合を、仮に「引用率」として計算して見た。『サフラン摘み』は約10%,『夏の宴』は約31%,『薬玉』は約19%,『ムーンドロップ』に至っては約37%であった。

吉岡の「引用」の仕方は、様々で複雑である。文章をそのまま引用したり、単語を引用したり、短い句を引用したり。そのうち、どれが引用であり、どれが吉岡の地の文なのか、わからなくなってくる、というのも吉岡の狙いの一つではあろう。「」で引用したり、()で引用したり、[]で引用したり、それもさまざまだ。単語ではなく、大きく文章を多行に渡って引用する場合には基本的に「」が使用されるが、『薬玉』では何故か、()の形で引用される。その辺の使い分けを理解するのは、なかなか読者には難しい。

さて、では、そのような吉岡作品の「引用」は一体、どのように解釈されるべきなのだろうか。そしてどのように解釈されてきたのであろうか。

まず、前回でも取り上げた、松浦寿輝の「想像から引用へ_吉岡実『サフラン摘み』以後」をもう一度引用させてもらおう。松浦は、圧倒的なイメージを読者に喚起させる初期の吉岡の詩業の企図は、「見えないものを見ること。」であった、とする。だが、やがて試行錯誤を経て、『サフラン摘み』以降、「詩人にとっての問題が、不可視のものを透視するに足りる強い視力をいかにして獲得するかということではなくなって」しまった、と指摘する。「見ようとしてももはや何も見えはしないのになお眼を見開きつづけること。」それはすなわち、「言葉を見ること。引用とはそのことだろう。」と松浦は結論づける。

鶴山裕司は「モダンとポスト・モダンー吉岡実論」において、吉岡の引用の詩法が、1980年代において隆盛を極めたポストモダニズム哲学と対応していると見る。つまり、引用の詩法がもたらす、詩における「吉岡の作家主体の縮退・希薄化」が、「ポストモダン的世界モデルを総体把握するためにある」ことを指摘する。それは「特権的で全能な個の作家主体の位相から世界を認識するモダニズムと対極の方法」であり、「作家主体の内実をできるだけ空虚に保ち、そこに生(なま)の世界を取り入れ、それを足がかりに一気に世界本質を掴もうと試みる方法である」と結論する。

松浦と鶴山の説は魅力的で説得力があると思う。私もまた少し別の角度から眺めてみたい。

吉岡が引用する芸術や文学作品は多岐にわたる。西脇順三郎、四谷シモン、土方巽、フレイザー、宇野邦一、澁澤龍彦などなど。

その中で、ナボコフの『青白い炎』(富士川義之訳)を引用した、5部のパートからなる官能的な詩、「ムーンドロップ」(詩集『ムーンドロップ』)から部分を抜き出してみよう。

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「蛾が一匹パタパタ音を
           立てて飛んでいる」
(昧爽)
   長い回廊の柱をへめぐり
              「残飯桶と箒を持つ
腰の曲った雜役婦」
         ペタペタ
         足を引き摺りやってくる
苔むす敷石まで
          「この肉色のポンプが
                すきだね」
「万物が矛盾的に遍在する」
              (虚空)の下で
                  (異化)された(美)
女の(霊体)は水を飲む
             「太陽にさらされて
          (金の骨)が透けて見える
                烏賊が欲しい」

注)原文には次のふりがなあり  昧爽  あかとき
               (虚空) おおぞら
               (霊体) アストラル

ナボコフの、『青白い炎』は周知のとおり、実験的な作風をもち、トリッキーな構造を持つ小説である。訳者の富士川義之の言葉を借りれば、「架空のアメリカ詩人ジョン・フランシス・シェイド(一八九八-一九五九)の英雄対韻句で書かれた九百九十九行の瞑想詩『青白い炎』に、シェイドの隣人で同性愛者のロシア文学教授チャールズ・キンボードが前書きと詳細な注釈および索引を付すというまことに複雑な構成になって」いる。

今、この小説に深入りするのは避けるが、このシェイドの瞑想詩の313行目にある、「残飯桶と箒を持つ腰の曲った雜役婦」という言葉を吉岡は引用している。この言葉はシェイドの、のちに悲劇的な死をむかえる一人娘が、クリスマス・パーティーでの演芸会で演じた役柄なのであるが、たとえば、この引用に関して考えてみよう。吉岡の「ムーンドロップ」という詩は、メインテーマとしては、夫人と少年をめぐる官能的な詩なのであるが、ナボコフのこの小説のテーマとあまり関係があるとは思えない。いわば突如として「引用される」わけである。なぜ、この語句が引用されたのか、とか、この引用句は、シェイドの瞑想詩の他の言葉で代替可能なのか、と追及することはあまり意味がないのかもしれない。一詩歌の実作者の立場で考えてみると、この語句の引用は必然であり、偶然でもあるとも言えるのではないか。

吉岡の作詩法は想像するしかないが、たとえば、今回は『青白い炎』から引用しようと決意したとする。もしかしたら、テーマの関連性も吉岡の中には確固たるものがあったかもしれない。「長い回廊の柱をへめぐり」の行のあとに、ぴったりと合う言葉を探して『青白い炎』をひっくり返したかもしれないし、逆に読書のなかから、気に言った章句をまず決め、そこから、まるで短歌における題詠のように、詩を誘発させたのかもしれない。あるいはそのどちらでもあるかもしれない。そのように、詩の中に「引用」という行為を持ち込むことは、作者にとって、偶然性と必然性の両方を合わせもつ。では、その行為の結果はどのような効果を持つのか。

私の考えでは、かっこ「」は、吉岡と他者を結ぶ窓である。その引用を通して、ダイレクトに吉岡と他者は結ばれる。「ムーンドロップ」においては、吉岡は、ナボコフを、(あるいはその作品世界を)その詩の内部において孕むと同時に、ナボコフも、吉岡を、(あるいはその作品世界を)内部に孕むことになる。つまり、「引用」という行為で、吉岡は、ナボコフや、西脇や、四谷や、土方や、澁澤とイコールになるのである。その空間において、吉岡はどこにでもある。どこにでも遍在する。言葉を変えていえば、かっこ「」は、他者というサイバー・スペースへのログインする事を意味する。そこをワン・クリックさえすれば良い。初期の吉岡の傑作詩「過去」から一行引用させてもらうなら、「ただちに窓から太陽へ血をながすだろう」という事になる。この場合、太陽とは他者であり、血とは吉岡自身である。

最後に、最も今日的な意味で、「引用」する行為とは一体どんな意味を持つのであろうか、という事を考えてみたい。

冒頭に挙げた、吉岡の詩集における「引用率」にもどってみよう。最後の詩集、『ムーンドロップ』では約37%にものぼったわけだが、今、仮に吉岡が、「引用率」を100%に上げた場合、その作品世界とは一体どのようなものになるのであろうか。つまり、すべての詩行を、ありとあらゆる芸術や文学作品から、パッチワークのように集めてきて、組みた出るのだ(引用率100%とは、もちろん一人の他者のひとつの作品から取り出すという意味ではない)。

その場合、鶴山の言葉を借りていえば、モダ二スム的な意味での作家主体は限りなくゼロにちかづくであろうし、松浦の言葉を借りていえば、「言葉を見る」主体さえいなくなってしまう事を意味する。窓はすべて開け放たれ、すべての世界は「つうつう」につながってしまう。そこでは吉岡の主体はあり得るのであろうか?吉岡はナボコフや西脇と完全に同一化してしまうのであろうか?

しかし、一見矛盾のように聞こえるが、その「引用率100%」作品が成立した背後には、必ず、「何を引用するか」という「選択」した主体がいるはずである。そしてその主体にはもちろんの事、「独自性」「作家性」というものが備わっているはずである。この主体こそが、逆説的に言えば、もし吉岡の「引用」という行為に積極性を見出した場合の、究極の姿なのかもしれないというある意味恐ろしい結論にたどりつく。

つまり、21世紀における「AIにおける自由詩の創造」という今日的なテーマで考えた場合、吉岡の「引用」という行為は大きな意味を持ってくる。自由詩をあるアルゴリズムで作ろうと考えた場合、その過渡的な時期に、すべての言葉を、あるいは章句を、文章を、引用でつくる、という形態があり得るから、と思うからである。

                   

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